まだら色の夜明け(Mottled dawn) 6

 ハバナ市上空のドイツ軍機が呼び水となり、ハバナの騒乱は一気に終息へ向かって転げ落ちていった。目に見えた変化は港から訪れた。


 ドイツ海軍クリーグス・マリーネの航空母艦<グラーフ・ツェッペリン>が現れたのだった。<グラーフ・ツェッペリン>は稼働する艦上機を全て発艦させると、全速でハバナへ突っ込んできた。


 例によって港の機能は喪失し、誘導するタグボートはなかった。それどころか、動ける船は一目散に湾外へ退避している。それらと行きかいながら<グラーフ・ツェッペリン>はハバナ港へ突入した。


 ハーケンクロイツの旗を掲げ、<グラーフ・ツェッペリン>は空いている岸壁に無理やり接舷した。多少船体は傷ついたが、機能にまったく支障はなかった。


 即座にタラップを降ろし、続々とドイツ軍の擲弾兵を送り出す。それぞれオリーブ色の国防軍の制服に身を包み、完全武装だった。


 港は港湾労働者や市街地から避難してきた市民でごった返していた。彼らは半ば暴徒と化しており、ひどく扱いが面倒に見えた。


 惨禍に見舞われたハバナの市民にとって、<グラーフ・ツェッペリン>とドイツ兵はノアと使徒に見えていたに違いなかった。市民たちは歓声とも怒声ともわからない声を上げながら、ドイツ兵の集団へ向かって走っていった。目前のドイツ兵たちはガスマスクをしていたが、全く疑問に思わなかった。


 キューバ人たちの集団が数十メートルまで迫った時、ドイツ兵たちは一切の迷いなく擲弾筒を構え、催涙ガス弾を前方に向かって撃ち込んだ。たった今、助けを求めて来たハバナ市民は悲鳴を上げながら逆方向へ向けて走り出した。


「前進、岸壁の確保が最優先だ」


 指揮官らしきドイツ兵が前方へ向けて手を突き出すと、続々と兵士たちが前へ向けて走り出した。途中で立ち止まって催涙弾を撃ち込み、キューバ人を追い出しながら、さらに空間を確保していく。手慣れたものだった。


 接岸から一時間も経たずしてドイツ軍はハバナの港を押さえつつあった。クレーンなどの荷下ろしの重機まで、稼働しつつある。装甲車両まで降ろすことが出来れば、任務の遂行はずいぶんと楽になるだろう。


 その様子を艦橋から艦長のベルンハルト・フォン・アドラーは冷ややかに眺めていた。


 少しやりすぎじゃないかとも思ったが、他に良い方法が思いつかないことも事実だった。出口の見えない恐怖は人から理性を奪い取る。人種や民族に関係なく、極限状況の人間は本能に支配されてしまうのだ。


 五年前、キール軍港も同様だった。あのときは湾外に現れたヒュドラの群れが、街へ侵入し酷いことになった。ドイツ海軍は事態を収拾しようとしたが、うまくいかなかった。彼らは日本や合衆国のような陸戦部隊をもたなかったし、何よりも恐慌状態に陥った群衆の扱いに慣れていなかった。


「ある意味、適役なのか……」


 ふとアドラーは呟いた。


 眼下で活躍するドイツ兵は純粋な国防軍兵士ではなかった。服装こそ陸軍ヘェーアのものだったが、中身は別物だ。


 武装親衛隊のコマンド兵だ。


 東欧やイタリアでゲリラやパルチザン狩りを専門にしていた部隊で、混沌を日常としてきた兵士だった。


 この日、ドイツ軍はハバナ市に一個中隊を送り込んだ。半数は<グラーフ・ツェッペリン>から直接ハバナに上陸し、もう半分はスコルツェニー大佐の部隊で、別ルートでハバナへ侵入している。


 彼らはハバナの救援要請に応え、市内へ突入したのだ。確かにキューバ全土のあらゆる通信局がメーデーを発信していた。ただ、ドイツ人を指名したものは一人もいなかった。結局のところキューバ人にとっては、誰でも良かった。


 偶然・・、誰よりも先にドイツ人が駆け付けてきたにすぎない。


 ドイツ軍は丸一日がかりで、ハバナ市内を制圧し、ワイバーンを駆除しきった。その過程で、いくつもの偶発的な事故が起きた。例えば、ラジオ局のアンテナに携行型無反動砲パンツァーファウストの弾頭が命中したり、警察や消防の無線機が破壊されたりなどだ。


 いずれもキューバ人にとって些細なことだった。目前の魔獣を倒してくれるのならば、たとえ悪魔でも崇めるだろう。


 夕刻、キューバ大統領府にハーケンクロイツの旗が掲げられた。



 大統領府の執務室から、バティスタの遺体が運び出されていく。額に数発の弾丸を撃ち込まれ、確実に絶命していた。見事なものだった。


「実に、辺境の独裁者らしい最後だ」


 担架を運ぶ部下の後姿をスコルツェニーが見送った。そのまま執務室に入ると、瑪瑙で加工されたデスクから、葉巻を取り出した。香しいキューバ産の最高級品だった。先端をかみちぎり、備え付けのマッチを擦る。口いっぱいに芳純な紫煙を含み、ゆっくりと吐き出した。


「美味そうですね。自分も一本宜しいですか」


 背後の声に振り向くと、スコルツェニーは新品の葉巻を投げ返した。そつなく相手は受け取ると、手持ちのライターで火をつける。なかなか火が付かずに難儀しているようだった。


「フリッツ、先のほうをかみちぎれ」


 助言に従い、フリッツ・クラウスSS大尉は火をつけた。少しむせたが、彼なりに気に入ったようだった。


「なにごとも経験ですね」


 照れた顔で、クラウスは言った。ゲッベルスのプロパガンダ映画に登場しそうな好青年という印象だ。実際、フリッツは武装親衛隊の映画にゲスト出演している。


「その通り、経験は大事だ。今回の作戦もポーランドの経験が活かされているからな」


 愉快そうにスコルツェニーは言うと、室内のラジオをつけた。


 ちょうど暫定政権の樹立が放送されていた。


 臨時大統領に指名されたのは、バティスタの部下の一人だった。数か月前にトランク一杯のライヒスマルクと偽のドルを手渡した相手だった。大半のキューバ人にとって名前はおろか、顔すら知らない奴だ。


 臨時大統領は救援に駆けつけたドイツに対する感謝を述べると、駐留を歓迎すると続けた。


「合衆国は、向こう一週間は動けません」


 フリッツは断言した。ドイツの駐留を既成事実化するには、十分な時間だった。


「グアンタナモだけではなく、パナマ周辺の拠点はあらかた潰しましたから」


「ご苦労。君がここに来てくれてよかった。残念ながら、勲章はやれないがな」


「承知の上です。それに、私は勲章よりも玩具のほうが好みですから」


 フリッツは屈託のない笑顔を浮かべた。


「さて、そろそろ失礼します。出港の時間だ」


「持っていけ」


 箱ごとスコルツェニーは葉巻を渡した。


「それからラムもいくつか見繕っていくがいい。たしか、<グラーフ・ツェッペリン>の艦長は好きだったはずだ」


「よくご存じで」


 フリッツは有り難そうに、葉巻の箱を雑嚢にしまった。そして右手を掲げると、綺麗な回れ右を行い、退出していった。



 後世、カリブ海を巡る一連の騒乱は「第一次キューバ危機」として記憶される。


◇========◇

次回7月15日(木)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現できるように応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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