まだら色の夜明け(Mottled dawn) 5

【キューバ ハバナ】

 1946年2月17日 朝


 ハバナの騒乱は頂点を迎えつつあった。


 大統領府の爆破から共産ゲリラの襲撃、そして政府軍との戦闘。それだけならば、発展途上国によくある歴史の一コマにすぎなかったかもしれない。世界史の教科書では、一行にも満たないほどの記述で済まされるだろう。


 しかし、この日キューバの首都は転換点を迎えていた。後世のカリブ史は愚か、世界史においても語り継がれる出来事だった。残念ながら、それは偉業と呼ばれる類ではなく、純然たる惨禍だった。


 大統領府で繰り広げられた戦闘の被害は、ハバナ市内の一区画にとどまっていた。それは交戦主体となった共産ゲリラとキューバ政府軍、両者の利害が一致していたためだった。


 前者のゲリラは市民に被害が及ぶのを恐れていた。彼らの支持基盤を失うことになりかねない。後者の政府軍に関しては、事を荒立てるのを避けようとしていた。市民の反乱を恐れたためだ。


 いずれにしろ、大統領府と周辺のみが戦闘区画になるはずだった。しかしながら、夜明けを迎えるとハバナ市全域から煙が上がっていた。


 文字通り、夜空から魔獣が降ってわいてきたからだった。


 ハバナに来襲したワイバーンは、十体にも満たなかったが、地獄を作るには十分な数だった。市民に対抗できる手段はない。せいぜい狩猟用ライフルや私物の拳銃で抵抗できるくらいだったが、そんな勇者はどこにもいなかった。


 共産ゲリラと政府軍にとっても、最悪のタイミングだった。両者の攻防が拮抗した状態で、ワイバーンの来襲を迎えなければならなかった。どちらを撃つべきか迷った瞬間に、食い殺されるか、火炎で消し炭に変えられている。ワイバーンにとってはシンプルな問題だった。同族以外は全てエサだ。


 朝陽が昇る頃にはゲリラ、政府軍ともに目的を見失っていた。かたやゲリラ側はリーダーが戦死し、指揮系統が崩壊していた。政府軍はバティスタの死体が確認されたことで、混乱が生じている。増援に来るはずだった合衆国軍は、その姿すら見えない。


 誰にとっても、キューバの支配権など二の次だった。


 ただただ生き残ることに必死になっていた。


 キューバの首都ハバナは急速に、その機能を失いつつあった。それは五年前の情景、BMが現れ、世界が回転した瞬間を思い起こさせた。人々が良心を失い、ただ混乱と暴虐の渦に飲み込まれていく。


 朝を迎え、ハバナ市内のあちこちで悲鳴や怒号が生まれていた。混沌などという言葉が生易しく思えるほどの光景だ。通りは人で溢れ、婦女子が人ごみに潰され、親子が散り散りになっていく。ワイバーンが上空を飛び回り、無差別に火球による爆撃を行い、火の手がそこかしこに上がっていく。自棄になった市民が暴徒と化し、略奪や暴行がいたるところで発生した。


 病院では行き場のない老人や傷病者、女子ども達はじっと息をひそめて恐怖に震えるしかなかった。


 彼らは、盲目的に神へ祈りを捧げた。



 裏通りで一発の銃声が響き、男が倒れ伏した。少し遅れて、絹を裂くような悲鳴が響き渡る。


「大丈夫だ。落ち着け、傷つけはしない」


 銃を持った髭面のゲリラ兵が、男の死体の下から少女を引っ張り出した。半狂乱になって暴れる少女の両肩を強く掴む。


「泣くな。お前を乱暴した男は死んだ。俺は味方だ。いいか、深呼吸をしろ」


 少女は荒く息をしながら、肯いた。


「強い子だ。親はどうした?」


「はぐれた」


 少女は大通りを指した。人の津波が起きている。


「家まで帰れるか?」


「……燃えた」


 ゲリラ兵は背後を振り向いた。ゲリラ兵の仲間がいた。


おいチェ、どうする」


 仲間は一瞬ためらうと、少女に対して鷹のような視線を向けた。あまりの鋭さに少女は身をすくめた。


「歳は?」


「12」


「なるほど、前例がないわけじゃない」


 鷹の目のゲリラ兵は眉間の皺を解いた。


 髭面の兵士が立ち上がった。


「なら、後はお前次第だ」


 お前と呼ばれた少女は首を傾げた。


「どういうこと?」


「俺たちとついてくるか。ここで泣きわめくか。どちらかだ」


「あなた達は誰?」


 二人のゲリラ兵は顔を見合わせた。思ってみない質問だった。たしかに、字の読み書きができるか怪しい子供に、なんと説明すべきだろうか。つい数時間前まで大統領府で政府軍とやりあい、調子に乗ったところを魔獣に追い立てられてきた野郎どもだ。マルクス、レーニンや資本論の話をする場面でもないだろう。


 考えあぐねた結果、髭面のゲリラ兵が応えた。


「革命家だ」


 鷹の目のゲリラ兵が笑った。


「そう、俺たちは革命家だ」


 少女は、まだ困惑している様子だった。


「かくめいか?」


「要するに世界をよくするお仕事だ。ついてくるか」


 髭面のゲリラ兵が言うと、少女は肯いた。恐らく意味はわからないだろう。まあ、いい。


「名前は?」


「アニータ」


「良い名前だ。俺はフィデル、こいつは友人のエルネストだ」


 髭面が鷹の目を指した。


「これからどうする?」


 鷹の目のゲリラ兵士に問われ、髭面のゲリラ兵は即答した。


「海へ出る。まずは、あいつらの目が届かないところまで逃げるんだ」


 苦々しい顔で、ゲリラ兵は空を見上げた。


 バルケンクロイツの戦闘機が飛びまわり、ワイバーンを撃ち落としていた。


◇========◇

次回7月12日(月)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現できるように応援のほどお願いいたします。


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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