まだら色の夜明け(Mottled dawn) 2
【パナマ ガトゥン湖岸】
1946年2月17日 早朝
長い夜が明けようとしていた。
朝陽が周辺の状況を克明に照らし出しつつあった。ガトゥン湖を取り囲む森林地帯のあちこちから煙が上がり、銃声と砲火が鳴り響いている。それらは主にコロン方面が発信源となっていた。未だに戦闘は継続しているようだが、昨夜に比べれば可愛いものだった。
戦闘の余韻が冷めやらぬ中、ガトゥン湖の水面、その一部が盛り上がった。
海坊主のようなシルエットが浮き上がると、ぬっと男の頭部が現れる。大事そうに何かを胸に抱え、それを浮力にして水面を這うように泳いでいた。やがて岸に着くと、男は急いで湖から離れ、自分の姿を隠した。
ガトゥン湖の水を含んだ日本海軍の防暑服が、びったりと肌に張り付いて気持ち悪かった。身体の熱を容赦なく奪っていく。加えて一時間近く泳いでいたため、体力の消費も激しい。
可能ならば、服を脱いで絞っておきたかったが、そんな贅沢が許されるような状況ではない。
ガトゥン一帯が戦闘地域であることに変わりはない。どこで合衆国軍や日本軍と遭遇するか、わかったものではなかった。相手が人ならば対処できようが、魔獣ならば話にならない。
「あのドイツ人女め……」
あの女が余計なことをしなければ、もっと楽に任務を遂行できたはずだった。
全く意味が分からなかった。気が狂ったとしか思えない。
いいや、あの女なりの自殺だったのか。
どちらにしろ、任務の完遂は永久に遠ざかった。得られた成果が全くなかったわけではないが……せめてもの救いが、このアタッシュケースだ。
がさりと近くの茂みが蠢いた。
男は腰にくくりつけた匕首を手にした。
「チャールズ、そこにいるのか」
茂みから誰何の声が上がった。男は匕首を手にしながら、じっと押し黙った。茂みの先から、新たに声がかけられた。
「爺さんが探していたぞ」
男はふっと肺から空気を吐き出すと、匕首から手を放した。事前の取り決め通り、合言葉を茂みに投げかける。
「俺の爺さんは、とっく死んだ」
茂みから人影が現れた。
「一人か?」
人影は、男と同じ東洋人だった。彼は仲間内でオロチと呼ばれている。
「ああ、ドイツ女は死んだ」
「
サイと呼ばれた男は、すぐに否定した。
「まさか。本気で思っているのか」
サイはあからさまに不愉快な顔を浮かべたが、オロチは眉一つ動かさずに肯いた。
「ああ、そのような事態もありうると思っている。私は彼女の忠誠を期待していなかった。彼女のなりの信念はあるのだろうが、それは本国の方針と一致していないだろう。さもなければ日本へ亡命など試みない」
オロチはサイを促すと、姿勢を低くしながら移動を開始した。
「だから、彼女が我々を裏切る可能性は高かった。その場合、君は規定通りに処理するだろう」
オロチは振り向くと、サイの眉間の皺は解かれていた。
「君は浅慮で人を殺さない。規定に基づき、絶対に殺す男だ。その点において、私は君を信頼している。だからこそ、あの船への潜入を命じた。まあ、私と同じ東洋人であることも理由の一つだがね」
数十分歩いたところで、二人は舗装された道路に出た。一台の車が止めてあるのが見えた。車に入ると、オロチはタオルを手渡した。
「それにしても、よく泳ぎ着く場所を特定できたな」
サイはタオルで頭をぬぐいながら言った。キールケが血迷ったせいで、本来の計画とは全く異なる展開になっていた。合流まで相当な時間がかかるだろうと覚悟していたのだ。
「そこまで難しいことではない」
オロチはアタッシュケースの鍵を開けようとしていた。キールケ次第だが、暗証番号は示し合わせてある。
「ガトゥン湖で、私は<宵月>を観察し続けていた。君が飛び込んだタイミングを察して、そこから一番近く、そして隠ぺい可能な上陸地点を考えれば自ずと答えはでるだろう。あの湖は、さして広くはないからね」」
ダイヤルを回し、4桁の数字が合わさった。
かちりと子気味の良い音がして、アタッシュケースが開かれる。
「なるほど、これが
オロチは数枚の書類を手に取ると、斜め読みしていった。
「中身は?」
「
一枚の方眼紙を掲げた。カプセル状の機器と構成する部品が描かれている。
「魔導機関の設計図だ。キールケ氏は丁寧な仕事をしてくれた。他の書類も不足なくあるようだ」
車が、コロンへ向けて走り出した。
◇========◇
次回7月1日(木)に投稿予定
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現できるように応援のほどお願いいたします。
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
弐進座
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