まだら色の夜明け(Mottled dawn) 3

【キューバ グアンタナモ沖】

 1946年2月17日 早朝


 カリブ海にも夜明けが訪れようとしていた。まばゆい暁とは対照的に、殺伐とした光景が眼前に広がっている。


 形容するならば、満身創痍だった。


『レーダーより艦橋へ。真方位ベクター1-4-7、大規模編隊を探知。|針路、真方位2-2-9。ワイバーンの可能性大』


『ソナーより艦橋へ。感あり。本艦十時方向。クラァケン』


 駆逐艦<ベッドフォード>の各所からか報告が届く。いずれもかすれた声だった。恐怖によるものではない。純粋に疲弊しているのだ。彼らは一晩ぶっ通しで観測機器と向き合い、カリブ海を取り巻く危機的な状況を克明に報告し続けていた。


「取り舵、方位3-0-0。先にクソだこファッキンデビルフィッシュを片付ける」


 しわがれた声で艦長のウィテカー少佐は命じた。疲労を感じさせない、いつも変わらぬ口調だった。


 本来ならばワイバーンのほうが脅威度が高かったが、クラァケンのほうが艦の位置に近かった。先に爆雷を食らわし、返す刀でワイバーンの相手をしてやる算段だ。


「取り舵、アイ」


 答えたのは、副長のマンスフィールド少尉だった。舵輪を回し、艦を左方向へ誘う。


 マンスフィールドの手に干からびた感触があったが、それは操舵手の血だった。乾ききって、はがれたペンキのようになっていた。


 つい4時間ほど前まで、マンスフィールドの代わりにベテランの操舵手がいたはずだったが、残念ながら今は医務室でうめき声をあげている。ワイバーンが第一砲塔へ突っ込んだ際に、窓ガラスの破片が腕に刺さったのだ。


「舵戻せ」


「舵戻せ、アイ」


 もう何度目かわからないほど、同じようなやりとりをリピートしてきた。


 昨夜から約九時間近く戦闘が続いているが、疲労は感じなかった。アドレナリンのおかげで、マンスフィールドは苦痛からかろうじて目をそらすことができた。全く、人体の神秘へ乾杯チアーズしたくなる。


「対潜戦闘準備。ソナー、アクティブ発振ピン


『アクティブ発振、アイ』


 アクティブソナーは水中に潜む目標へ探信音を放ち、跳ね返ってきたエコーのパターンから相手の位置を検出する装備だ。<ベッドフォード>の艦底へ備えられていたのは、QCと呼ばれているアクティブソナーだった。


 ソナーマンがハンドルを回すと、連動してQCソナーが回転し、クラァケンが潜む海域を指向した。目標が定められたところで、探信音が放たれる。


 放たれた音の捜査網はクラァケンの位置を捉え、エコーを返してきた。


『エコー探知。距離およそ2浬』


「でかした。爆雷投下準備」


 敵獣の潜伏海域到達すると同時に、<ベッドフォード>から爆雷が複数投下された。それぞれの信管に爆発深度が間隔を空けて設定されている。


「全速。面舵一杯、急げ」


 ウィテカーが声を張り上げた。


「機関全速、面舵。アイ」


 マンスフィールドが身体をひねり、舵輪を回した。脳内麻薬で疲労感は麻痺無視していたが、肉体は正直だった。腕の力だけでは回せなくなっている。もともとマンスフィールドは小柄な体型だったため、なおさら難儀なことになっていた。


「舵戻せ」


 数秒後、<ベッドフォード>の背後に5本の水柱が立ち上がる。戦果確認を行わずして、<ベッドフォード>は次の脅威へ舳先を向けた。


「対空警戒厳にせよ」


 ウィテカーは全艦に命じると、自身も双眼鏡を手に舷窓へ歩み寄った。その拍子に、仰角を取る第一砲塔の姿が見えた。ぎこちなく、軋んだ音を立てながら38口径5インチ単装砲が上向いた。


 やはり、大きすぎたのだ。


 <ベッドフォード>は<クレムソン>級の157番艦だった。ネームシップの<クレムソン>は1918年に建造されたもので、<ベッドフォード>も艦齢は20年以上経っている。船体設計が古く、排水量は一千トンあまりしかなかった。その細長い船体に、38口径5インチ単装砲は文字通り荷が重すぎたのだ。


 20年前に比べ砲塔構造が複雑化し、ただ目標を照準すればよいものではなくなっていた。射撃指揮装置と連動し、目標を追尾、未来予測した位置に対して砲弾を叩き込むシステムがセットになっている。複雑化した砲塔は重量の増大を招いた。


 砲塔に限らず20年前にはなかった装備も追加されている。対水上のSGレーダーに、対空のSCレーダーなどが、上部構造物に頼りなく乗っかっていた。それらは<ベッドフォード>の重心を上げ、トップヘビーを招く恐れがあった。おかげで従来の兵装を減らす始末だ。


 レーダーを実装する代償として、<ベッドフォード>の砲塔は一つ減らされ、魚雷発射装置も撤去された。


 かたちばかりは最新鋭の駆逐艦と同等の装備を有したが、戦闘力の低下は否めなかった。たった今、そのツケを払わされようとしている。


 <ベッドフォード>が有する3門の砲のうち、稼働するものは第一砲塔のみだった。第二砲塔は砲身が破裂していた。発射した砲弾が暴発したのだ。第三砲塔は喪失したわけではないが、弾を撃ち尽くしている。第一砲塔の砲弾を運び込んでいるが、時間がなかった。すぐそこまで敵獣の群れが迫っている。


 生き残った第一砲塔も、万全な戦い方は出来ない。ワイバーン衝突時に砲架装置が故障、揚弾機が動かなくなっている。こちらも人力で運ばせているが、対空目標に対して命中は期待できないだろう。


 豆鉄砲のような機銃と壊れかけの砲塔でどこまでできるか。


畜生めデムッが……」


 ウィテカーは誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。


◇========◇

次回7月5日(金)に投稿予定

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現できるように応援のほどお願いいたします。


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座

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