夜を駆ける戦い(The longest night) 17
「敵獣沈黙を確認」
防空指揮所の見張員から報告があった。
歓声はなかった。<宵月>に乗る兵士たちの大半で、歓喜よりも安堵のほうが勝っている。
「司令……」
窓際に佇む儀堂へ、恐る恐る興津が話しかけた。少し前から一切微動だにせず、彫像のようだった。
「ああ」
儀堂は何でもないふうに返事をすると、ゆっくりと振り向いた。その挙動に興津はわが目を疑い、思わず声を漏らした。
目前で儀堂が二人分、重なって見えたのだ。手品師の奇術、あるいは活動写真の特殊加工のようにぼんやりと興津を見ている儀堂と背を向けている儀堂に分かれていた。
「どうした……?」
興津を見ているほうの儀堂が尋ねる。瞬きをしている間に、儀堂は一人に戻っていた。
「いえ、何でもありません。その……大丈夫ですか」
儀堂は生気のない、土気色の顔をしていた。右目の眼窩から一筋の血が垂れてきていた
「軍医を呼びます」
興津は、断固とした口調だった。遠慮をしても無駄だろう。儀堂は苦笑いを浮かべると「頼む」と言った。
「すまないが、少しふらついている。それに視界もだいぶ不明瞭だ。誰か席まで肩を貸してくれ」
すぐさま近くにいた兵士が寄ってきた。
「助かる」
深く息を吐きながら、儀堂は席に着いた。その途端、一気に全身の体重がのしかかってきた。再び立ち上がれるようになるまで、時間がかかりそうだ。何よりも視力の低下が著しかった。いや、視力に限らず体中の神経全てが切れたような痺れがあった。指先すらまともに動かせるか怪しかった。
必死に手の震えを押さえながら、首元のスイッチを押した。
「ネシス、すぐにコロンへ向かってくれ」
『待ってください』
代わりに答えのは、御調少尉だった。
『儀堂少佐、すぐに眼帯を右目に戻してください。もう必要ないはずです。ネシス、あなたも接続を解除して』
『とっくに断っておる』
ぶっきらぼうな返事を聞きながら、儀堂は軍装のポケットをまさぐった。頼りない感触から眼帯を探し当てる。
「ネシス、コロンへ」
まだ魔獣はいるはずだ。
「早く」
まだ終わっていない。合衆国の無線は、カリブ海全体で戦闘が起きていると告げていた。何もないところから大群が生まれるはずがない。きっとどこかにいる。あの黒い月が生まれている。
『おぬし、そのままで良いのか。その身体はまともではないぞ』
「俺たちは戦争をしているんだ。まともでいられる奴のほうが少ない」
『……道理じゃな』
「ああ、道理だ。俺たちは駆逐艦に乗っている。ならばやることは──」
儀堂は手の震えに抗いながら、眼帯を巻きなおした。
夜が終わりかけ、艦橋に払暁の朝陽が差し込んできていた。右目に眼帯を装着すると、視界半分が暗くなった。
……待て。なぜ、暗くなる?
俺の右目は存在しないはず……。
その瞬間、糸が切れたように儀堂の意識は奈落へと落ちていった。
「司令……!」
艦長席から崩れ落ちた儀堂を、慌てて興津は助け起こした。脈はあるが、完全に昏睡している。
「畜生め」
あの鬼子、うちの大将になにをやりやがったんだ。
心の中で毒づきながら、自身を落ち着かせる。まずは、この場を掌握しなければならない。
「軍医を! あと担架を持ってこい。すぐにだ」
興津の命令を受けて、兵士の動揺がわずかに落ち着きを見せた。たとえどんなことでもやることがあれば、人間は混乱から目を背けられる。
<宵月>の艦橋に差しこんだ朝陽の位置が徐々に変わっていく。コロンに向けて回頭しているのだ。
興津は艦内電話を手にすると、魔導機関室に繋いだ。
「艦橋より魔導機関室へ。儀堂司令が昏睡状態になった」
『やはり──』
御調少尉だ。
「御調少尉、何か心当たりが?」
『あります。少佐の身体は艦橋に?』
「身体? ああ、その通りだが……」
『そちらに向かいます』
訳を聞こうと思ったが、すでに御調少尉は出ていったようだった。
『妾はどうする?』
「そのまま待機だ。コロン行きも待ってくれ」
儀堂の容体次第では、パナマに引き返さなければならない。だいたい儀堂以外の人間に、この鬼を制御できるとは思えなかった。
『……よかろう。おぬしの主の疾く回復させよ』
ほっと胸を撫でおろすと、興津は艦内電話の受話器を降ろした。断られたときに止める手段がなかったのだ。
降ろしたばかりの艦内電話が鳴った。
「どうした?」
電探からだった。復旧に成功したらしい。
朗報だが、それを告げる兵士の声は逼迫していた。
『反射波多数認む! 数はおよそ三十。ワイバーンの可能性大』
◇========◇
次回6月17日(木)に投稿予定
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弐進座
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