夜を駆ける戦い(The longest night) 15
「新手か?」
双眼鏡を構えた儀堂に、ネシスが答えを告げた。
『ギドー、撃つな。あれはシロじゃ』
事態の急変に儀堂は戸惑っていた。自身の目で確かめられないが、ネシスを疑うつもりはなかった。真偽はどうあれ、運河内の屍竜は火だるまになっているのは事実だ。
「シロ、シロだと? なぜここに……」
屍竜は背中の砲花を急速に再生させた。サイズは小さい─と言っても、二十粍機銃ほど─ものだったが、数が圧倒的だった。ハリネズミのように無数の砲花が咲き、夜空に向かって弾幕を形成しだした。
屍竜の弾頭は花火のように炸裂し、瞬間的に周辺を赤々と照らし出した。ここに至って、ようやく儀堂はシロの姿を目にすることができた。紅蓮の明かりに背にした鋭角的なシルエットが、反則的な軌道を描きながら飛行していく。
「<大隅>との通信を最優先で回復させろ。すぐにシロの所在を伝えるんだ」
儀堂は興津に命じると、すぐに喉頭式マイクの回線を切り替えた。
「後進そのまま。シロが時間を稼いでいる間に距離を取れ」
再び<宵月>が推進力を取り戻し、艦尾から運河を脱していった。ここで距離を稼いで、臨戦態勢を整えるつもりだった。
耳当てからネシスのくぐもった笑いが漏れてくる。
『あやつめ、嘴が黄色とはいえ、やはり宿命には抗えぬものじゃな』
「因縁があるのか?」
『天敵じゃよ。あの怪樹は魔力を吸い取って成長する。寄生虫のようなものじゃ。妾の世界では、よく竜が餌食になっておった。魔獣の中でも、竜は魔力をため込んでおるからな。寄生された竜は、あのように朽ち果てても無理やり生きながらえさせられるのじゃ。盛りの時期は雄竜が擬態した雌の怪樹に食われておったよ』
「考えるだけで、おぞましい光景だな」
『左様であろう。話のついでに、もっとおぞましいことを言ってやろう』
「聞きたくはないが、お前が言うからには意味があるのだろう。話せ」
『怪樹は自生せぬ。あれはラクサリアンどもが作ったのじゃ』
「……なるほど、奴らをぶち殺す理由がひとつ増えたな」
『おぬしは期待を裏切らぬのう』
ネシスは嬉々とした声で言うと、回線を切った。
上空では曲芸飛行の連鎖が続いていた。無数の砲火に晒されながらも、シロはその間を縫うように飛行していく。その光景は現地の住民を魅了し、芸術的な感性を呼び起こした。
しかしながら、彼らの観客とは別に、当事者の立場では全くかけ離れた感想を抱かれていた。
「あの化け物だけで艦隊防空が成立するな」
活火山のごとく対空砲火を散らす屍竜を見つめ、儀堂は呟いた。
シロのような変則的な機動ができる竜だからこそ、回避できているが、航空機では対処は困難だろうと思った。海面あるいは地上すれすれの低空飛行で侵入すれば、打撃を加えることは可能だろう。だが、その場合はフライパスの瞬間を狙い撃ちされる。どの道、攻撃は片道切符の決死行にしかならないだろう。
合衆国軍のように物量で押し潰すことも困難だ。航空機は量産可能だが、搭乗員の育成は数年がかりになる。いかに合衆国でもベルトコンベヤーで人間を作ることはできない。
あるいは航空機に実装可能な長射程兵器が開発されれば、話は変わってくるかもしれない。地上制圧用のロケット弾ならば、かろうじて要求に適うか。
見張り員から運河を脱したと報告があり、儀堂は我に返った。時を置かずして、<大隅>との通信が回復した。
儀堂が簡潔に状況を伝えると、<大隅>から六反田自ら返信してきた。
「迎えが来るまで、面倒を見よ」
とのことだった。
餓鬼のお守りではないのだぞと、理不尽な思いが沸き上がったが、かろうじて無視する。
「ネシス、シロの動きを補足できるか」
『できるが、朧気じゃ。当てにしすぎな。あのデンタンとやらが死んだせいで、虚ろにしか姿を捉えられん』
「それでも構わない」
『わかった。それからギドー……』
一呼吸置くとネシスは断言した。
『飛ぶぞ』
「やれ」
紅い方陣とともに<宵月>が離水する。魔力を感知した怪樹がツタを伸ばそうとしてきた。しかし、それらは全て焼ききられてしまった。一瞬の隙をついて、急降下したシロが火炎放射を放ったのだ。
竜の加護を受けながら、月は再び上り、紅い輝きを取り戻した。
<宵月>はツタの届かない高度一千メートルまで上昇すると、そこからパナマ運河の魔獣を中心に旋回を開始した。
船体を傾斜させると、<宵月>は鉄の洗礼を始めた。無事な前部第一砲塔、後部第三、第四砲塔が俯角を一杯にかけ、次々とつるべ撃ちに徹甲弾を叩き込んでいく。
運河内の魔獣の砲花が叩き潰され、火力が弱まった。
「噴進砲、弾頭の換装は可能か?」
儀堂は操作要員に告げると、艦橋上部の見張り員が緊迫した声を上げた。
「味方ドラゴン、敵獣へ吶喊」
「射撃止め!」
高声令達器越しに怒鳴り声が響いた。
間一髪で射撃が停止され、シロとの同士討ちは回避された。シロは火勢の弱まった敵獣の背部に対して火炎の掃射を行い、フライパスしていった。
「やはり、実戦は難ありだな。まだまだ躾が必要だ」
火だるまの敵獣を認めながら、思った。
まあ、それはするのは俺じゃなくて
シロの火炎と<宵月>の掃射は、屍竜を着実に無力化していった。
やがて全く容赦のない攻撃で魔獣の砲花が全て沈黙し、完全に活動停止状態になった。今や、その巨体は氷山のように運河を漂い、流れに押されて、少しずつ移動していった。
「不味いな。パナマ市へ流されている」
沈黙しているとはいえ、生死を確認したわけではない。このままとどめを刺さずして、パナマ市民がツタの餌食になるのは避けねばならなかった。
ネシスが言うには、怪樹は一欠けらでも残っていると再生してしまうらしい。ならば、粉微塵に吹き飛ばすしかない。
<宵月>に残されている手段は一つだった。
「噴進砲、弾種変更」
操作員に命じる。
昨年、横須賀で大改装を行った際に、<宵月>の噴進砲は再装填可能となった。
改装前の五式試製連装噴進砲は発射後に再装填はできなかった。再装填のためには、停泊して大掛かりな作業を行う必要があった。もともと試製兵器だったため、実戦での使用は限定的だったのだ。
大改装で実装された六式噴進砲は、単発式だが弾頭の炸薬量も増やしている。何よりも複数の弾種を選べるのが、最大の改良点だった。
「
合衆国からの技術提供で開発した特殊弾頭だった。ナフサと増粘剤を合成し、ゼリー状の燃焼剤を充填してある。着弾点を中心に、広範囲に精進作用を及ぼす兵器だった。<宵月>に搭載されている弾頭ならば、ちょっとした山火事を引き起こすことが可能だ。
砲術から再装填まで、十数分かかると報告があった。戦闘中であることを鑑みれば、短いほうだが、焦れる気持ちは否定しがたかった。
ふと上空からうなり声が聞こえた。シロが旋回しながら、しきりに咆哮している。甲高い声で、まるで喜んでいるようだった。処女戦闘を経験した新兵を思い起こした。
「味方ドラゴン、急降下」
翼を折りたたむと、シロは一直線に魔獣へ突っ込んでいった。
若竜は興奮し、歓喜していた。秘められた力を存分に発揮し、万能感に支配されていた。実際のところ、それは正しかった。
この世界で、間違いなく竜種は生物界の頂点の一角を占めている。
しかし、その地位は絶対的ではない。強いだけでは生き残ることはできない。本来ならば、親竜から叩き込まれる厳格な野生の掟を、シロは知らなかった。
ゆえに、自身の破壊衝動の赴くままに、屍竜の背部へ突っ込んだ。シロは
シロが屍竜の背中に飛びつくと、喉元から紅く輝きだした。体内では火嚢呼ばれる器官で、体液が混合され、化学作用によって火炎が焚かれる。
紅蓮の輝きは喉元から口腔部へかけて移動していった。牙から火炎がのぞき、火の粉が溢れていく。えずくような感覚が沸き上がるとともに、灼熱の火炎が吐き出された。
しかし、火炎は屍竜ではなく上空を突くことになった。制御を失ったホースから水が放たれるように、空中を炎の流れが舞っていく。
火炎放射の流れが途切れると、耳をつんざくような悲鳴がパナマ運河に響き渡った。
何事かと儀堂は双眼鏡の倍率を上げた。
「……不味い」
双眼鏡を手にしながら、儀堂はマイクのスイッチを切り替えた。
「ネシス」
『言わずとも察しておる。シロめ、あやつには仕置きが必要じゃな』
「ああ、あれから救出できればの話だが──」
無数のツタにからめとられた竜を見ながら、儀堂は言った。
シロが火炎を放った瞬間、屍竜の背部からツタが伸び、その射線を反らしたのだ。過ちに気が付き、すぐにシロは飛翔しようとしたが遅かった。
シロは悲痛な声を上げながらも、必死に足掻いた。再度火炎放射を放ったが、ツタが頸椎に絡まり、先ほどと同様に空しく宙に炎は注がれるだけだった。
次第に火勢が弱まり、シロの声は小さくなっていく。
『儀堂、
ネシスは有無言わせぬ口調だった。反対する理由はなかった。
シロは海軍で管理しており、貴重な戦力だ。そして何よりも、あれを失ったら確実に泣く子がいる。
『あの怪樹め、シロの魔力を我が物にしておる。このままでは復活するぞ』
「それは、かなり不味いな」
ネシスの言う通り、砲花が再生し始めていた。。一夜がかりで叩き潰した苦労が水泡に帰すなど、あってたまるか。
「ネシス、精密射撃はできるか」
シロを拘束するツタを砲撃で切断できれば、望みは出てくる。懸念は電探が機能していないことだった。
『出来ぬ』
迷いなく即答だった。魔導機関は<宵月>の観測機器と連動している。電探から受け取った
「やはりか」
いっそのこと<宵月>を突入させるか。図体そのものを寸断させてしまえば……いいや、だめだ。その場合は、あのツタに近づくことになる。ネシスの魔力まで吸い取られては元の木阿弥だ。
思考をもてあそぶ時間はなかった。
『ギドー、お主はシロを救いたいか』
淡々とネシスは尋ねた。試されているようだが、迷うことすら煩わしい質問だった。
「愚問だ」
『お主の身を削る覚悟はあるか』
答える寸前で、御調が無線に割り込んできた。
『司令、耳を貸してはなりません』
『妾はギドーに問うておる』
『ネシス、それだけは許さない』
電気信号が御調の殺気を伝えてきていた。
「御調少尉、君がもし得物に手をかけているのなら止めろ」
息を殺すのがわかった。
『……わかりました』
儀堂は御調に礼を言うと、ネシスを促した。
「ネシス、続けろ」
『お主の目を借りれば、シロを救い出せよう。眼帯を取り、我と視界を共有せよ。ただ、それだけでよい』
『それだけですって!? 司令、危険です。感覚の共有など、魔導を知らぬものが安易に使ってよいものではありません』
「御調少尉、悪いが時間がない。それに、君は私のことを多少なりとも理解しているはずだ」
『……司令』
「すまないね。シロがいなくなると、困る奴が多いのだ。それに確実に泣く子もいる。俺は女子供を泣かすために、ここに来たんじゃないんだ」
儀堂は右目の眼帯を取った。
「寛、この借りは返せよ」
◇========◇
次回6月10日(木)に投稿予定
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(本当に励みになります)
弐進座
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