夜を駆ける戦い(The longest night) 14
推進器は後進一杯かけているが、明らかに出力不足だった。じりじりと<宵月>は、ウナギの寝床のようなパナマ運河へ引きずり込まれていく。
「ネシス、応答しろ」
『艦長、
儀堂は、急激に温度が下がったように感じた。顔から血が引いたのだ。一瞬パニックなりかけ、儀堂は肩の傷口を無理やり押さえた。激痛で脳みそに喝を入れ、為すべきことを命じる。感情に身を任せるのは、危機を脱した後でよい。
「すぐに起こせ。どんな手段を使っても構わない。このままでは致命的だ」
冷たく有無を言わさない口調だった。受信先で息を飲む音が聞こえた。そのわずかの間すら惜しかった。
『努力しますが、このままでは困難です。司令、ネシスの魔力が吸い取られています。仮に意識を取り戻しても、全力発揮はできません』
「魔力が吸い取られていると、なぜ断言できる?」
『僅かですが、私も同様の感覚があります。恐らく、あのツタです。あれがネシスの魔力を収奪しています』
確かに、珍しくネシスが狼狽していた。
あいつが言う「捕まる」とは、このことだったのか。どうなるかわかっていたからこそ、<宵月>を無理やりにでも飛ばしたのだろう。
「わかった。ツタをなんとかすればいいのだな」
「はい、恐らく──」
「君は、ネシスの覚醒に全力を尽くせ。以上」
無線越しのやり取りを見守っていた興津が、恐る恐る尋ねてきた。
「司令、いかがしますか」
「やることは決まっている。我々は
儀堂は砲術長に無線をつなぐと、前部甲板の第一と第二砲塔の射撃統制を命じた。
「ありったけの弾を叩き込め。砲身が焼き切れてもかまわない。出し惜しみはなしだ」
命令は速やかに実行された。二連装、四門の砲から十センチ砲弾が吐き出され、次々と運河内の屍竜へ突き刺さっていく。
「まったく──」
儀堂は小さく呟いた。
気づかぬうちに、ずいぶんと軟弱になったものだ。なにもかもがネシス頼みにするとは、不甲斐ない限りだ。
アラビア、インド洋、東シナ、これまであいつ抜きで戦いぬいてきたではないか。
無意識のうちに口の片端が引き上げられ、歯が覗いた。自嘲を表情筋が律儀に現した結果だった。興津をはじめ、傍にいた兵士たちはぞっとした思いを抱いたが、口に出すことはなかった。
<宵月>の猛攻で屍竜の動きは鈍くなったが、止まったわけではなかった。ツタは船体前部を覆い、砲塔の動きを封じようとしていた。このままでは、いずれ行動不能に陥ってしまうだろう。
破滅は刻一刻と近づいてきていた。だが、座して死を待つのは、儀堂の全く本意ではなかった。ネシスを頼ることなど微塵も考えられない。不確定要素に縋るなど、思考の放棄と同義だからだ。
突入班を作るべきか。
いいや、あのツタが人間相手に手加減するとは思えない。それに人力でできるようなものではない。せめて火炎放射器があれば話は別だろうが。
機銃掃射は無理だ。機銃座の射界に入りきらない、
ならば、何がある。
考えろ、考えろ、何かがある。
ついにツタが完全に第一砲塔を捉え、完全に動かくなってしまった。第二砲塔もほどなくして同様の運命を辿るだろう。
畜生、改装時に砲塔ももう一つ増やしておくべきだったか。いや、駄目か。散布爆雷を外さなければ実装不可能だ。
待てよ。
いや……できるかもしれない。
「散布爆雷用意」
「散布爆雷ですか?」
裏返った声で興津が尋ね返した。正気を疑う目つきだったが、儀堂は気にしなかった。正気かどうかなど、この際どうでも良かった。
「あのツタは運河の底から伸びてきている。ならば、底ごと吹き飛ばすしかないだろう」
「しかし、運河が損害が出ます」
「構わない」
儀堂はひと際大きな声で断言した。
「俺が責を負う。どのみち、このままでは合衆国ご自慢の運河も使い物にならなくなる。連中には、ちょっとした拡張工事だと思ってもらおう。それから散布爆雷だけでなく、通常爆雷も投射する。信管の深度は浅めに設定しろ。爆薬で底ざらいしてやる」
「……了解」
儀堂は対潜要員に爆雷投下の指示を出し、興津は耐衝撃の用意を命じて回った。
<宵月>の前部、第二砲塔の後方にある装置が動き出す。巨大なラムネ瓶のケースを並べたような形状だった。瓶が上下逆さに収められたように見えるもので、それら一つ一つが散布爆雷だった。合計で二十四個の散布爆雷を収めた箱が仰角をとると、控えめな爆発音が連続して響き渡った。爆発深度の調整の必要はなかった。散布爆雷は接触式の信管で、目標に触れた途端作動する仕組みになっている。
散布爆雷と同時に、船体後部にある通常爆雷も四方へ投射される。信管の爆発深度は四十メートルに設定されていた。
船体前部に投射された散布爆雷は運河に着水すると、まっすぐ水底へ降りていった。その途中で数個が巨大なツタへ接触する。
<宵月>前方の水面に水柱が数本立ち上がり、それから少し遅れて全周囲に水柱が立った。
至近の爆発で船体は、これまで以上に揺動し、計器類のいくつかの硝子盤が割れて粉々になった。
「機関最大、後進かけろ!」
推進器が容赦なく回転し、6千トンの塊を運河から引き抜いていく。その動きは明らかに先ほどよりも滑らかになっていた。前部甲板に蔓延っていたツタがほどけて、水面へ落ちていくのが見える。
「御調少尉、ネシスの様子は?」
答えはすぐに返ってきた。
『ギドー、まだだ。奴め、復活しておるぞ。前を見ろ』
「なに……」
<宵月>の後進が止まった。
推進器に新たなツタが絡まり、動きが封じられたのだ。
直後、前部で複数の発砲炎を認める。屍竜の砲花が再生し、<宵月>へ向けて一斉射撃を行った。
着弾は四発だった。
一発は奇妙な弾道を描き、第二砲塔の砲身を叩き折った。二発目は電探に直撃し、作動不能にした。三発目は散布爆雷の投射機に命中したが、被害は小規模で済んだ。爆雷そのものを使い切っていたためだ。しかし、<宵月>がツタから逃れる手段を失うことになった。
ここまでならば中破判定だったかもしれない。しかし、四発目は致命的だった。
弾道の終着点は艦橋だった。
「ネシス……!?」
破滅は間一髪で免れた。艦橋の手前で方陣が展開され、敵獣の砲弾をはじき返した。しかし、方陣の効果は長続きしなかった。推進器に絡まったツタがネシスの魔力を奪い取り、枯渇させていく。方陣は点滅し、あっという間に霧散していった。
敵獣の砲花が紅く輝いた。
儀堂は未だに諦めなかった。
「戦闘指揮所へ退避!」
指揮所ならば装甲板に守られている。望みはまだあるはずだ。問題は俺の足で間に合うかだ。
敵獣から、これまでにない規模の強烈な閃光と爆発音が響く。
思わず振り向いた儀堂の目に映ったのは、燃え盛る敵獣の姿だった。
呆気にとられる儀堂の意識を、天の咆哮が呼び戻した。
「咆哮だと?」
目を凝らせば、火炎の上空に翼をもつものの姿があった。この世界の戦場にいるものならば、一度は目にしたことがあるシルエットだった。
「本艦前方にドラゴン認む」
見張り員が忠実に義務を果たした。
◇========◇
次回6月7日(月)に投稿予定
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弐進座
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