夜を駆ける戦い(The longest night) 12


 屍竜からの断続的な砲撃によって、ガトゥン湖に大木のような水柱が屹立していく。<宵月>も応戦するが、会敵時よりは命中弾は少なかった。避けられているのではなく、むしろ<宵月>のほうが逃げていた。


「最大戦速を維持。距離をとれ」


 針路は北西にとっていた。右舷にはバロコロラド島があるはずだが、今は黒い塊にしか見えなかった。座礁防止のための浮き漂が点滅している。両岸まで一キロもなく、こんな狭い水域で座礁などしたら、一方的に砲撃で嬲られるだけだろう。


 儀堂は可能な限り時間を稼ぐつもりだった。ネシスが覚醒し、<宵月>が飛行可能になれば圧倒的に有利になる。少なくとも奴に翼は生えていない。飛べない獣ならば、一方的に上空からつるべ打ちできるだろう。


 屍竜は<宵月>を追撃してきたが、すぐに追いつけそうになかった。総合的な砲戦能力は、まだ<宵月>のほうが上のようだ。距離が開くにしたがって、命中率が落ちつつあるのがわかった。敵弾による夾叉きょうさが少なくなり、遠弾が増えていく。


 奴に視力があるかは定かではないが、目視できるほどの距離でなければ脅威にはならないようだ。


「当たらなければ、どうということはないのだ」


 やはり畜生にすぎないか。もし相手が戦闘艦ならば、敵弾に夾叉きょうさされた時点で不利な状況に陥っていただろう。仮に同じ駆逐艦クラスなら絶対に負けはしない。軽巡でも、まずやりあえる(他国ならば<宵月>は軽巡に該当する)。


 重巡クラスから怪しくなってくる。二十センチ砲の直撃をくらって、ただで済むだろうか。戦艦は、まず無理だ。迷わず三十六計だ。


 横須賀で戦艦<アリゾナ>の亡霊と戦った時は、飛行していたからこそ撃破できた。純粋な水上打撃戦ならば、五千トンの漁礁が出来ただけだろう。


 儀堂は戦闘指揮所CICへ戻ると、敵獣との相対位置を確かめた。戦況表示盤シチュエーションボードには急ごしらえされた敵獣の標識が配置されている。徐々に中心から敵獣の標識が離れていくのがわかった。まずは引き離しには成功したようだ。


 儀堂は喉元を押さえると、魔導機関室へ回線をつないだ。


「指揮所より魔導機関へ。御調少尉、そこにいるな」


『司令、いかがされました』


「ネシスが覚醒したら飛行に全力を向けさせてくれ。間違っても指揮所の戦況表示盤の制御に魔導を使うな」


『承知しました。回線を切断しておきます』


「そうしてくれ」


『妾の力を見くびっておるのか』


 ネシスが不満げに割り込んできた。<宵月>を飛ばすことに比べれば、造作もないのだろう。


「違う。俺がただ後悔したくないだけだ。微力でも無駄にしたくはない。全てを戦闘につぎ込んでもらう」


 なおもネシスは不満そうに鼻を鳴らした。


『左様か。そこまで言うのならば、そういうことにしてやろう』


 プツリと耳当てから回線を切る音がした。儀堂は気にするそぶりも見せず、戦況表示盤に視線を戻した。内心では、やはり本調子ではないのだと確信する。普段のあいつならば、軽口を叩いてくるはずだ。


 目前では操作員が観測機器からの諸元を忙しなく標識に反映し、書き込んでいった。


 現在位置はバロコロラド島を過ぎ、ガトゥン湖の中心部に近いところだった。このままいけば、ガトゥン湖を一回りクルーズすることになりそうだ。


「そろそろ変針する。ガトゥン湖の南西まで奴をひきつけるぞ」


 ガトゥン湖は南西部のほうが狭くなっている。移動の制約がかかるが、運河から遠ざけるためには致し方がない。いざとなれば煙幕を展張して、時間をかせぐしかない。


 操舵に命令を下そうとしたとき、水上電探が異常を報せてきた。


『敵獣、変針の兆候あり』


 室内の高声令達器スピーカーが木霊する。


 マイクのスイッチを切ると、儀堂は戦況表示盤をにらんだ。


 やめろよ。そちらに行くなよ。


『敵獣、変針。針路を南東へ』


 操作員が戦況表示盤の標識の向きを変えた。


「司令、あの先には──」


 それまで押し黙っていた興津が声を上げる。何を言わんとしているのかわかっていた。


「副長、思うようにはいかないね」


 ド畜生めが。


 そちらに行かせてなるものか。


 変針した敵獣の針路上にはミラフローレス閘門、さらにその先にはパナマシティがある。このまま見過ごした場合、パナマ運河の心臓部は蹂躙され、世界の大動脈が機能を停止する。


 改めて儀堂は喉頭式マイクのスイッチを入れた。接続先は艦橋の操舵だった。


「百八十度回頭。敵獣を捕捉次第、砲戦を再開する」


 横方向に加速がかかり、儀堂は杖に体重をかけた。


 <宵月>はガトゥン湖の中心で大回頭を終わらせると、今度は逆に敵獣を追撃することになってしまった。


 半時間も経たずして、<宵月>は敵獣を射界に収めることになった。とにかく湖は狭く、相対位置次第で目まぐるしく攻守が入れ替わる戦いだった。


 屍竜はパナマ運河へ入り込もうとしていた。このまま運河沿いに追撃すべきか迷いが生じる。狭い運河内で敵獣が回頭してきた場合、<宵月>は対応できなくなる。そのときになってネシスが回復している保証はなかった。


 時間にして数秒後、儀堂は決断した。


「噴進砲、発射準備」


 興津がぎょっと見返す。


「ここで、ですか?」


「ああ」


「敵に腹を見せることになります」


 <宵月>の噴進砲は船体中央部に搭載されている。発射の際は横向きにならなければいけなかった。それは敵に対して、文字通りどてっ腹をさらすことになる。


「知っているよ」


 足し算を教えられたような顔で儀堂は答えた。興津は自身が莫迦なことを言ったと悟った。


「失礼しました」


「いいや、構わないよ」


 儀堂はそう言うと回線を噴進砲と操舵室に繋いだ。


「噴進砲発射準備、目標はパナマ運河内の敵獣。砲術長、操舵へ指示を出せ。君のタイミングで撃て」


 砲術長が嬉しそうな声で返事をしてくる。一度は撃ってみたかったらしい。


 まもなく<宵月>が最適位置につくと、すぐに砲術長は発射準備の手続きシーケンスに入った。無線を介して、その様子が中継される。


『電測より諸元受領。距離測定完了、目標照準宜し』


『目標、距離三千』


『噴進砲、発射準備宜し』


 数秒の沈黙が続く。焦れる感情が頂点に達しようとしたとき


『噴進砲、発射』


 <宵月>から亜音速の火矢が放たれた。


 八百キロの炸薬を搭載した激烈な一撃は、屍竜の後背部に到達、壮絶に爆裂する。


 瞬く間に背中に咲く砲花が三本吹き飛ばされ、夜空に散った。


◇========◇

次回5月31日(月)に投稿予定

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弐進座

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