夜を駆ける戦い(The longest night) 10
「撃ち方止め」
周辺に敵の反応が皆無になったところで、儀堂は砲塔と機銃座に命令を下した。艦の速度も第二戦速まで緩める。
続いて、儀堂は小休止と戦闘糧食の配布を命じた。すでに戦闘開始から数時間経過している。軽く腹に何かを入れなければ、身が持たないだろう。
塩辛い握り飯と具なしのみそ汁の入ったやかん、水筒が配られる。儀堂も一つ頂戴し、大急ぎでかっ食らった。
「司令、合衆国軍の動きが妙です」
興津が首を傾げ、通信室から戻ってきた。着水の衝撃で通信機器が故障していたが、ようやく修理して受信できるようになっていた。
儀堂は、何食わぬ顔で自身の口元を指さした。飯粒が付いている。興津は一瞬怪訝な顔になったが、すぐに意図を察すると口をぬぐった。
「何が起きている?」
儀堂は尋ねた。
「地上部隊が酷く混乱しています」
首をかしげる。不可思議なところはないように思われた。
「夜間にワイバーンに奇襲されたのだ。混乱しないほうがおかしくはないか」
興津は自身の報告に瑕疵があったと気が付いた。
「失礼しました。高射砲ではなく、歩兵や機甲部隊が戦闘に入っています。コロンやキューバ周辺で散発的な陸上戦が行われているようで──」
「相手は陸棲型の魔獣か」
「はい。タイプは不明ですがビーストと明言しています。ワイバーンの習性から、降下戦闘を行ったとは思えません」
「だとしたら、戦況は芳しくないな」
儀堂は確信をもって断言していた。パナマ地峡の大部分は森林地帯だ。昼間でも視界不良なのだから、夜間ともなるとほとんど相手の種別もわからない状況で戦うことになる。下手をしたら、近接戦闘からの銃剣突撃だ。
「BMの出現報告は?」
飛翔可能なワイバーンならば、遠く離れたBMから渡航可能だ。ただし、体力の限界があるため、長距離の渡洋侵攻は不可能だ。せいぜい、カリブ海を横断するのが関の山だろう。
儀堂はオーランドBMが策源地になっているのではないかと疑っていた。フロリダにあるBMならば、ワイバーンでも島伝いにパナマに辿り着ける。
しかし、陸棲型の魔獣が現れたとなると話が変わってくる。陸伝いに侵攻できる距離にはBMは存在しないからだ。ならば、可能性は一つだった。
「どこかに新たな月が現れていないか。合衆国軍が陸棲型の侵攻を見逃したとは思えない」
「いいえ。自分もその可能性を考えましたが、無線傍受する限り、新たなBMの出現報告は見られませんでした」
「そうか」
あるいは、単に発見できていないだけかもしれない。野生化した魔獣の群れかもしれなかったが、統制がとれすぎていた。何よりも数が多すぎる。加えて、もっと腑に落ちないことがあった。戦闘開始から考え続けていたことだった。
いったいどうやって、あの数の魔獣が誰にも見つからずに侵入できたのだ。カリブ海は絶えず合衆国海軍が哨戒しているはずだ。パナマ周辺のレーダーサイトも警報を発しなかった。ここに至るまで、何重もの警戒線があったはずだが、いずれにも引っ掛からずにパナマは襲撃された。
まるで、どこかからか降ってわいたかのようだ。
BM抜きでは考えられなかった。
畜生、わからない。
儀堂は目前の脅威に意識を向けることにした。わからないことに囚われても仕方ない。目の前の魔獣をぶち殺してから、ゆっくり考えるとしよう。
「コロン方面の敵獣の位置はわかるか。おおよそでかまわない」
興津は険しい顔になった。全く不明か、もしくは明確だが厄介な状況、いずれかの反応だ。この場合は後者だった。
「かなりガトゥン湖に近いです。なにしろ<宵月>で、前線の救援要請が拾えるくらいですから」
前線の将兵が所持する携行無線は、低出力の周波しか出せない。発信機から離れるにしたがって、無線の波は減衰していく。それが拾えるほどの距離となれば、決して遠くはないだろう。
「実は、もう一つ気になることが」
興津がためらいがちに続けた。言うべきか否か迷っているようだった。
「なんだい?」
儀堂は普段と変わらぬ口調で促した。
「敵獣の数なのですが──」
「大隊規模の
一千体以上の群れが現れたのならば、苦戦も止むを得ないだろう。しかし予想に反し、興津は首を振った。
「いいえ、どうやらコロンに現れたのは一体だけのようです」
「一体だと?」
「はい、そいつにかなり手こずっているようです」
たったの一体で、パナマ周辺の合衆国軍を翻弄するなど、どんな化け物なのだ。
そんなやつは今まで……。
いや、いた。
「まさか」
『……ギドー、来るぞ』
「ネシス、何が来るのだ?」
答えを聞く前に、<宵月>の電探が捉えていた。
『反射波あり。高速飛行体が複数接近。大口径砲弾の可能性大』
電探室から怒号のような報告が上がってくる。
数秒後、儀堂は身をもって思い知ることになった。
船体を衝撃が包み、危うく昏倒しかける。踏ん張った拍子に鎖骨の銃創がうずく。軍医からもらった痛み止めが切れてきたらしい。
よろめきながら、耳当てがずり落ちないように押さえる。各所の見張り員から矢継ぎ早に報告が上がってきていた。
『右舷に至近弾認む。数は三』
『左舷後方に遠弾認む。数は三乃至四』
直撃を食らったわけではなそうだ。だが、もたもたしてはいられなかった。
「最大戦速」
一気に増速したことで船首が水面を切り裂き、航跡波が広がっていく。
「ネシス、横須賀に来た奴と同じか?」
合衆国海軍の亡霊戦艦<アリゾナ>だ。一年前に横須賀に飛来し、一面を火の海にした。その後、<宵月>の噴進砲を食らい、沈黙した。
『似てはいるが──』
電探が第二波の飛来を伝えてきた。
『……儀堂、すまぬ。妾の目になってくれ。恐らく、おぬしが直接見たほうが早い』
「わかった」
儀堂は戦闘指令室から艦橋へ上がった。すぐに敵の居場所は分かった。ガトゥン湖沿岸、コロン側の北から、断続的な砲撃音が聞こえる。恐らく合衆国軍が迫りくる魔獣と戦闘しているのだ。
やがて、黒煙と赤茶けた火炎が吹き上げるのが見えた。間髪入れず、まばゆいほどの火柱が天を突いた。近くの燃料集積所に飛び火したのだ。橙色の禍々しい松明が、敵獣の姿を露わにした。
『見えるか?』
「いや、何も……」
紅蓮の炎に映し出されたのは、聳え立つ山にすぎなかった。
「待て」
こんなところに、山などあるはずがない。
山から大木が伸びていく。
やがて、その先端が二つに割れ、歪な山鳴りがガトゥン湖を震わした。
◇========◇
次回5月24日(月)に投稿予定
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弐進座
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