夜を駆ける戦い(The longest night) 8
【パナマ港 <大隅>】
─とことんついてねえ。
格納庫の片隅、そこに設けられたシロの保護室で戸張は思った。
懐から煙草を取り出すと、戸張はポケットをまさぐった。畜生、ライターを待機室に置きっぱなしだ。
「お前、火くれるか」
冗談交じりに、シロに話しかける。白い竜は頭をかしげ、小春が眉をひそめた。
「やめてよ。この子、たまに言葉がわかっちゃうんだから」
妹の窘められ、戸張は肩をすくめた。
「ねえ、兄貴」
「なんだあ?」
「この船、沈まないよね。ここに閉じ込められたまま、出られなくなったりしないよね」
いつになく小春はしおらしかった。こいつが、こんな顔をするのは何年ぶりだろうか。ああ、思い出した。数年前、疎開先に迎えに行った時以来か。
戸張は、ふと破顔すると手を左右に振った。
「安心しろ。
いつもの調子の兄に、小春は安堵したようだった。少々、大雑把なところのある兄だが、いくつもの戦場を潜り抜けた猛者だ。きっと、こんなことは日常茶飯事だったのだろう。
「そのうち、ここからも出られるだろうさ」
戸張はぼやくように言った。不運なことに、彼らはシロの保護室に閉じ込められていた。被雷した衝撃で、扉が妙な方向に固まってしまったらしい。突貫工事で保護室を設営したのが、仇になってしまった。
さらに間の悪いことに、格納庫の近くには誰もいなかった。いかに飼いならされているとはいえ、魔獣の竜の近くで勤務したがるものはいなかったのだ。
しばらくして格納庫の異変に気が付いた整備士へ、戸張は状況を伝えることができた。しかし、すぐに出るのは無理そうだった。
─まだ傾いていやがるな
三半規管内のリンパ液が偏っている。
だいたい右舷側に3度ほどだろうか。<大隅>の船体が傾いているのがわかった。
<大隅>の司令部要員は、まだ触雷によるものだとは断定していない。衝撃と同時に舷側に大きな水柱が立ったことは確かだが、上空の<宵月>からは潜水艦の存在は観測できなかった。
船内では一時的に混乱が生じたが、六反田と矢澤が迅速に終息させていた。かつて地中海で死線を潜った二人にとって、手慣れたものだった。状況把握と現状分析を数分もかからずに終わらせると、右舷の水密区画の閉鎖と左舷注水が命じられた。
<大隅>は船体右後部、推進器の近くが損傷していた。幸いスクリュー本体と舵は無事だったため、航行に支障はなかった。
会議室で艦内電話の受話器を置くと、矢澤中佐は上官に向き直った。
「完全復元まで、二時間の見込みです」
六反田は長椅子で渋い顔で頷いた。衝撃に瞬間、強かにしりもちをついてしまい、動くのが難儀になっていたのだ。
「<宵月>はどうだ?」
湿布薬を腰に貼りながら、六反田は尋ねた。
「コロンから侵入してきた魔獣を全力で迎撃中です。<大隅>の電探でも捉えています。電測士が度肝を抜かれていましたよ。<宵月>を中心に次々と反応が消えているそうで、機器が故障したのかと心配していました」
「せいぜいパナマと合衆国に恩を売りつけてやるか。こいつは高値になるぞ」
そろばんをはじく手つきで、満足そうに六反田は肯いた。
「支払いはドルにしますか」
「叶うならば
冗談とも本気ともつかない言い草だった。反応に困り、矢澤は話題を変えることにした。
「誰だか知りませんが、随分となめたことをしてくれました」
いつになく、自身でも無意識のうちに感情を露わにしていた。仮にも帝国海軍の船が一戦も戦わずして沈むなど、冗談では済まされない。
「全くだ。だが、まあ考えたものだ。停泊中の船ほど、良い的はないからな」
六反田は苦し気に立ち上がると、テーブルまで歩み寄った。パナマ湾一帯の地図が広げられている。
「おい、矢澤君。復元次第、<大隅>を海へ出すぞ」
矢澤は意外な顔つきになった。
「魔獣が、ここまで来ると?」
「いや、違う」
六反田は即座に否定した。
「嫌な予感がしないか。動けない<大隅>に、遠く離れた<宵月>だぞ。しかも、周辺に味方はいない。合衆国軍は
「<宵月>が簡単に落ちるとは──」
言いかけて、矢澤は気が付いた。いったい、この中で誰が<大隅>の事態を予測できたのだろうか。少なくとも俺は思いつかなかった。もっと遡れば儀堂少佐の拉致とて同様だ。
「飛行中隊に待機命令を出しましょう」
矢澤は立ち上がった。六反田は止めなかった。
「それがいい。機関室にも伝えてくれ。いつでも全力発揮できるようにさせろ。夜明けと同時に出撃だ。発艦に速力が足りなければ──」
矢澤が艦内電話を取ろうとしたとき、待ち受けたようにベルが鳴った。
「どうした?」
受話器をとったまま、絶句する副官に六反田は尋ねた。
「閣下、夜明けと言わずに飛び出した輩がいます」
「……どういうことだ?」
矢澤は一呼吸置くと、整備士の報告をそのまま伝えた。
「シロが格納庫から脱走しました」
「なるほど、確かにそのようだな」
六反田の視線、その先にある舷窓から夜空を裂く火炎が見えた。
◇========◇
次回5月17日(月)に投稿予定
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弐進座
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