夜を駆ける戦い(The longest night) 7

 流れるように、儀堂は魔導機関室へ向かった。なりふり構わず走り抜けていきたいところだったが、士官としての節度が彼を制御していた。艦内には負傷した兵士が横たわり、応急班の兵士が上へ下へと蠢いている。誰も必死の形相の指揮官など見たくはないだろう。


 通路から魔導機関室が見えてきたときに、明らかな異変に気が付いた。駆逐艦らしからぬ分厚い扉が開かれっぱなしになっていた。仮にも戦闘配置中だ。本来ならば開いているはずがない。


 さらに、危機的な異変がある。


 扉の前に血だまりが出来ていた。


 思わず速歩から駆け足になる。


「おい」


 扉の前には兵士が倒れ伏していた。最初に興津が伝令に派遣した兵士だ。背後が赤黒く染まっている。背中から一突きされ、絶命していた。


 生存を絶望視しながらも脈をとったが、肌は冷たく、やはり何も感じなった。


 室内に目を向ければ、室内灯は消えて暗闇に閉ざされている。通路から漏れた明かりが、一角を照らし出し、暗闇から突き出た足が見えた。キールケの靴を履いた足だった。


 すぐさま駆け寄ると、ぐったりとしたキールケが横たわっていた。倒れたキールケの首筋に手を当てると、まだ温かった。それだけではない。


「脈がある」


 ほっと胸を撫でおろした。まずは医務室へ連れていくべきだった。しかし、あの伝令の兵士は、なぜ死んだと断じたのだ。


 小さく空気の裂くような音が鳴ったのは、その時だった。間髪入れず、鋭利な金属音が響き、床に何かが落ちた。


 匕首だった。儀堂の背中に向かって投げつけられたものだ。


「古式ゆかしい暗殺手段だな」


 入り口に立つ人影に向かって、儀堂は言った。彼の横には刀を構えた御調少尉が立っていた。匕首が投げつけられた瞬間、室内の暗闇から彼女が叩き落としたのだ。


「なぜ、わかった」


 男は伝令の兵士だった。戦闘指揮所にキールケの死を告げてきた者だ。


「君は興津中尉を見くびっている」


 儀堂は冷めた声で言った。


「どこでどうやって紛れ込んだのかは知らないが、彼が知らない兵士などいるわけがない。なぜなら、この艦の人選に彼は噛んでいる。私が正式に着任する前から興津中尉は<宵月>の面倒を見ていたのだ。補充人員だとしたら、私が知らないはずはない。私が選んだからな」


 儀堂は懐から、愛用のルガーP08自動拳銃を抜いた。父の形見で、かつてネシスに9㎜弾を叩き込んだものだった。


「さて、貴様は誰だ」


 問われた男は無言で扉の前から姿を消した。


「待て」と叫んだ儀堂の背中に硬質の感触が押し付けられた。形状から銃口だとわかった。


「動かないで」


 その声は震えていた。仄かなフレグランスの香りが背後から漂ってくる。


「君は女優になれるな」


 儀堂は言った。


「ふざけないで」


 キールケは怒気をはらんだ声で返した。心底憤っているようだった。


「キールケ、お願いです。止めてください」


 御調が刀を構えた。眉をひそめているが、焦った様子はなかった。むしろ、落ち着いてすらいた。


 キールケは首を振った。


「悪いけど、それはできないわ。御調、そこをどいて」


 懇願するように、キールケは言った。御調は無言のままだったが、視線を儀堂の方に向けた。


「今は、彼女の言う通りにしてくれ」


「了解」


 御調は刀を降ろすと、音もなく後ろへ下がった。


「あなたの銃を預からせてもらうわ」


「それは難しいな。形見なんだ」


 儀堂は淡々と答えた。背中に強く銃口が押し当てられた。


「早くして」


「……後で返してもらうぞ」


 儀堂は後ろ手に銃を渡した。キールケはポケットに銃をしまうと、床に置いたブリーフケースを手にした。


「そのままゆっくりと歩いて。身体は御調に向けたまま、背後から斬られるなんて御免よ」


「ひとつ聞かせろ。ネシスに何をした? あいつが、黙って見ているはずがない」


 最奥に鎮座するカプセルから、一切の気配を感じられなかった。仮に施錠ロックされていたとしても、あの鬼ならば打ち破って出てくるはずだ。


「安心して。眠っているだけよ」


「そんなことができるのか」


 儀堂は少なからず驚いた。あいつには一切の薬物は効かなかったはずだ。どんな魔法を使ったのだ。


「大半の脊椎生物は、酸素濃度が低ければ昏倒するわ。あなたの国の魔導機メイガスは、少し頑丈すぎたのね。それが仇になったのよ」


 キールケは魔導機の酸素供給装置に細工を施していたらしい。急激に酸素濃度が低下したことで、ネシスは昏倒した。結果として、<宵月>は糸の切れた凧のようにガトゥン湖に落ちたのだ。


「危ない賭けをするな。下手をすれば君も死んでいた」


 部屋の外へ足を進めながら、あきれるように儀堂は言った。


「もう、そうするしかなかったのよ」


 キールケは自嘲した。自分でも愚かな選択だとわかっていたようだ。あるいは無意識の自殺願望が発露したのかもしれない。


 キールケと儀堂が後ろ向きに魔導機関室から出ると、通路には兵士に化けた男が立っていた。


「手土産はどこだ?」


 かなり訛りのあるドイツ語だった。キールケは片手に持ったブリーフケースを手渡した。


「これが全部よ。無くさないでね。あなたのご主人を失望させることになるから」


「失望、それは困るな」


 男は不敵な笑みを浮かべた。


「福建あたりか」


 儀堂が男に話しかけると、口元から笑みが消えた。


「四川だ。出鱈目をいうな」


 流ちょうな日本語だった。ドイツ語とは対称的で、なまりなど一切感じられない。よく訓練されていた。


「なるほど、やはりシナ人か」


 儀堂は片方の口角を上げた。鎌をかけられたと男は気が付いたが、怒ることもなく艦外へ向けて歩き出した。


 もはや正体を隠す必要はなくなったようだ。キールケは銃を、男は二本目の匕首を儀堂に突き付けながら、艦内を練り歩いた。


「どけ。お前たちの上官の血を見たいのか」


 途中で抵抗を試みる兵士もいたが、儀堂が拘束された状態では為す術もなかった。せいぜい遠巻きに送り狼のようについていくしかなかった。


 ものの十分もかからずして、儀堂たちは甲板に出てしまった。


 甲板に出ると男は兵士たちに命じて、短艇カッターを降ろす準備をさせた。兵士たちは苦々しい顔で従った。


「君は賢明な人だと思っている」


 舷側に降ろされた短艇を見ながら、儀堂は小声でキールケに言った。


「そうありたいわ」


「……不本意だよ」


「ええ、そうね。でも、覚悟はしていたの」


「……そうか」


「ごめんなさい」


 銃声が木霊し、儀堂は倒れた。


 誰もが声を失った。暗殺者の男すら呆気にとられていた。


 二発目の銃声が鳴り、キールケの胸が紅く染まった。


「日他娘的!」


 罵り声をあげると、男はブリーフケースを手に湖へ飛び込んだ。



◇========◇

次回5月13日(木)に投稿予定


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弐進座

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