夜を駆ける戦い(The longest night) 5
<宵月>は垂直に離水すると、高度計が三百を指したところで、その場で九十度の旋回を行った。艦首がパナマ方面を向くと、儀堂は微速前進を命じた。
「合衆国軍の了解は得ている。我々の任務は港湾部の防衛だ」
喉頭式マイクを経由し、艦内放送を行う。簡潔かつ端的な状況説明だった。続いて、喉元のスイッチを切り替え、魔導機関室へ繋いだ。
「ネシス、聞こえているな」
『聞こえておる。そして視えておるぞ。早うせい。獣どもが四方八方から湧いてきておるぞ」
「水棲型の感知はできるか」
『待て』
<大隅>への攻撃が魔獣によるものか確かめておきたかった。
『いいや、おらんな。少なくとも、そこもとにはおらんぞ』
「わかった。俺が良いと言うまで、今の針路維持しろ」
『一気に突っ込むか?』
「まだだ」
即断すると、儀堂は副長の興津を見た。
「合衆国空軍との連絡はついたかい?」
「つきましたが、こちらの誘導は出来かねるそうです」
儀堂は六反田を通して、近くの合衆国空軍基地に管制誘導の要請を出していた。市街近くを飛行するためだ。ことに夜間飛行は<宵月>でも経験が少なかった。北米を横断した際は、基本的に昼間しか飛行は行っていない。
夜間は目視確認ができないため、周辺情報が中間よりも制限される。現行の航空機でも、機材の整った大型機ですらベテラン操縦士の力量次第で容易にロストする。
「やはりか。それでは困るのだが、まあいい」
「いかがしますか」
「少し待て」
再度、喉頭式マイクのスイッチを入れる。回線は魔導機関室だけではなく、主要部署に対して開かれている。
「ネシス、お前の目はどこまで利く? <宵月>の進行方向から少し左側に運河と森があるはずだ。見えるか?」
『見える。山々より舞う木の葉までとはいかんがのう。だが、たゆたう水の流れくらいは感じ取れる』
「わかった。運河沿いに街から離れて進んでくれ。しばらく行くと河が二つに分かれたポイントがある。そこが<宵月>の戦場だ」
『よかろう』
「それから、途中でお前が撃てると思った敵は全て撃て。行きがけの駄賃だ。ただし、街には落とすな」
『言われずとも──」
喉の奥が鳴る音がした。きっと嗤ったのだろう。
「砲術長、聞いていたか? ああ、すままい。その通りだ。ネシスが指定した目標に順次砲弾を叩き込んでくれ。ああ、そうだ。いいや、噴進砲は私の許可を待て。そうだ。そのときは回線をつなげ。あとは使用自由だ」
<宵月>はパナマ運河西方に沿って、北上を開始した。まもなく前後に据えられた4基の8門の10センチ連装砲が火を噴いた。艦内に重い破裂音が響き渡る。戦闘指揮所は船体の中心部にあるため、音がこもって聞こえるのだ。
慣れない感覚だと儀堂は思った。
北米、シカゴで戦ったときは露天艦橋で砲煙にさらされながら指揮を執っていた。それが今は、四方を鉄板に囲まれた部屋で命令を下している。仮初の安全地帯だった。駆逐艦の装甲など高が知れているが、それでも機銃座や吹き曝しの露天艦橋よりは心理的に保護されていた。
その証拠に、火ぶたが切られたのにも関わらず、指揮所の要員は落ち着いていた。それは決して訓練の成果だけではないはずだと、儀堂は思っていた。
かつての日本海海戦のように、波濤を浴びながら号令をかける時代ではなくなりつつあった。合衆国や英国でも指揮所の導入は進んでいる。いずれ日本でも<宵月>に限らず、導入されていくだろう。
儀堂の目前では戦況表示盤が慌ただしく変化している。御調少尉が構築した式神との連動制御は、今のところ正常に動作していた。飛行型魔獣の駒に、次々と撃破の標識が付記され、盤外へ消えていく。そして消えた端から、新たな駒が現れた。
パナマ市に警報が鳴り響いてから、早くも一時間が経過しつつあった。多少の混乱があったが、全般的な状況は落ち着きつつあった。
パナマ市周辺に現れた魔獣の
夜間戦闘機の追撃を免れた魔獣は二十数体まで減じていた。
それらは、何のためらいもなく運河沿いに配備された高射砲の弾幕に突っ込んだ。合衆国軍は過剰ともいえる防空体制を敷いていた。この夜、大小合わせて二百門近い火砲が星空へ向けて、曳光弾を放った。
何も知らない住民たちは、まるで花火のようだと思ったかもしれない。あまりにも凶悪で末世的な空の火遊びだった。
合衆国軍は八割近い魔獣を肉片に変えたが、結果的に十体以上のワイバーンが防空陣地を突破してしまった。
理由はいくつかある。銃座が機械化されていなかったため、砲照準が追いつかなかった。目視と探照灯に頼らざるをえなかった。
何よりも困難だったのは、魔獣が散発的に侵入し続けたことだった。奴らは編隊飛行など行わず、ただ各々が点でばらばらに飛び続けていた。そして、ひたすらにパナマ市を目指した。まるで帰巣本能に突き動かされているからのようだった。
あるいは戦闘艦艇に配備されている高射装置ならば、捕捉しきれたかもしれないが、それらは大掛かりすぎて地上での運用には向いていなかった。
パナマ市に辿り着いた魔獣が煌々と光を放つ街並みを視界に入れたとき、横合いから徹甲弾で殴打されることになった。
<宵月>だった。
<宵月>は、絶えず砲弾をパナマ郊外へ向けて放ち続けた。それらは飛行型魔獣のワイバーンのどこかに突き刺さり、肉片の雨に変えていった。
パナマ湾を発した鋼鉄の月は、ガトゥン湖とマッデン湖の合流点、その上空に鎮座していた。
そこからならばパナマ市へ侵入する魔獣を満遍なく防空圏へ誘い、息の根を止めることができた。
空襲警報の発令から二時間後、<宵月>の戦況表示盤から魔獣の駒が消えた。
「司令、電探に反応なしです」
興津が敵の消滅を告げてきた。
「まだだよ。まだきっとくる」
儀堂はしばらく警戒を解かなかったが、やがて意を決した。
「コロンへ向かう」
大西洋側のコロン市も魔獣の襲撃を受けていた。パナマへ向かってきたのは、コロンを素通りした一部に過ぎない。コロンは飛行型のみならず、水棲型の魔獣が上陸し、市民にも被害が出ていた。合衆国軍の無線は阿鼻叫喚の様相を告げている。
儀堂はマイクのスイッチを切り替えると、魔導機関室に回線を絞った。
「ネシス、行けるな?」
『言わずともわかること聞くな』
儀堂は苦笑した。
「ならば行くぞ」
その直後だ。
<宵月>が大きく揺れ、高度計の針が急激に減じていった。
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次回5月6日(木)に投稿予定
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弐進座
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