夜を駆ける戦い(The longest night) 4

【パナマ港 <宵月>】

 1946年2月16日 深夜


 <大隅>からの第一報は23時にもたらされた。


 そのとき儀堂は艦長室で航海日誌をつけていたところだった。最初のコールも鳴りやまぬうちに、艦内電話を手にすると、興津が簡潔に状況を報告してきた。


 <大隅>が何者かの攻撃を受け、船腹に破孔が生じた。現在、全力で復元中とのことだった。


「わかった。すぐに指揮所へ上がる。君はそこで待ってろ」


 すぐに儀堂は近くの杖を手に取り、左足に重心をかけて立ち上がった。数日前に拉致された際、儀堂は右鎖骨直下に銃撃を食らった。食い込んだ弾丸はすでに摘出されているが、常人ならば病室で療養すべき状態だった。一歩進むごとに激痛が身体を貫き、奥歯に力が入った。


──畜生め。痛みごときに動きを制限されるとは。


 忸怩たる思いを抱えながら、部屋を出る。


 他の連中ならモルヒネでも打ったのかもしれないが、儀堂の選択肢には含まれていなかった。いつぞや中毒に陥った先任士官が味方に向けて機銃掃射を命じたのを目撃したからだ。その士官はすぐに羽交い絞めにされて事なきを得たが、あんな姿は御免だった。例え痛みから解放されるとしても、それが正気と引き換えなら意味がない。


 いつもなら数分足らずで戦闘指揮所へ着くのだが、今はひたすらに長く感じた。慣れない杖をついているせいかもしれない。介助の従兵をつけてはどうかと興津から提案があったが、儀堂は拒否していた。そんな人的余裕は海軍にない。


「手を貸してあげましょうか」


 背後から声をかけられる。特徴的なハスキーな声だった。


「キールケか」


「ほら──」


 キールケは儀堂の肩をもった。


「いや……」


 儀堂は制止しようとしたが、途中で思い直した。今は一刻も早く指揮所へ行くべきだった。


「すまない。やはり頼む」


「賢明な判断よ」


 キールケは微笑みを浮かべると、連れ立って歩いた。


「まだ艦に残っていたのかい」


「やることが多いのよ。明後日から来れなくなるでしょう」


「確かに」


 キールケが乗る<大隅>はパナマ運河を通過する予定だった。いずれはカリブ海で<宵月>と合流するだろうが、本格的な航海が始まれば気軽に行き来できなくなる。とはいえ、それも<大隅>の被害次第ではあるが。


「あなたとしては肩の荷が下りるのはなくて?」


「どういう意味かな」


 儀堂は心外そうにキールケを見た。


「私がいると兵士の気が散るとか言ってなかったかしら」


「君がうろちょろと動き回るからさ。君自身を疎んでいるわけではない」


「あらそう──」


 拍子抜けしたようにキールケは言った。


「それに君には感謝している」


「でしょうね」


 無意識のうちに自嘲が含まれていた。彼女は魔導機関に関わる周辺機器の開発と調整を行っている。何かと扱いの難しい演算機の扱いもキールケのおかげで取り回しがしやすくなっていた。


「勘違いしないでほしいな。もちろん技師として君のことは信頼してるが、俺が感謝しているのはそこではない」


「え……」


「小春ちゃんだ。あの子の可能性を広げてくれただろう。小春ちゃんは大学へ行きたがっていたんだ。君は良い先生であるとともに、得難い先達者だと思う」


先生リーハァね……」


 まもなく戦闘指揮所へ続く階段までたどり着くと、儀堂はキールケから離れた。


「ここまででいい」


「何を言っているの? 階段よ? ここからが大変でしょう」


「いいんだ。これくらいなら堪える。上では部下が待っている。俺は彼らが望む姿を演じる必要がある」


「ああ、そう。女を連れた奴はお望みではないのね」


 キールケは棘のある声で言った。儀堂は首を振った。


「少し違うな。独りで立てぬ者が居てはならないのだ」


 儀堂は手すりを握ると、改めてキールケに向き直った。


「キールケ、有り難う。君は魔導機関室に居ろ。<大隅>に戻れるようになるまで、少しかかるぞ」


 そういうと、儀堂は一歩ずつ上っていった。


 やがて指揮所の扉が開けられ、慌ただしい喧騒の中へ入ってしまった。


さようならアゥフ ヴィーダーゼン


 母国語で告げ、彼女はその場を立ち去った。



 指揮所は混沌を極めていた。どうやら数分の間に劇的に状況が変化したらしい。


「何があった」


 儀堂に対し、興津がすぐ応えた。


「司令、敵襲です。コロン方面からパナマへ複数の魔獣が飛来。合衆国軍と戦闘に入りました。すでに<宵月>の電探で捉えられています」


 二人は戦況表示盤シチュエーションボードの前へ立った。


 <宵月>の西方に複数の標識が配置されている。飛行型魔獣の駒だった。まだ距離はあった。


「<大隅>の状況は?」


「ひとまず浸水は止まりましたが、傾斜復元に時間がかかるそうです。すぐには動けません」


「よろしい。六反田少将へつないでくれ。これから必要な措置をとる」


 数十分後、艦内の高声令達器スピーカーの全回線が開かれた。


『総員、合戦準備。これより<宵月>は緊急離水、パナマに襲来した魔獣を撃破する』


 直後、<宵月>を中心に方陣が展開される。


 鋼鉄の月が目を覚ました。


◇========◇

次回5月3日(月)に投稿予定


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弐進座

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