夜を駆ける戦い(The longest night) 3

 シロの部屋・・は格納庫の一角に設けられていた。部屋と言っても、広さは戸張の愛機<烈風>二機分ほどで、一頭の竜が手足を伸ばせるほどのスペースは確保されている。


「おい、どうした?」


 巨大な二重扉を開くと鈍い金属音が響き、戸張は部屋の中に入った。


 赤色灯に照らされた室内、その奥でシロは窮屈そうに頭を天井にこすりつけ、うなっていた。


「お前も、ずいぶん難儀しているようだな」


 部屋の面積は確保できたものの、高さはどうにもならなかった。元々、<大隅>計画段階では、竜を待機させるなど想定されていなかったのだ。この仮の厩舎とて、突貫工事で間に合わせたに過ぎないのだ。


「さっきまで大人しかったんだけど」


 兄に続き、室内に入った小春は心配した様子で、シロに近づいた。


「放射は済ませたのか?」


 野太いシロの首に手を当てながら、戸張は振り向いた。返事を聞く前に、答えはわかった。さほど熱は伝わってこない。


「一昨日済ませたばかり」


 小春は戸張と並ぶと、同じくそっと首をなでた。


 竜のシロは定期的に炎を吐き出す必要があった。人間の尿意に似たものらしい。キールケの仮説によれば、体内に毒性の化学物質を貯蔵する嚢の器官をもっており、それらを排出しなければ毒素で死んでしまう。体外への排出は口腔からの火炎放射によるものしかなかった。


 周期は不定期だが、これまで三から四日程度の間が空いている。次の放射までは少し早すぎる。


「そうかい。じゃあ、決まりだな」


「え……」


 前触れもなく、シロが大きく吠えた。小春は思わずたじろぎかけたが、兄は微動だにしなかった。


「わかるぞ。俺だって、我慢の限界だ


 小春は兄の視線が自分の先、シロの翼へ続いていることに気が付いた。


「こいつは、飛び出したいんだよ」


 戸張は静かに言い切った。小春は首をかしげた。


「昨日、飛んだばかりよ。兄さんだって見ていたでしょう? パナマの港にいっぱい人が集まって、シロの飛んでいる姿を見に来ていたじゃない」


 小春の兄は自嘲気味に笑った。そうだ。こいつとは無縁の話を俺はしている。


「そうじゃねえ。言い換えるとな。こいつは暴れたがっているんだよ」


 なおも首をかしげる妹の背後で、シロが大きく肯いたように見えた。


「よぉし、決めた! 小春、明日はこいつと一緒に飛ぶぞ」


「え? できるの?」


「六反田少将に頼み込んでみるさ。なあに、いざとなったら──」


 戸張が何事か言いかけた時、<大隅>の船体が大きく揺らいだ。


 直感で戸張は察した。


「こいつは……」


 雷撃だった。


 

【ガトゥン閘門 空母<グラーフ・ツェッペリン>】

 1946年2月16日 夜


 キューバで騒乱が起きる少し前、ドイツ帝国海軍クリーグスマリーネ|の空母<グラーフ・ツェッペリン>はガトゥン閘門を通過している最中だった。航行しているわけではない。機関は動き続けているが、推進器は停止している。水位調整のために。彼女はしばらく控えて居なければならなかった。


 ガトゥン閘門は大西洋側のカリブ海と内陸のガトゥン湖をつないでいる。三つの閘室を備え、通過時に水位を調整を行っているのだ。


 乱暴なたとえだが、高低差のある細長い函を三つ繋いだと思えばよい。それぞれの函は内陸のガトゥン湖に行くにしたがって、水位が上がっていく。箱の間は水密扉によって仕切られており、内部の水量調整することで、水位の高低差を制御できるようになっていた。


 たった今、<グラーフ・ツェッペリン>はカリブ海側の最後の閘室に収められていた。両脇はコンクリート製の壁で、前後を後を水門に挟まれている。


 端的に言えば、長い函に押し込まれた状態だった。


 その様は、まるでミニチュアのおもちゃ箱のようだ。


 ベルンハルト・フォン・アドラー大佐は幼いころに父からもらったヨットのおもちゃを思い起こした。細長い木箱に収められ、帆を自分で組み立てなければならなかった。木製で水に浮き、近くの小さな池で遊ばせたものだった。思えば、あれこそが彼の原風景だった。


「名残惜しさすら覚える間もありませんでした」


 アドラーの横に立つ、副長が小声で呟いた。


「確かに、少々人使いが荒すぎるのは認めよう」


 苦笑しつつ、アドラーは肯いた。


 空母<グラーフ・ツェッペリン>は、二日ほど前にパナマ港へ到着したばかりだった。もちろん、パナマ運河を経由して至ったのである。そこから僅か一日も経たずして、<グラーフ・ツェッペリン>は再びパナマ運河を通過することになった。


 既定の予定であった。やむを得ない事情も含まれている。パナマ港の船舶受け入れ能力が完全に飽和したのだ。日英米に加え、南米諸国の船が押し寄せている現状では、とてもではないが<グラーフ・ツェッペリン>を受け入れる隙間はなかった。


 おかげで陸を目の前にしながら、兵士たちは土を踏むことができなかった。とてもではないが、そのような贅沢な時間が残されていなかったのである。


 大西洋側のコロン港も似たような状況だった。かろうじて岸壁を確保できたが、それも短期間にすぎない。


「外相閣下を運ぶリムジンとしては立派なものだったと思うよ」


 アドラーが茶化すように言うと、艦橋内に失笑があふれた。


 <グラーフ・ツェッペリン>が、三万トンの巨体に乗せてパナマへ届けたのはドイツ帝国外相のリッベントロップと外交使節団だった。


 彼女はリッベントロップに一種の箔をつけるために、パナマ運河を往復したのだった。日本人ならば大名行列と称しただろう。見栄に過剰なコストをかける意味でも的を射ている。


 ドイツ海軍の立場では、たまったものではなかった。たかだか数十名を運んで帰るためだけに、二千名近い乗員が付き合わされたのだ。生来、何事にも楽天的に臨んできたアドラーだったが、さすがに今回の任務は疑問を感じざるをえなかった。


 彼自身、<グラーフ・ツェッペリン>の任務の性質は理解している。要するに砲艦外交の延長、控えめな示威行為だった。


 しかしながら、それにしても時間が足りなさすぎるのではないかと思った。たった一日足らずで、どれほどの人間に我らの存在を知らしめることができたというのだ。せいぜい運河の労働者と港湾関係者ぐらいだろう。目ざとい日英米の軍人ならば、関心を寄せていたかもしれない。しかし、一般市民の大半は知らぬままだろう。これでは<グラーフ・ツェッペリン>の存在を十分に認知させることは難しい。


「せめて編隊シュタッフェルぐらいは飛ばしてみたかった」


 パナマ市上空をハーケンクロイツの戦闘機が飛ぶなど、さぞ愉快極まりない光景になっただろう。


 アドラーは艦長席から振り向くと、航空参謀に目を向けた。


「カリブ海に出たら発艦訓練を行おう」


「賛成です。大佐の配慮に感謝いたします」


 航空参謀は顔を輝かせた。訓練不足だとパイロットたちから突き上げを食らっていたのである。


 アドラーとて、短期間だが空軍中尉だった身だ。翼をもちながら空を飛べないもどかしさは多少なりとも察していた。さもなければ空母の艦長など務まらない。


「訓練のついでに偵察も頼みたいな」


「どこでしょうか」


「我らが次の寄港地だよ。麗しの島だ」


 航空参謀は理解した。


「了解です。すぐにキューバ島ハバナへの飛行計画を立てさせます」


 数時間後、<グラーフ・ツェッペリン>は訓練ではなく実戦として発艦任務に臨むことになった。


◇========◇

次回4月29日(木)に投稿予定


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弐進座

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