夜を駆ける戦い(The longest night) 2

【パナマ】

 1946年2月16日 夜


 パナマ市内外にサイレンが響く数時間前のことだ。


 深度10メートルほどの海中を、突き進む影があった。見る者が見れば、魚雷と勘違いしたかもしれない。当たらずとも遠からずだった。


 ドイツ語でフロッシュという名の装備だ。受領したときに、むしろオタマジャクシカオルクヴァッペのほうが似合っているのではないかとオクトは思った。


前の装備ネガ―よりはましか」


 操縦桿を手にしながら、オクトは呟いた。かつて地中海で乗った特殊潜航艇の名称だった。ドイツ人の科学者どものネーミングセンスは理解しがたかった。潜航艇に『黒人ネガ―』と名付けるとは、薬でもやっていたのか。しかも、そいつの初任務で黒人の俺を載せるとは。怒りを通り越して、意味不明の感動を覚えた。


 あれから数年経過し、科学者どもは特殊潜航艇はさらに進化させていた。フロッシュ型潜航艇は海外での潜入工作のために新開発された。


 潜航艇に乗るのは久方ぶりだったが、オクトはすぐに操縦系統を把握できた。自動二輪車に似たハンドル方式の操作システムで、初心者でも馴染みやすいように改良されていた。これなら訓練期間も短縮できるだろう。


 さらに画期的だったのはトラックに積載できるほどに小型化したことだった。にも拘わらず活動時間の延長に成功している。新型のバッテリーのおかげだった。聞くところによれば、こいつを大量に搭載したUボートが建造されているらしい。


「まあ、今の俺には関係ないことだ」


 右足のペダルから力を抜くと、スクリューの回転数が落ちていく。そろそろ目標が見えてくる頃合いだった。


 パナマ湾の浅瀬から発進して、2時間ばかり経過していた。途中で潜航と浮上を繰り返しながら、ようやくここまでたどり着いた。出撃地点から僅か5キロしか離れていなかったが、ジャイロコンパスと目視確認だけでは、これが限界だった。


「いっそトルテュに名前を変えればいい」


 毒づきながらオクトは手元のバルブを開いた。海面が近くなっていく。深度計がゼロを刺したところで、一気に視界が開けた。


 海面にオクトの頭が飛び出す。その周囲はアクリル樹脂製の半球形のドームに覆われていた。ときおり波間に遮られてしまうが、かろうじて目標を見失うことはなさそうだ。湾内に停泊している船舶群が煌々と船外灯が明かりを放っている。加えて港や灯台が光源となり、自身の位置を相対的に把握することができた。


 港内の監視塔からサーチライトが照らされているが、幸いなことに警戒は厳しくなかった。あと数時間もたてば、せわしなく動き出すだろうが、その頃には安全圏へ退避しているはずだった。


 オクトはさらにバルブを開き、船体を露出させると内側からドームを開いた。海水が船内に入ってきたが、気にならなかった。オクト自身は潜水スーツを身に着けていた。すぐ傍には酸素ボンベもあった。いざとなったら、操縦席に海水を満たし、バラストとして利用できる仕組みになっている。そのため、器類もすべて防水加工が施されていた。


 ゴム製の雑嚢から双眼鏡を取り出すと、湾内を巡らせていく。しばらく探りあぐねるも、やがて彼は目標を見出した。


 間違いない。


 特徴的なフォルムをしている。


 飛行甲板を有する船だ。



【パナマ港 特務輸送艦<大隅>】


「ああ、面白くねえ」


 搭乗員待機室で、戸張はぼやいた。だらしなく椅子に腰かけ、その手にはトランプが握られている。パナマ市内で購入したもので、数名を誘ってポーカーにふけっている最中だった。


 とにかく暇だった。


 戸張寛大尉にとって、パナマの日々は苦痛に等しかった。初めに行先がパナマと聞いて、戸張は舞い上がった。何しろ初めて訪れる地だ。それにラテン系の女性はえらく情熱的だとも聞いていた。ぜひとも、その熱量確かめてやろうと決意していた。


 しかし浮き上がった気分も束の間だった。上陸できたのは入港から数日の間だけで、以降はひたすら艦内で待機の日々が続いた。


 彼の旧友たる儀堂が拉致されたからだ。幸い救出されたらしいが、他の兵員にも同様の危険が及ぶとのことで半舷上陸すら許可されなくなった。そのくせ当の儀堂はパナマ会議出席のため、昨日はパナマ市内に滞在していたらしい。


 不公平にもほどがある。


「いっそ敵でも来ねえかな」


 ぼそりと呟く。


「止めてくださいよ。縁起でもない」


 特務少尉の滝崎がいさめると、持ち札と山を交換する。戸張よりも年上だが兵卒からたたき上げで来たため、今年初めにようやく士官になったところだった。昇進にあたり、戸張自身が推薦している。


「それぐらい起こらねえと、羽を伸ばすことができねえだろ。貴様だって、飛びたくて仕方ないんじゃねえか。このままじゃ腕がなまるぞ」


 戸張も二枚テーブルに置いた。代わりに山から二枚引く。裏返すと、内心で舌打ちした。畜生、ついてねえ。


「そりゃあ、そうですがねえ」


 戸張も滝崎も飛行士官であり、戦闘機乗りだった。最後に愛機<烈風>に乗り込んだのは、十日ほど前だったか。以来、碌に空を拝んでいない。


「お偉いさんの会議ももうすぐ終わるそうで──」


 同じく特務少尉の高田が口を挟んできた。彼は手札をそのままにしていた。


「二日後くらいには、パナマ運河へ入るそうですよ。さすがに、カリブ海に出たら何から任務があるんじゃないですかね」


「ないと困るぜ。こっちは餓鬼の使いで来てんじゃねえんだから」


 戸張は札を交換すべき悩んだ。いっそオールインして揺さぶってやるか。


 持ち時間が無くなりかけたとき、ドアが開いた。反射的に戸張は札をテーブルに置いた。


「兄貴、なにやってんのよ」


 少女の声だった。あきれ返ったトーンだ。


「小春。こんな夜中にうろちょろしてんじゃない。迷惑だろうが」


 自身の妹に対して、戸張は威厳を示そうとしたが失敗に終わった。小春は目ざとく、兄が隠した札を見逃さなかった。


「悪い遊びしていた誰かさんに言われたくないわ。すみません。うちの兄がご迷惑をおかけして」


 滝崎と高田は苦笑いを浮かべたまま肯いた。女学生に頭を下げられるなど、あまりに戦場から離れすぎた現実だった。


「いいから、用件は何だ?」


 戸張は苛立った声だったが、小春は意に介さなかった。


「ちょっとシロの様子が変なの。兄貴も一緒に来てよ」


「シロが?」


 首を傾げた時、格納庫から低いうなり声が聞こえた。




◇========◇

次回4月26日(月)に投稿予定


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弐進座

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