夜を駆ける戦い(The longest night) 1

【パナマ運河】

 1946年2月16日 夜


 パナマが国際会議の開催場所になったのは、いくつかの条件を揃えていたからだった。欧州と北米、そして太平洋側の諸国をアクセスさせるうえで適していたこと。魔獣の被害が少なかったこと。会議の主催たる合衆国の統治下にあったこと。


 そして、何よりもパナマは地球上最も安全だと思われていた。


 合衆国は臨時首都ロサンゼルスと同規模の防衛線力をパナマに常駐させていた。彼らにとって、何に変えても守らなければいけないものがあったからだ。


 パナマ運河だ。


 幅60キロメートルあまりのパナマ地峡を貫通する一大運河だった。合衆国は1903年から十年がかりで建設した構造物で、海上輸送路の心臓部だった。


 太平洋側のパナマにはミラフローレス閘門を備え、大西洋側にはガトゥン湖があった。両洋から運河に入った船舶は閘門を通過後に、複数の人造湖を通過し、反対側の海へ出ていく。


 パナマ運河の完成は、すなわち地政学における大転換をもたらした。同運河のおかげで、南アメリカ大陸を迂回することなく、太平洋と大西洋へ行き来できるようになったのだ。それは輸送時間の大幅短縮を意味する。缶詰から弾薬、兵士から戦車、果ては艦船まで、あらゆる物資が両洋を行きかった。


 まさに合衆国にとって、パナマは大動脈となった。そのため彼らは、あらゆる不測の事態へ備える必要が出てきた。特に41年以降は、過剰とも言える防衛施設の建設を急ピッチで進めた。


 運河河口部のには、旧式戦艦から降ろされた砲塔がトーチカ群として建設された。さらに沖合には、防潜網が敷かれ、二十四時間体制で駆逐艦が哨戒している。内陸部には複数の飛行場があり、こちらも二十四時間体制で哨戒機が待機している。極めつけは、パナマとコロンに配備された機甲部隊だった。それらには合衆国本土にすら未配備の新型重戦車まで配備済みだった。


 結果的にパナマ運河は、地球上で最も軍事的に守られた場所となった。


 列強国の首脳部は、ハリネズミのように武装された環境下で会議を開催している。もちろん、それら無数の針の中には自国の軍隊も含まれていた。



 蜂の巣をつついたようだと思った。怒号交じりに会議室を頻繁に出入りする外務官僚たちを、サロンのソファーから石射はぼうっと眺めていた。


 今はつかの間の休憩時間だった。目前のテーブルにはパサついた食べかけのサンドイッチと水が置かれていた。眼の下は深く大きなクマが出来ている。あと数分もしたら、あの蜂の群れに自分は戻らなければならなかった。


 その日、特命大使の石射は夜通しの会議に付き合う羽目になっていた。きっかけは二日前にある海軍少将がとんでもないちゃぶ台返しを行ったことだった。


 あろうことか、調整会議で北米での停戦動議をぶち上げやがったのだ。しかも、可決されてしまった。軍事に関する交渉事は陸海軍の事務官に任せきりだったが、ここにきての石射は自分の決断を後悔した。おかげで、時間と言う貴重な資源を横取りされてしまった。


 今日から始まる首脳会議の大半が、北米停戦に割かれることのなってしまったのだ。おかげで、石射たち外務官僚の持ち時間が、えらく削られれてしまった。


 本来ならば、パナマ会議では戦略物資の供出と民需品や食料のバーター取引が主題となるはずだった。いかに戦争しているとはいえ、日本人全員が仙人なったわけではないのだ。霞だけ食って生きることはできない。それに娯楽として嗜好品も必要だ。民需品と食料を確保し、国民生活を可能な限り維持しなければならなかった。いずれも、内地だけでは自足するのは困難な物資だった。


 石射が交渉相手として選んでいたのは豪州と南米だった。そのうち後者は特に重要だった。豪州の得意先は言わずもがなの英国だ。彼らはあくまでも英連邦の一部に過ぎず、盟主たる英国の意向に逆らうことはできない。自ずと物資の輸出先として、英国がメインになってくる。合衆国は軍事的な戦略物資に関しては融通を効かせてくれるが、民需と食料に関しては二の次だった。彼らとて食わせなければならない国民がいる。


 結果的に残ったのは南米諸国だった。


 それらの国々はBMと魔獣の災禍を受けず、手付かずに残った畑と牧場があった。南米の大半はモノカルチャー経済に依存している。生産した農作物や畜産物を輸出しなければ、たちまち経済が停滞し、国家財政が破綻してしまう。


 不幸中の幸いと言うべきか、日本は彼ら南米各国にとって良質な顧客になりつつあった。問題は彼らには無視しがたい大口の得意先を抱えていることだった。


 ドイツだ。


 戦前からドイツは南米各国と友好な関係を築いていた。アルゼンチンを中心に、ドイツ系の移民も多数在住している。BMが現れてから、ドイツは南米諸国にとって主要な取引先になっていた。さらに昨年、ドイツが二番目の反応兵器保有国になったことで、影響力は増大している。


 パナマに赴任当初、石射は楽観的に状況を見ていた。いかにドイツとて、南米全体の穀物を買い占められるわけがない。多少値段を吊り上げられるかもしれないが、南米にとっても買い手が多いに越したことはないだろう。


 しかしながら、いざ交渉に臨んでみれば南米各国の腰は重かった。そもそも値段を吊り上げる以前に、売りたがらなかったのだ。


 違和感を抱いた石射は、その影に第三国の気配を感じていた。もちろん裏はとった。コロンビアの高官に金を握らせ、女を抱かせ、情報を得ていた。どうやらドイツから暗に輸出制限をかけられているらしかった。連中、各国の高官を買収した挙句、従わないものには恫喝すらしていた。昨年末に反応兵器でレニンBMを消し去った件を、引き合いに出していたらしい。


 意味不明だった。


 たんなる嫌がらせにしては大掛かりすぎる。


 ドイツが日本を好ましからざるのは確かだろう。


 連中にとって、我々は裏切り者だ。


 BM出現後の混乱期、日独伊三国同盟を破棄して連合国へ寝返ったのだから。


 何はともあれ、ドイツの影響を排除しなければ南米との交渉はうまくいきそうになかったが、石射に救世主が現れた。


 魔導駆逐艦<宵月>だった。


 パナマへ飛来した<宵月>のニュースは、パナマはおろか世界中を巡った。当然、南米の歓心を引くことになり、キャンセルになった会談のいくつかが復活している。


「借りを返してもらった。そういうことにするか」


 あの少将が<宵月>を寄こさなければ、そもそも交渉のテーブルすら失ったかもしれないのだ。その引き換えとして、こちらの持ち時間を譲ったと思えば安いものだろう。


 石射は残りのサンドイッチを口に押し込むと、無理やり水で流し込んだ。そろそろ自分も戦線に復帰しなければならない。


 立ち上がった拍子に窓から何かが見えた。


 花火だろうか。


 夜空へ向かって、光の線が何本も伸びていた。


 ……寝ぼけている場合ではない。


 あんな禍々しい橙色の花火があって、たまるか。


 遠くから散発的に弾ける音が聞こえた。


 石射は何かの機械音かと思ったが、実際は大口径機関砲のうなり声だった。


 やがて、パナマ市内全域にサイレンが鳴り響いた。


◇========◇

次回4月22日(木)に投稿予定

※次回より、しばらく月、木の投稿になるかと思います。

 試験的に投稿日を変えていく予定です。


ご拝読、有り難うございます。

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弐進座

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