カリビアン・ロンド(Round dance) 34:終

【キューバ グアンタナモ基地】

 1946年2月16日 深夜

 

 ひたすら地獄が広がっていた。


 合衆国軍のグアンタナモ基地は灼熱の業火に包まれ、機能は完全に麻痺していた。直接の原因は燃料タンクにあった。何の前触れもなくタンクの一角が吹き飛んだ。そこからドミノ倒しのように大爆発の連鎖が続いた。


 基地全体がパニックに陥り、兵士たちが逃げ惑う。誰かが敵襲などと叫んだせいで、無駄撃ちや同士討ちが多発した。サイレンが鳴り、エマージェンシーを告げる。続いて、基地司令の怒鳴り声が基地中に響き渡った。


『合衆国軍兵士の自覚がある奴は為すべきことをしろ! 逃げたい奴は飛行場の隅で泣いてママを呼べ。邪魔をするな』


 理性と矜持のあるものは、我に返ると命じられるままに為すべきことを始めた。各部隊の士官が避難誘導と消火の指揮を行い、じりじりと混乱を収めつつあった。


 グアンタナモ湾に駐留していた海軍にとっても、対岸の火事とはならなかった。


 燃料タンク近くの岸壁には、複数の艦船が停泊していたためだ。離れているとはいえ、ただで済むとは思えなかった。もっとも優先すべきだったのは、空母<レキシントン>だ。開戦以来、対BM戦争を戦い抜いてきた。古参ベテランの空母だった。カリブ海に存在する貴重な母艦戦力でもあった。


 <レキシントン>の艦長は有能だった。彼は状況の困難さを認め、ただちに出港を命じた。機関始動からスクリューが回り始めるまで、しばらくかかったが、やがて五万トン近い船体が動き出した。


 <レキシントン>レディ・レックス護衛艦艇付き人とともに湾外へ向けて針路をとった。ひとまず火災が収まるまで退避するつもりだ。それに、キューバではもう一つ燻っている場所があった。場合によっては、そちらの支援に向かう必要が出てきそうだった。


 グアンタナモ湾は入り組んでいた。<レキシントン>はタグボートに先導されながら、ようやく湾外へ出ようとしていた。


 戦闘指令室CICには、ひっきりなしに情報が入り乱れていた。湾外に魔獣の群れが出現したと旧式の駆逐艦から報告があったが、あっという間に流されてしまった。


 もっとも取り上げられたとしても、この淑女には関係のないことだった。


 <レキシントン>の船体が大きく揺れた。


 見張り員が触雷したと告げてきた。


「触雷だと?」


 訝し気に艦長が聞き返したとき、二度目の衝撃に見舞われる。


 椅子につかまりながら、信じられない思いがつのっていく。


 少なくとも、こんなところに機雷はしかけられているはずがない。防潜網はずっと先にあるはずで、そこから流れてきたとは考えられなかった。


「だとしたら──」


 いったい、誰が機雷をしかけたのだ。


 こんな糞ったれなポイントに。


 <レキシントン>はグアンタナモ湾の狭小部分に位置していた。両舷から海岸線まで百数十メートルしか余裕がない。こんなところで立ち往生したら、後続の艦船は出てこれなくなるだろう。


 船体が大きく傾き始める。スクリューが稼働し続けているため、加速度的に船底の破孔から水が流れ込んできているのだ。


 艦長は舵を切らせた。せめて湾を塞がないようにしなければならなかった。座礁するだろうが、この際、沈まなければ何でもよい。


 彼の希望を断ち切ったのは、一体の水棲魔獣だった。


 成獣のサーペントがスクリューへ突っ込み、ずたずたに引き裂かれる。凄惨な絶命とともに、サーペントは<レキシントン>の推進力を奪っていった。


 浸水がさらに進み、船体の傾きが大きくなっていく。合衆国海軍はダメージコントロールに優れていたが、十分な能力を発揮できなかった。破孔から魔獣が侵入し、乗員を襲い始めたからだ。いかに船体設計が優れていようと、運用すべき兵士がいなければ意味がなかった。


 数十分後、グアンタナモ湾を塞ぐ、五万トンの鉄塊が出来上がった。


 <レキシントン>は空母から蓋になった。


 グアンタナモ湾には有力な艦艇が十数隻控えていたが、いずれも能力を全力発揮できそうになかった。


 さりとて、彼らに安息が訪れたわけではない。


 全艦艇に備えられたSDレーダー、そのPPIスコープに多数の影が映っていた。


 ソナーは攻めりくる魔獣の推進を拾い始めている。


 やがて射程の長い巡洋艦クラスから砲火が上がり始めた。



 この日、地獄の門が開かれたのはキューバだけではなかった。

 カリブ海の長い夜が始まった。



◇========◇

※2021年6月23日追記

書籍化に向けて動きます。

詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします。

弐進座

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る