カリビアン・ロンド(Round dance) 23
【バミューダ諸島沖】
1946年2月8日 夜
バミューダ海域に不協和音が響いていた。鋼鉄が軋み、ひしゃげていく音。それは潜水艦<グロウラー>の断末魔、その金切り声だった。
「圧壊音を確認」
聴音室から報告を受け、マンフレート・ゼーゼマン少佐は十字を切った。
船内は沈黙に包まれている。サーペントが遠ざかるまで、何もできない。行ってはならない。
しばらくして、サーペントが遠ざかっていくのがわかった。
告解室のような部屋からでると、ゼーゼマンはその足で発令所へ向かった。
船員に告げ、潜望鏡を上げる。逆探知装置に反応はなかった。ソナーにも感はない。少なくとも、ゼーゼマンが乗る<U-462>の全周囲数十キロ圏内に脅威はいないということだ。
曇った接眼レンズを帽子で拭うと、すぐに浮上したばかりの<U-219>が見えた。ゼーゼマンが乗るXIV型と同等の大きさだったが、艦型は大きく異なっている。甲板部分の上部構造物がXIV型と違い、盛り上がっている。新造されたXC型だった。機雷敷設に特化したXB型をベースに改良したものだ。
最大の特徴は、艦橋から続く格納庫だった。注排水機能を備え、潜航状態で機雷の敷設や人員の出入りが可能になっている。水中工作能力を高めたもので、数多くあるUボートの中でも1隻しか作られていない。
ゼーゼマンは、すぐに手元のスイッチで発光信号を送った。潜望鏡の先端にあるライトが断続的に点滅する。まもなく、<U-219>からも発光信号で返答がなされた。
「ハッチを空けろ。荷下ろしの時間だぞ」
艦橋部分の梯子を上る。すでに何名か外に出て作業を始めていた。
南大西洋特有の生暖かい風が吹き抜けてくる。潮気がきつかったが、長らく密閉していた艦内にとって新鮮な空気だった。
無遠慮に呼吸できる喜びを味わいながら、ゼーゼマンはハッチから身を乗り出し、艦橋上部の司令塔内へ入った。露天状態で、空から満天の星が見下ろしている。全く幸いなことに、海面は凪いでいた。先ほどまで、凄惨な殺戮劇があった海とは思えない静けさだ。
甲板上では給油パイプの接続が終わり、<U-219>が貪欲に油を吸い上げ始めていた。
U-219の司令塔に人影があった。星明りで顔は見分けられないが、艦長のハインツだろうと思う。軍帽の被り方と所作で分かった。奴とはキールで一晩かけて、麦性アルコールによる身体洗浄を行った。もちろん体内のだ。
どうやら向こうもゼーゼマンに気が付いたようだった。通じるか定かではなかったが、ゼーゼマンが手を振ると、すぐに振り返してきた。
水面ではカッターが下ろされていた。艦橋とは別に設けられたハッチから食料品から一か月前の新聞、そして家族の手紙などの補給品が次々と運ばれていく。ほどよく満載されたところで、カッターは<U-219>へ向かっていった。
気の遠くなるようなピストン輸送の始まりだった。
「4時間と言うところですかね」
傍らで双眼鏡を手にした航海長が言った。緊張しているようだが、滅入った様子はなかった。5年前と違い、哨戒機におびえる必要がない。
「もっと早いかもしれん。珍しく海が穏やかだからな。おい──」
ゼーゼマンはハッチから下にいる副長へ話しかけた。
「交代で乗員を上げさせろ。次に外を拝むのは、いつになるかわからんぞ」
補給作業はゼーゼマンの読み通り、3時間弱で終わりそうだった。
最後の積み荷がカッターに乗せられたとき、時計の針は大西洋標準時の4時を指していた。
「あれで最後です」
航海長が甲板上を見ていた。直方体の箱が水兵4名がかりで運ばれていく。
「パンドラの箱ともお別れだな」
ぼそりとゼーゼマンは呟いた。正式名称ではない。形状から、勝手に彼が名付けたのだ。
「中身は分からずじまいでしたね」
航海長が言った。
「ああ、そうだ。きっと俺たちが知らなくてもいい。知らないほうがいいものさ」
暗い水面をいくカッターを見ながら、ゼーゼマンは思った。まるで霊場へ向かう棺桶のようだ。中身は新型の攪乱装置らしいが、詳しい用途は聞いていなかった。
ふと背後から鈍い金属音が聞こえた。誰かが梯子を上ってきていた。
姿を現したのは、制服に身を包んだSS将校だった。
「ゼーゼマン少佐、お世話になりました」
快活きわまる声と表情で、彼は言った。フリッツ・クラウスSS大尉だった。長身の青年で、司令塔内を窮屈そうにしている。
「それから差し出がましいことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
クラウスは表情を曇らせた。心から後悔しているようだ。
「あなたには軍法会議へ私を突き出す権利があります。ただ、それは数か月ほど先に伸ばしていただきたい」
ゼーゼマンは首を振った。
「ここでは何もなかった。そうしたいのだろう?」
「少佐──」
「あの正体不明の潜水艦は魔獣によって撃沈され。本艦はたまたまその場にいあわせた」
淡々とゼーゼマンは言った。クラウスは控えめに肯いた。
「気を悪くされるのは当然です。しかし先ほども申し上げた通り、私には──」
「気にするな。年寄りの嫌味だ」
ランデブーポイントに辿り着く前、ゼーゼマンはクラウスから「何があっても、この海域から離脱しないように」と念を押されたのだ。
こいつは、何を言っているのかと思った。
確かに会合予定の座標から動くなど、余程のことがない限りあってはならないことだ。だが、常に不測の事態は起こりうる。そいつは、俺たちの都合などお構いなしに巡ってくる。
そんな自明なこともわからずに、こいつは俺に言い聞かせているのか。自分の親ほども年齢がかけ離れた俺に対して。
ゼーゼマンは怒鳴りつけたい願望を押し殺した。相手は大尉とはいえ、SS子飼いの将校だ。それに、クラウスの発言の内容こそ度を越していたが、態度は控えめだった。むしろ、罪悪感すら覚えているようだった。
ゼーゼマンは沸き上がった血圧を押さえながら「努力する」と返した。
結果として、不測の事態は起きてしまった。
合衆国の潜水艦、その音紋をソナーが捉えた。ただちにゼーゼマンは潜航、海域から離脱しようとした。今回の任務は秘匿だ。あらためて会合地点を司令部経由でもう合わせるしかない。たとえそれが数週間後でも。
急速潜航を告げようとしたゼーゼマンの前に、クラウスと複数のSS兵士が現れた。その手には銃が握られていた。
ゼーゼマンは怒鳴った。
「貴様、わかっているのか。反乱行為だぞ」
「艦長、あとで私を拘束してもかまいません。しかし、猶予をください。我々はここを離れるわけにはいかない」
「莫迦なことを言うな。貴様らSSが秘匿任務だと言ってきたのだぞ。それとも何か。下手に知られるくらいなら、ここで沈めとでも言うつもりか」
発令所で二人が押し問答をするうちに、合衆国の潜水艦はサーペントによって撃沈されてしまった。その後でランデブーポイントに<U-219>が現れ、騒ぎはうやむやになった。
「思えば、今回の航海では全く魔獣と遭遇することがなかった。それと何か関係あるのかね」
クラウスは答えなかった。それが答えだった。
「帰りもご無事で」
ナチス式の敬礼を行い、クラウスは言った。
ゼーゼマンは国防軍式の敬礼で応えた。
「君の方こそな。こんな隠密任務など、きっと禄でもないだろうから」
クラウスは苦笑して頷くと、甲板へ降りて行った。その後で数名、彼の部下が続いた。全員が武装SSのエリート隊員たちだ。
クラウスたちSS隊員を<U-219>へ届けたところで、作業は完了した。引き返したカッターには労いの褒美が載せられていた。
ラム酒と葉巻だ。両方ともゼーゼマンの好物だった。誠に有難いことに、乗員全てに行き渡らせる分だけ積まれていた。
ただ、一つだけ疑問があった。
いったい、どこで手に入れたのだ?
少なくともドイツ本国ではないことは確かだ。
◇
<U-219>に乗り移ると、すぐに上官がクラウスを迎えてくれた。
「久しぶりだな」
心からの笑顔を彼は自分の部下に向けた。頬にある傷があるせいで、意図しない凄みが醸し出されている。
クラウスは少し目を見張った。意外だった。てっきりハバナあたりをうろついているのだろうと思っていた。
クラウスの思考を読んだのか、上官は付け加えた。
「新装備の威力を確かめたかったのだよ。よもや本国が送ってくれるとは思わなかったのだ」
合点がいったようにクラウスは肯いた。
「なるほど納得しました。スコルツェニー大佐、よろしければもう何隻かヤンキーの船をご用意いただけますか。すぐにでも効果を御覧いただけるかと」
スコルツェニーSS大佐は哄笑した。
◇========◇
次回3月10日(水)に投稿予定
【重要】
タイトルの副題を変更しました。
主題のレッドサンブラックムーンはそのまま変更していません。
かなり悩みましたが、昨今の風潮とこの作品の雰囲気から、かなり長い副題になりました。
官僚的な公文書のタイトルをイメージしています。
こちら定着しそうならば、このまま行きたいと考えています。
ここまでご拝読、有り難うございます。
よろしければ、ご感想や評価をいただけますと幸いです。
(本当に励みになります)
弐進座
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