カリビアン・ロンド(Round dance) 17

【パナマ港 客船クィーン・エリザベス】

 1946年2月7日 午後


 昨年末から、パナマ市は慢性的な宿不足に陥っていた。街自体はは決して小さくはないのだが、主要産業はパナマ運河を中心とした港湾業であって、観光業ではない。


 港湾労働者向けの宿は豊富にあるも、文字通り寝床を提供するだけの施設だった。市内にあるホテルは個人営業が主たるもので、個室を供えていても30そこそこの部屋数しかもたない。


 そんな街に各国の代表団や軍が乗り込んできたのである。宿泊機能が飽和しないはずがなかった。郊外まで目を向ければリゾートホテルやコテージはある。しかしながら、それらは既に日英米に押さえられている。


 中南米の各国は、地元の名士の屋敷を間借りするか、あるいは客船をチャーターして乗り込んでいた。おりしも戦時でチャーター料は高騰している。自前の艦船あるいは自国船籍の船を徴用できた国は幸いだったが、それがかなわなかった国は憐れだった。彼らは国庫の許す範囲で体裁を保つしかなかった。中には前世紀に建造された帆船で来た代表団すらいた。


 古今東西の艦船がひしめく中で、ひときわ輝く船があった。客船クィーン・エリザベス号だ。1938年に進水した世界最大の豪華客船だ。


 就航から一年たたずして、クィーン・エリザベスは英国海軍に徴用された。BMが出現した1941年まで、彼女はカナダやオーストラリアなど英連邦各国や植民地から兵員を輸送していた。その後は、大西洋を主軸に数十万の避難民を輸送した。クィーン・エリザベスは文字通り、国母クィーンとしての責務を十全に果たしていた。


 英国は、この最大の功労船をパナマに送り込んでいた。


「私は、もう一人の女王陛下クィーン・エリザベスが行幸されると思っていたよ」


 六反田の手には紅茶色のグラスが握られていた。彼は、スィートルームで歓待されていた。


「そちらの陛下は、地中海にいます」


 自身のグラスにスコッチを注ぎながら、アルフレッドは答えた。 


 陛下とは、英国海軍の戦艦<クイーン・エリザベス>のことだ。英国海軍には二隻のエリザベスがいた。君臨する女王と戦う女王だ。


「地中海、懐かしき日々だねえ」


「前の戦争WWⅠでは、船団護衛をされていたとか」


「その通り。実は3年ほど前にもお邪魔している。この戦争における貴国との最初の共同作戦だ。まあ非公式の奴だがね」


「存じております。|閣下は我が国と浅からぬ旧友のようで。我らの邂逅が実りあるものになりますよう」


 アルフレッドがグラスをかかげ、六反田が応じた。紅茶色の劇物を口に含むと、ピートが鼻腔を突き抜けていく。直後、蕩けるような甘みが浸透してきた。


「いいねえ。15年かな」


「はい、私の好みで選ばせていただきました。後ほど、アイラISRAYも持ってこさせましょう」


「そいつは楽しみだ。おい本郷君、君もこっちでどうだ? 内地じゃ、そうそう味わえんぞ」


 六反田は振り向いた。少し離れた応接セットには本郷中佐とユナモ、そしてネシスがアフターヌーンティーの接待を受けている。もっとも本来的な意味で茶を嗜んでいるのは本郷だけだ。残り二人は出された菓子をひたすら堪能していた。


「有り難いお申し出ですが、私は下戸です。それに、この二人の面倒もありますから」


 困り顔で本郷は謝った。


「妾たちのことは気にせずともよいぞ。ああ、ユナモよ。その黒い塊はとっておくのじゃ。妾はまだ試しておらぬ」


 ガトーショコラをネシスは指していった。


「わかった。私はホンゴーからもらったから、あげる」


 ユナモはカスタードクリームで頬に化粧をしていた。


 六反田は口端の片方を吊り上げると、改めてアルフレッドに向き合った。


「なにはともあれ。楽しんでいるようだ。あらためて、お招きいただきかたじけない。本当ならもう一人、ここに連れて来る予定だったのだがね。少しばかり不調でね」


 六反田は懐からコースターを取り出すと、アルフレッドに見せた。そこにはパナマ郊外、儀堂が監禁されていた場所が書かれている。一昨日、何者かによって届けれらたものだった。


「残念ながら、来られなくなってしまった。こちらについても、私はあなた方に礼を言うべきではないかと思っている。危うく喪章が必要になるところだったのでね」


 アルフレッドは表情を変えずに応じた。


「お役に立てたのならば幸いです。私としても、商談がご破算になるのは避けたかったものですから」


「たしかに。その商談とやらに入る前に、ひとつ聞かせてほしい。我らの商売敵についてだ。私の予想が正しければ、ドーバーを挟んだ先にいるのではないかね」


 アルフレッドはグラスをテーブルに置くと、改めて六反田に向き合った。


「ええ。ご明察のとおりです。彼らはナチス・ドイツのコマンド部隊です」


 六反田は少し眉を上げた。意外な反応だったようだ。


「ほう、あっさりと明かすのだねえ」


「これからの商談で避けては通れない話ですから。それにアドミラル六反田、あなたも半ば以上確信されていたのでは?」


 六反田はグラスを回した。琥珀色の水面が波立つ。


「単純な消去法だがね。まず君ら英国とは考えにくい。そもそも私に接触しながら、儀堂君に手を出すメリットがない。彼を人質にするならば話が別だが、やり方がスマートではないな。次に合衆国だが、これも考えにくい。まったく可能性がゼロではないがね。彼らは魔導機関や儀堂君の情報は渡している。わざわざ拉致しなくても、連中のもつ情報とバーターで取引できるラインがすでに構築されている。となると、残るは一つだろう」


 アルフレッドは頷くと、チェイサーの水を一口飲んだ。


「理由は不明ですが、ドイツはあなた方の存在を煙たく思っています。今日、閣下にお越し願った件と恐らく無関係ではありません。さて、そろそろ本題へ入りましょう」


 アルフレッドは足元のアタッシュケースから、数枚の資料を取り出した。それらをテーブルに広げながら彼は言った。


「これは、ある筋から入手した設計図です。おわかりになりますか」


 六反田はグラスをテーブルに置き、数枚をしげしげと眺めた。


「ああ、なるほどね。どうしても腑に落ちなかったんだ。だから、もしやと思っていた。連中がレニンBMにどうやって反応兵器を撃ち込んだのか。やるとしたら、ひとつしかない」


「ええ、ナチスは反応弾頭の開発に成功しています」


 アルフレッドは一枚の写真を見せた。


「A4C型弾道ロケット、弾頭重量は1トン。射程は120キロほどと推定されます」


 トレーラーに引かれた大型誘導弾頭だった。


◇========◇

次回2月17日(水)に投稿予定


【重要】

近々タイトルの一部を変更しようかと考えています。

「レッドサンブラックムーン」は残しますが、副題の「大日本帝国~」部分の変更を検討中です。

3月までに結論を出そうと考えています。


ここまでご拝読、有り難うございます。

よろしければ、ご感想や評価をいただけますと幸いです。

(本当に励みになります)

弐進座


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る