カリビアン・ロンド(Round dance) 15

【パナマ郊外】

 1946年2月6日 早朝


 乗っていた車が路肩に乗り上げ、半ば事故のように停止した。オクトがセーフハウスにたどり着いたころには、夜明けを迎えつつあった。運転席からよろけながら降り、かろうじて室内へ入る。


 途端、床に倒れこみそうになったところを抱えられた。


「酷いダメージだな」


 仲間のオロチだった。肩を抱え、オクトを近くのソファーへ横たわらせた。


 オクトは大きく息を吐くと、片隅を指さした。


「その箱にモルヒネが入っている」


 オロチは箱を開けると、無造作に注射器付きアンプルを取り出した。受け取ったオクトは叩きつけるように腕へ突き刺した。胸を走る痛みが緩和されたところで、オクトは半身を起こそうとした。


「やめておけ。見たところ、肋骨をやられたのだろう。下手に身体を動かすな」


 オクトは力なく身体を横にすると、改めて相手を見た。東洋人特有の平たい顔がそこにあった。


「来ていたのか」


「キューバの目途がついたからな。こちらの状況を確認しに来た。ずいぶんと派手なパーティーを催したようだね」


 オクトは鼻で笑った。


「お前が仕掛けようとしているカーニバルに比べれば、可愛いものだ。先に言っておくが、まあ見ての通り、任務は失敗。俺のパーティはご破算だ」


「そのようだな」


 オロチは椅子に腰かけた。


「どうする? 粛清か?」


 オクトに問われ、不思議そうにオロチは首を横に振った。


「なぜだ」


「そういう決まりだろう」


「それは前任者の方針だ。私は違う。それに、まだ君は失敗していない」


 今度はオクトが不可思議な表情を浮かべた。


「今回の任務は目標をパナマへ拘束することだ。やり方は君に一任した」


「ああ、わかっている。やれると思ったんだがな。準備が足りなかったぜ。艦長カピテーヌ様が独りで街をうろつくなんて、そうそう滅多にないだろ。こいつは好機と思って、賭けに出ちまった」


 グレイは静かに目をつぶった。本来ならば別の計画で、日本人たちを妨害する予定だった。しかし儀堂が単身で街に出てきたため、急遽予定を変更したのだった。


「責任の一端は私にもある」


「同情は要らん」


「君は何を言っている? 私は関与しているのだ。これまでも、そしてこれからも」


 オクトは混乱した。こいつこそ何を言っているんだ。


「すまないが、回りくどい話は得意じゃない。つまり、どういうことだ」


「つまり、君は戦力を手に入れているということだ。キューバの準備が整った。今の私はフリーで、君は私の手を借りることができる。我らが敵対する東洋人どもによく似た男を」


 オクトは歯をむき出しにした。


 まだゲームは終わっていない。


【キューバ ラ・グイラ】

 1946年2月6日 昼


 キューバのラ・グイラは同島の中で未開拓の土地だった。常緑樹が生い茂り、視界は限定されている。ところどころに近代になって築かれた城塞が遺跡となって打ち捨てられもしていた。かつては自然公園として余暇をすごすことができた。今では、そのような光景は全く見られなくなっていた。


 キューバ政府は、ラ・グイラ一帯を危険地域に指定していた。枯れることのない森は航空偵察を拒み、城塞の一部は建材として流用されている。あるいは、保存状態の良いものは、そのまま再利用されていた。そこは反政府ゲリラにとって、楽園に等しい環境だった。


 キューバ政府によるゲリラ掃討作戦が何度か試みられたが、ラ・グイラの要害とゲリラ兵の伏撃アンブッシュでとん挫している。最近ではしびれを切らしたバティスタが、森ごと焼き払う計画を立て始めていた。


 目隠しをされてから、どれほど時間がたつか不明だった。密林の中を移動すること数時間、ようやくグレイはたどり着いた。


 瞼を覆う布が取り払われ、視界が急に明るくなった。徐々に目を開けて、光に網膜を慣らす。


 よくもまあ、持ちこたえたものだ。


 初めに抱いた感想はそれだった。


 彼の眼前にはキャンプが展開されていた。もちろんピクニックの延長にあるものではない。れっきとしたゲリラの根拠地だ。


「ここには何人いる?」


 案内役のゲリラ兵に尋ねる。


「教えられない」


「ま、そうだろうな」


 ざっと見まわして、百名そこそこか。恐らく、このキャンプの他に密林内に分散して建設されているだろうから、まあ総勢五百から千人そこそこだろう。


 グレイが接触した勢力は、旧人民社会党の残党だった。政治理念として共産主義を掲げ、現バティスタ政権を資本主義の走狗と見なしていた。


「ついてこい」


 案内役に先導されて、キャンプ内を移動する。なかなか厳しい状況のようだった。キャンプ内の施設の大半は、ほったて小屋同然だ。兵士というには幼すぎる少年少女。そして婦女子が少なからず混じっている。所持している装備は、ばらばらで弾薬の補充には苦労しそうだった。中には手製の槍やマチェーテで武装するものもいる。


 キューバ最大の武装ゲリラの現実だった。彼らは敗北しかけている。バティスタの軍隊は合衆国から武器弾薬の供給を受け、旧式とはいえ航空機と戦車を擁している。バティスタが本気になれば、壊滅は必至だ。


 これは幸先よさそうだと、グレイは思った。相手が困窮しているほうが、こちらにとっては有り難い。グレイは、彼らにとって救いの天使になるだろう。


 キャンプの本部は城塞の石材を利用して作られていた。重機関銃程度の攻撃には耐えられそうだ。そこでグレイを迎えたのは、フアン・マルティネスと言う男だった。事前の調査では、このゲリラグループのリーダーだったはずだ。


「はじめまして、グレッグ・ハインリキです」


 いくつか用意してある偽名の一つを差し出した。


「それではヘル・マルティネス、商談と行きましょう。グレネードからバズーカまで一通り、揃えていますよ」


 グレイはアタッシュケースからカタログを取り出した。


◇========◇

次回2月10日(水)に投稿予定

【重要】

近々タイトルの一部を変更しようかと考えています。

「レッドサンブラックムーン」は残しますが、副題の「大日本帝国~」部分の変更を検討中です。

3月までに結論を出そうと考えています。


ここまでご拝読、有り難うございます。

よろしければ、ご感想や評価をいただけますと幸いです。

(本当に励みになります)

弐進座

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