カリビアン・ロンド(Round dance) 14

 状況を理解するには、あまりにも唐突すぎた。ゆえに、周囲の人間は硬直して見入ってしまった。


 武装した集団に囲まれながら、少女は泰然として気だるげですらあった。その手にはパナマ人の生首を握りしめていた。先ほど儀堂の右目を抉ろうとした奴だ。


「妾の声、聞こえておるか」


 倒れ伏した男は頷いた。


「好きにやるぞ。いいの」


 それは確認ではなく、宣言だった。男が何かを言ったが、はっきりと聞き取ることはできない。


「わかった。そやつ一人だけ残そう」


 何を意味するのかわからなかった。その場にいるものは日本語を解さなかったためだ。しかしながら、その必要はなかった。まもなく身をもって彼らは知ることになった。


 少女の姿が揺らいだと思った瞬間、どこからともなく悲鳴が轟いた。途端に血しぶきがあたりにまき散らされる。首が吹き飛び、噴水のような血の雨が降った。


 次々と断末魔が量産され、あたり一面が血に染まっていく。


「撃て!」


 リーダー格の黒人が怒声を上げ、発砲した。しかし弾丸はむなしく、逸れていった。仮に命中弾であっても、かすり傷にしかならなかっただろう。土台、普通の人間が鬼に勝てる道理はないのだ。


 リーダーの発砲で息づいた者は手にした銃火器で反撃を行うも、全くむなしいものだった。彼らは真っ先に心臓をもぎ取られ、臓腑を引きずり出された。


 ついに一人が逃げ出し、ドミノのように次々と続いた。もはや誰もが恐怖に追い立てられていた。豚のように汚い悲鳴を上げながら、散り散りに周辺の林やコーヒー畑へ駆けこんだ。


「どこへ行くのじゃ」


 鬼子に慈悲はなかった。霧散した集団を外周から削り取るように、一人ずつ間引かれていった。


 悲鳴とともに何かが飛び散る音がして、大量の有機物がコーヒー畑にばらまかれた。恐らく来年は豊作だろう。収穫するものは、最早どこにもいないが。


糞っメルドゥ


 小さく舌打ちをしながら、男は雑木林の中を駆け抜けていった。儀堂を拉致したリーダー格の黒人、オクトだ。


 数分前まで、背後から断続的な銃声と悲鳴が聞こえていたが、それも今や途絶えてしまった。オクトは少女へ数発発砲した後、混乱にまぎれて素早く離脱していた。誰も彼が真っ先に逃げたと気づかなかっただろう。一切のためらいなく、オクトは部下を見捨てていた。


 現地で徴収したゴロツキどもだ。失ったところで痛くもかゆくもない。仮に生き残ったとしても、博士ドクトルのモルモットになるの関の山だ。


「それにしても、とんでもねえ奴らだぜ」


 日本人の士官を拘束し続けることはできなかった。畜生め。あんなヤバい奴らだとは思わなかった。あのイカれた日本人と鬼の化け物のせいで任務は失敗だ。


「さすがは劣等人種ウンターメンシェってか」


 思わず含み笑いが浮かんだ。その劣等人種にしてやられた俺は何なのだ。いや、今回は仕方がないか。あんな角の生えた悪魔がやってくるとは。あのガキが噂に聞いた月鬼と言う奴か。


 今さら後悔したところで、どうしようもない。


 それこそ、この世はなるようにしかならないケセラセラのだ。


「まずは博士ドクトルに──」


「まずはなんじゃ?」


 不意に訪れる囁き声、銃に手をかけるも遅かった。胸元に拳がめり込み、嫌な音を立ててオクトの肉体は数メートル吹き飛んだ。コーヒーの木をなぎ倒し、道路にたたき出される。そのまま地面に転がされながらも、オクトは受け身をかろうじてとっていた。


 だが、彼が戦闘を継続するのは不可能だった。


 上手く息が出来なくなっていた。呼吸のたびに、胸を裂いたような激痛が走る。


 二本。いや三本は肋骨が折れている。不幸中の幸いか、肺に突き刺さっているわけではないようだ。そこまでイっていたら、自分の血で窒息しているはずだ。


「妾の盟友に借りを作ったようじゃな。代わりに取り立てに来たぞ」


 どこからともなく声が響いて来る。


 鬼の少女は、発音の難しい母国語を使いこなしていた。リエゾンのかけ方も完璧だ。


「お前、フランス語ができるのか」


 オクトは身体を後ろへ引きずりながら言った。近くの岩に上半身を預ける。まずは呼吸を落ち着かせよう。糞ったれが、こんなところでくたばるか。


「おぬし等の言葉一通りは解しておる。この世界に来てから、恐ろしいほどに時間があったからのう。空を飛んでいる波ラジオ波を拾い、戯れに諳んじておった」


 熱帯夜にも関わらず、凍えそうなほど冷たい言葉だ。


「へえ、そいつはすげえ」


 体勢を立て直し、手を背後に回す。


「俺をどうするつもりだ。晩飯の代わりにでもするのか。その気になれば一撃で仕留められただろう」


 ついに鬼の少女が姿を現した。初めに会った時よりも凄惨な様相に変わっている。全身をどす黒い血で染め上げ、紅い瞳が浮き出るように輝いていた。


「おぬしをギドーは生かして捕らえよと言った。聞きたいことが山ほどあるらしい」


 オクトは不敵に笑った。


「へえ、そいつは──」


 ベルトにぶら下げた手榴弾のピンを外した。



 ネシスが戻った時、儀堂は担架に乗せられようとしていた。ネシスのあとを追って、御調が手勢を率いて駆けつけてきたのだ。


「ギドー、逃した」


 手当をうける儀堂にネシスは謝った。


 オクトが使った手榴弾は、催涙ガスをばらまいた。ネシスがガスに順応するまでのわずかな間、オクトは姿を消し去ってしまった。


「かまわない。助けに来てくれただけで有り難いことだ」


 モルヒネを打たれ、儀堂は先ほどよりも生気が戻っていた。


「全く、あなたはなんという格好ですか」


 御調が呆れた目で、全裸のネシスに毛布を掛けた。


「湯あみの最中だったのじゃ」


 ネシスは悪びれた様子もなく、儀堂を指さした。


「こやつがもっと早く危機にあらば、このようなあられもない恰好では来なかった」


 儀堂は喉の奥を鳴らした。笑おうとしたようだが、苦痛でうまくできなかった。


「わかった。次に捕まったら、腹でも切るさ」


「司令、縁起でもないことをおっしゃらないでください」


 この人ならやりかねないと御調は思った。


 いえ、きっと何のためらいもなく切るわね。



 翌朝、パナマの朝刊。

 その一面に全裸で市内を駆け抜ける少女の姿が掲載された。


◇========◇

次回2月7日(日)に投稿予定

【重要】

近々タイトルの一部を変更しようかと考えています。

「レッドサンブラックムーン」は残しますが、副題の「大日本帝国~」部分の変更を検討中です。

3月までに結論を出そうと考えています。


ここまでご拝読、有り難うございます。

よろしければ、ご感想や評価をいただけますと幸いです。

(本当に励みになります)

弐進座

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