カリビアン・ロンド(Round dance) 8

【パナマ】

 1946年2月5日 昼


 市内、喧騒の群衆をかき分けながら、一人の男が歩いていた。パナマハットをかぶり、上下を風通しの良い麻の白いスーツで揃えている。2月でも、この地は三十度近い暑さを記録する。夏の装いでなければ、たちまち熱中症で倒れてしまうだろう。


 男は大通りに面している食堂に入った。テラス席を見れば、すでに先客がいた。


 先客はずいぶんと恰幅の良い東洋人で、ポロシャツの胸ポケットにサングラスをかけている。日よけの影に覆われたテーブルには、パナマ料理とビールが並べられていた。


 帽子を取ると男は迷わず、先客のテーブルへ向かった。


「失礼。北崎商会の睦月むつきさんでしょうか」


 恰幅の良い男は答えた。


「その通りだが、どこかで会ったかな」


「いいえ。初めまして、アルフレッド・ローンと申します」


 スーツ姿の白人は、いっさいの訛りのない日本語を操っていた。恐らく日本放送協会でアナウンサーを務めることができるだろう。


「突然のご無礼で申し訳ございません。少しお話をしてもよろしいですか」


 アルフレッドは椅子を指した。


「ああ、かまわないとも。どうぞ、かけたまえ」


 睦月は面白そうにうなずいた。


「飯は食ったかね? ここのは美味いよ」


 テーブルには揚げ魚ペスカドフリットと揚げバナナ、さらに豚皮揚げチチャロンが置かれていた。ざっと三人前はありそうだが、一人で平らげるつもりらしい。


「いえ、せっかくですが、長居してご迷惑をおかけするわけにもいきませんので──」


 アルフレッドは丁寧に断ると、気だるげなウェイターにコーヒーを注文した。


「では、私は食べながらで失礼するよ。今朝から何も食べておらんのでね。腹が減って仕方がない」


「どうぞ、遠慮なさらず」


「ありがとう」


 睦月は揚げ魚をほおばった。塩で下味をつけてあり、シンプルな味わいだ。油こさはライムで緩和され、いくらでも食えそうだった。揚げバナナとともにビールで流し込むと、睦月は話を促した。


「それで用件は何かな。今日はオフでね。本社から何も聞いていないんだが、よく私の居場所がわかったね」


「ええ、私どもは各所に支店を持ち合わせております。たまたま、こちらの駐在員がお姿をみかけまして、ご挨拶に伺った次第です」


「なるほどねえ。それでドレイク卿の子孫がサムライの末裔に会いに来たわけだ」


 出自を的中させられても、アルフレッドは動じなかった。事前にプロファイルを受け取っている。この睦月と名乗る男は、かなりの曲者らしい。


「はい、その通りです。実は、私どもの主が事業のお手伝いをしたいと申しておりまして」


 睦月は興味深げに目を細めた。


「へえ、そいつは有り難いねえ。しかし、その手の話は本社を通してもらわんと困るんだがね」


「確かに、おっしゃることはごもっともです。しかしながら、何事も機を見るに敏とせよと申しますでしょう。ここパナマの祭りも一炊の夢。お囃子が鳴りやまぬうちに、踊らねば勿体ないと思うのです。さしでがましいようですが、この手の即興アドリブはお好きなのではないかと邪推しております」


 話を聞くうちに、睦月の口角は自然と上がっていった。


「いや、愉快きわまるね。そこまで言われて、断るのは無粋だろう。さて君との商談は、ここで続けるべきかな? それとも河岸を変えるべきだろうか」


「よろしければ、後日にでも我々の商館までいらっしゃいませんか。アフターヌーンティーをご用意いたします」


「そいつはいい。可能ならば、紅茶色の劇物もいただけるだろうか。舶来ものは内地だと高くてね」


 アルフレッドは苦笑した。本心から出た表情のようだった。


「ええ、もちろん。アイラからリヴェットまで取り揃えておりますよ。代わりと言っては何ですが、私からもひとつリクエストをよろしいですか」


「どうぞ。答えられる範囲ならば」


「月にいるお連れ様もご招待したく。必要ならばドレスをご用意いたします」


 睦月は、糸のように目を細めた。


「はあ、なるほどね。いやいや、かまわないよ。それで、いつごろに伺おうか」


 日取りと場所を示しあわせると、アルフレッドは起立した。


「それでは閣下。また、後日に」


 店を出ると、アルフレッドは人ごみの中に混ざってしまった。


 そっと睦月の後ろに人影ができた。店内に待機していた御調みつぎ少尉だった。ノースリーブのシャツに、パンタロンを着こなしている。


「後をつけますか」


「その必要はない」


 睦月を名乗っていた男は、煙草を取り出した。


「彼は本物さ。それにつけたところで意味はない。まあ一応、会合場所について下調べだけ頼む」


 御調はうなずくと、店の外へ消えていった。


「さあて、パナマ観光もほどほどにして帰るかね」


 六反田は一服すると、おもむろにサングラスをかけた。


◇========◇

次回1月17日(日)に投稿予定


ご拝読、有り難うございます。

よろしければ、ご感想や評価をいただけますと幸いです。

(本当に励みになります)

弐進座

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る