カリビアン・ロンド(Round dance) 7

【ロンドン】

 1946年2月3日 夕


 その日、ダウニング街10番地には来客があった。ちょうど夕方から夜へ切り替わろうとする頃合だ。


 訪問者は秘書官から直接執務室へ案内された。珍しいことに待たされることもなく、館の主がすぐに入ってくる。ハンプティダンプティのような、ずんぐりとした体形を揺らしながら入室するや、話題を切り出してきた。


「メンジーズ君、わかったのかね」


 スチュワート・メンジーズ少将は直立し、主を迎えた。敬礼は省略した。そのような手間を、この主は好まぬのだ。


「首相閣下、カリブ海、そして東海岸です。閣下の警鐘はトルーマン氏には届かなかったようです」


 結論を聞かされ、ウィンストン・チャーチルは低くうなった。どうやらお気に召さなかったらしい。つい先月、彼はホットラインで合衆国のトルーマン大統領と会談した。そのとき、チャーチルはドイツの反応兵器開発に触れ、その脅威について警告したのだ。彼はドイツへけん制するため、ギリシャ経由で東欧へ軍を派遣すべきだと主張した。しかし、トルーマンは返答を避けて会談は終わっている。


 不機嫌そうな主に構わず、メンジーズは続けた。


「合衆国は、パナマ会議で先ほどの二地域での攻勢を提案してきます。彼らは失わ|れた東部半身を回復させたいのです。恐らく欧州での攻勢は数年先に見送られるでしょう」


「当然だろう。彼らは失うことに慣れておらぬのだ。旗を立てた土地から追い立てられるほど、惨めなことはない。かつての我々とて、似たような心境だった。その相手はオルレアンの聖女や植民地軍の司令官であったが──人ならぬ者に屈服するなど、到底できようはずがない」


 チャーチルは執務机に座ると、抽斗から葉巻を取り出すと火をつけた。メンジーズは立ったまま、向き合った。


「ドイツ人が目を覚まし始めている。奴らは飢えた狼フェンリルだ。手を打たねば、欧州全土が鉤十字の狩場と化す」


 メンジーズは鞄から書類を取り出すと、そっと老宰相へ手渡した。秘密情報部SISが今朝がたまとめたばかりの報告書だ。


「残念ながら、首相閣下のお考えを肯定しなければなりません。暗号解読により、彼らは東部戦線に再び軍を集結させています。もちろん魔獣に対する防戦のためではありません。今年に入り、装甲師団が再編され、動きがより活発になりました。昨年の政変による、組織的な混乱も終息したようです」


「ハイドリヒは完全に政権を掌握したのだな」


「はい。幾分か抵抗勢力もいるでしょうが、もはや問題になりません。親衛隊によって、ドイツ国内の警察組織は掌握され、奴がその気になれば国家元帥ゲーリングさえも逮捕できるでしょう。国防軍に対しては武装親衛隊が抑止力となっています。何よりもドイツ軍人は反乱を望みません」


夜は来たれりナイトイズカミング


 チャーチルは窓の外へ目を向けた。


「いずれドイツが東欧に侵攻する。そのとき、奴らを止めるものはいない。そして合衆国が自国の解放に専念するのならば、我々は止めることはできん」


「ドイツ人はBMと魔獣から解放したと嘯くでしょう。実際問題として、彼らの大義名分は成立します。ドイツ以外にドーバーの先で魔獣に対抗できる戦力はありません。ヴィシーフランスは解体寸前、イタリアは問題外です」


「ジークフリートのごとくか。それで国王陛下の臣下として、君はこの事態にどう臨むのかね」


「首相閣下、私は東洋の神秘に可能性を見出しています」


 チャーチルはブルドックのような顔をさらにしかめさせた。


「君が心霊主義者だとは知らなかった」


「私は敬虔な英国教徒です。閣下、極東の友人をお忘れですか」


 合点がいったようだ。眉間の皺が緩んだ。


「なるほど、もちろん覚えている」


「日本は、パナマへ例の魔導艦メイガスシップを派遣しています。その艦は反応兵器の直撃にも耐えました」


 チャーチルは興味深げに目を細めた。


「我らのゲームに新たなプレイヤーが加わったのだな。しかし、彼らはこちらのステージに興味を示してくれるだろうか」


「脚本次第でしょう。幸い、向こうの座長は有能と聞き及んでいます。なんでも若い頃に駐在武官として、我が国で過ごした経験もあるとか」


「ほう、会ったことがあるかもしれん。名前は?」


「ミチタダ・ロクタンダ、海軍少将です。彼はパナマで大々的なマジックショーを行いたがっています。パナマ会議で日本の立場を有利にするためでしょう。我々が助力を申し出れば、あるいは──」


 老人は穏やかな笑みを浮かべた。


「よろしい。進めたまえ」


◇========◇

次回1月13日(水)に投稿予定


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弐進座

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