休息の終わり(Condition all green) 17

【東京】

 昭和二十一1946年一月三日


 元旦、ドイツが反応兵器の使用を明らかにし、レニンBMの消滅が確認された。46年は、世界にとって波乱の幕開けとなった。


 ドイツから発信されたニュースは、国内外に少なからず衝撃をもたらしていた。


 三が日も終わりきらぬうちに、霞ヶ関と永田町は慌ただしく動き始めていた。蜂の巣をつついたかのように、連日公用車が行き来し、職員や士官が頻繁に出入りしている。


 その内の一台が、霞ヶ関を離れ、上大崎に向かっていた。車は海軍大学の敷地へ入ると、最奥にある施設にとまる。運転手がドアを開ける前に、後部座席からでっぷりとした体形の男が下りた。あからさまに不機嫌な顔つきだった。


「まったく、はた迷惑なことをしてくれた」


 執務室に入るや、六反田少将は乱雑に外套を脱ぎ、長椅子へ座り込んだ。


「霞ヶ関はどうでしたか」


 矢澤中佐が机越しに尋ねる。彼の上官は、早朝海軍省に呼び出されていた。ドイツの反応兵器の一件で、あれやこれやと高官レベルの緊急会議が行われていたのだ。


「どうもこうもやない。騒ぎすぎだ。ドイツが反応兵器保有は時間の問題だったろうに、そいつを今さら驚いてどうする」


「発表のタイミングが絶妙でしたから。いろいろと勘繰りたくなるのでしょう」


 六反田は鼻で笑った。


「そんなもの勘繰るまでもない。火を見るよりも明らかだろう」


 矢澤は机から顔を上げた。


「新たなる再軍備宣言というところですか」


 六反田は方眉を上げた。及第点だろうか。


「そんなところだ。まあ俺から言わせれば、一言だよ」


「なんです?」


「ドイツはここに在り、だ」


「プレゼンスの発揮ですか」


「難しく言わんと、気が済まんのか」


「性分ですので、ご容赦ください」


 そ知らぬ顔で、矢澤は執務机に向き直った。


「まあ、よかろう。各論に囚われて本質を見失う莫迦どもよりはマシさ」


 六反田は背伸びをすると、長椅子に横たわった。長時間の会議で腰がやられている。テーブルに置いてある新聞を手を伸ばす。一面はドイツの反応兵器がでかでかと見出しを飾っていた。


「そうじゃないんだがな」


 ドイツが反応兵器保有は、規定路線だった。あの国は合衆国に技術者を提供するかたわら、反応兵器開発の技術を吸い上げていたのだろう。


 今になって、それを明らかにした理由も見当が付いた。わざわざパナマ国際会議を前にぶち上げたのだ。政治的影響力を考えてのことだ。最近は南米に飽き足らず、中米まで親独工作を進めているらしいから、文字通り発破をかけたのだろう。


「問題は、なぜレニンBMだったのかだ」


 六反田は小さくつぶやいた。


 反応兵器の保有宣言だけなら「持ちました」と言えばいい。わざわざ使う必要はない。ほかならぬ技術大国のドイツだ。疑う連中はいないだろう。仮にいたとしても、持っていない証明は出来ない。


 しかしドイツは、あえてロシアのレニンBMを消し去った。あの街が無人だったからか。違う。そんな保証はどこにもない。


 だいたいシカゴのときのように月獣が出てきたらどうするつもりだったのだ。あいつら、いったいレニンBMに何発使った? 何発で地上から、BMもろとも旧都市を吹き飛ばしたのだ?


 六反田は新聞に掲載された荒い写真を見直した。ドイツがわざわざ航空便で寄こしたものだ。吹雪の中で屹立するキノコ雲、そして完膚なきまでに灰燼に帰した都市が映っている。


 畜生め、誰も気づいていないのか。


 ドイツは、仇敵ロシアの象徴ともいえる都市を消し去った。あの国が目標にしたのは、BMだけではない。そこにあったレニングラードと言う都市そのものなのだ。


 それは欧州、とりわけ東欧諸国に対するメッセージだった。


 要するに、あの国は千年帝国を諦めていないのだ。奴らはBMを口実に欧州を蹂躙する気だ。


「それにしてもドイツは──」


 ふと思い出したように、矢澤は再び顔を上げた。


「レニンBMまで、どうやって反応爆弾を輸送したのでしょうか。あの国は重爆を持っていなかったはずですが」


 合衆国は反応爆弾の輸送にB-29を用いた。ドイツに同様の戦略爆撃機を開発したとは聞いていない。


「俺たちにとっては、そいつの方が問題だな」


 輸送手段について詳細は明かされていなかったが、六反田の予想では禄でもない手段だった。下手をすると、この世界の均衡を崩しかねない。何よりも、そいつをドイツが明かしていないのが気に食わなかった。


「おい、儀堂君を呼び出しておいてくれ。なるべく早く顔をださせろ。独立支隊の件で、人事局の根回しは済んでいる。直接話しておきたい」


「わかりました。近いうちに休暇で東京こちらへ戻ると聞いています」


「そいつは都合がいい。ドイツについても伝えておきたいことがある。下手をしたら、連中とかち合うことになるかもしれん」


 矢澤はぎょっと上官を見た。当の本人は長椅子で昼寝を決め込み、新聞紙を顔にかぶせていた。


「ドイツと一戦交えると?」


「わからん。だが、連中にとって俺たちは目障りになるだろう。奴らの反応兵器に対抗できるのは<宵月>だけだ。ネシスの嬢ちゃん、シカゴでは反応弾の衝撃に耐えたからな。まあ、俺が奴らなら横須賀に数発の反応弾を叩き込んで、港ごと消し去るね」


 絶句する部下を放って、六反田はいびきを立て始めた。



【世田谷 三宿】

 昭和二十一1946年一月十一日


 儀堂衛士にとり、今日は特別な意味を持つ日だ。


 この日をもって、彼の人生は決定づけられた。


 5年前、姉と妹、そして母を亡くし、続いて父の訃報を受け取った。


 戦地から帰還する途中、家族はBMと魔獣の餌食となっていた。


 そして、儀堂は独りとなった。


 三宿の家を出たのは、早朝だった。去年に続き、彼は運が良かった。家族の命日を戦地で弔わずに済んでいる。


 吐く息は白く、空はまだ暗い。墓参りに必要な道具一式を桶に入れると、そっと儀堂は玄関を後にした。


 共同墓地を訪れると、やはり誰もいなかった。


 備え付けの井戸から水を汲み、たわしで墓石を磨く。黒御影石の埃や葉を綺麗に落とし、最後に水で洗い清めた。枯れた花を捨て、花立てにこびりついた藻をたわしで磨き、清水で洗い流す。


 ただ無心に儀堂は従事した。浸るべき感傷はすでに底をついていた。今では魔獣に対する戦意に昇華されている。


 生花を花立てにさし、最後に線香を灯す。


 瞼を閉じ、祈った。


 一連の動作を終えた時、儀堂は背後の存在に気がついた。


 黒御影石に、角を生やした少女の姿があった。


「起きたのか」


「すまぬ」


 ネシスは小さく謝った。恥じ入っているようだ。


 その姿に既視感を覚える。


「邪魔をした」


「いいや。たった今、済んだところだ。つけてきたのか?」


 首が縦に振られる。


「おぬしにとって、今日は並みならぬの日じゃったな」


「ああ、覚えていたのか」


 ネシスは、ややむっとした顔で答えた。


「妾を見くびるな。おぬしとここで誓いを交わしたであろう」


 ちょうど一年前、墓前で二人はある契約を行った。儀堂はBMと魔獣を殲滅すると誓い、引き換えにネシスは自身の力を提供した。


「早いものじゃな」


「まったくだ」


「のう、ギドーよ」


「なんだ?」


「おぬしは誓いを忘れておらぬか」


「何を──」


 莫迦なことを言いかけ、ネシスの双眸に射抜かれた。


 目前の鬼に一切の迷いはなかった。ただ一途に問いかけている。


「いつまで、妾たちはここに留め置かれるのじゃ」


 不満と不安が混合された声音だった。


「おぬしとて、腑抜けたわけではあるまい。見え透いておるぞ。湖面のごとく、静謐にふるまっても、おぬしの腹の底は怒りが渦巻いておる。さきほど、そこの石を拝んでいた時もそうじゃ。忘れたか、おぬしと妾はつながっておるのじゃ」


 ネシスの瞳が怪しく輝いた。


「妾とて、在りし日に一族の長をつとめておった。よんどころ無き事情で縛られもした。ギドー、おぬしが望めば、妾は縛りを解くことをためらわぬぞ」


「どういう意味だ」


「おぬしにとって、この国が縛りになるのなら、妾はそれを解く。妾たちがその気になれば、<宵月>は意のままじゃ。どこへでも行ける。あの黒い月と魔獣ども心行くまで弑するぞ」


 朝もやに包まれた霊園に沈黙が訪れた。


 どれほど時間がたったのか。


 ひくつくような音が鳴り、やがてそれは哄笑へ転じた。


「何が可笑しい?」


 ネシスは柳眉を逆立て、睨みつけた。儀堂はようやく笑いを押さえると、表情を戻した。


「すまない。ただ、俺はうれしかっただけだ」


「なに?」


「お前の言う通りだ。俺は縛られている。海軍軍人としてしか、この戦争に参加できない。そう思い込んでいた。いや、恐れていたと言ってもいい。しかし、お前が縛りを解いてくれるのなら、恐れる必要もない。俺は思うがまま、戦争を続けられるのだな」


「ならば──」


 嬉々としてネシスは踏み出した。躊躇なく、彼女は縛りを解きに行くつもりだ。


「待て」


 儀堂は、そっと小鬼の両肩に手を置いた。


「<宵月>の兵士は巻き込むな。彼らは望んで地獄へ赴いていない」


「では、どうするのだ」


「何もするな。まだ、日本は戦いを投げていない。この国が戦いを止めても、俺は戦い抜く。お前が縛りを解くのは、そのときだ」


 ネシスは静かに頷くと、そっと身を引いた。自然と肩から手が離れる。


「わかった。お前の言葉を信じよう」


「ありがとう」


 儀堂は桶に道具一式を片付けると、ネシスとともに連れだって歩いた。


 午後、儀堂少佐は海軍大学の六反田少将に呼び出された。


 そこで彼は新たな辞令を受け取り、次の戦地を告げられることになる。 


◇========◇

次回12月16日(水)に投稿予定

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弐進座

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