休息の終わり(Condition all green) 16

【東京 上大崎】

 昭和二十一1946年一月一日 15時30分


 戦時下とはいえ、正月が無くなったわけではない。もちろん、世界各地で魔獣との戦闘は引き続き継続されている。風情を解さない魔獣どもにとって、今日は昨日と変わらぬ日だ。北米や地中海では、硝煙と血しぶきが随所でばらまかれていた。


 素直に祝うことができないのは確かだが、習慣と言うものは無視しがたいものだった。内地の鎮守府や寄港地に停泊する艦艇にとっても例外ではなかった。簡易な松飾りが檣頭や舷門を彩り、ささやかに新年を迎えていた。


 海軍大学でも正門に門松が飾られてる。ともすれば浮わつきそうな雰囲気が立ち込める中、矢澤幸一中佐は月読機関の玄関を潜った。黒の第一種軍装に身を包み、その上から灰色の外套を羽織っている。


 執務室に向かう途中、階段から血色の悪い男が下りてきた。竹川正和中尉だった。どうやら、仕事場で年を越したらしい。


「明けましておめでとうございます」


 矢澤は唖然として答えた。


「ああ、おめでとう。また泊ったのかね」


 竹川はバツの悪い顔を浮かべた。


「すみません。オアフの記録をいろいろと分析していたら、除夜を過ぎていました」


「もう帰りたまえ。もうすぐ補充要員が来るはずだ。君の仕事も軽くなるだろう」


「はい──」


 竹川は口をへの字に曲げ、眉間の皺を深くした。


「何か不服が?」


「いいえ、とんでもありません。お心遣いは有り難く思っています。ただ、個人的な罪悪感というやつです。中佐、私は去年の今頃アラビア海にいたんです。海防艦で見張りをしていました」


 竹川が言わんとしていることを、矢澤は察した。見知らぬ誰かが地獄を見ている一方で、内地で新年を迎える幸運を得ている。そんな妄想現実から逃避するため、ここで年を越したのだ。


「中尉、その罪悪感とやらで、戦争は終わらんよ」


「ええ」


「君が内地にいるのは任務であり、国家が求めたものだ。それをどう解釈するかは君の自由だが、いつまでも、この状況が続くとも限らない。それだけは胸に留めておくべきだと思うよ」


 竹川は少し考えると、礼を言った。


「自分は帰ります」


「ああ、わかった」


 ふらつく部下を見送る途中で、施設内のざわめきに気が付く。


 何かがあったらしい。


 誰かが「音量を上げろ」と叫んでいた。


 やがて廊下に日本放送局のアナウンサーの声が漏れてきた。


〝臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます〝


 吉報ではなさそうだ。



【中米 パナマ】

 1946年1月1日 0時30分


 46年を迎える頃、パナマでは盛大な宴が催されていた。


 そこでは列強各国の使節が一堂に会していた。主催はパナマ政府ということだったが、参加者の誰もが真に受けていなかった。会場のホテルはアメリカ人が経営するもので、星条旗がいたるところで掲げられている。


 2月初頭に開かれるパナマ国際会議を前に、合衆国は、政治的な意図を露骨なまでに隠さなかった。ホームの半分を魔獣に占拠されとはいえ、パナマは裏庭カリブ海に続く勝手口だった。ホスト国パナマの顔を立てる一方、この地のオーナーとしてあらゆる場面でプレゼンスを発揮している。


新年おめでとうハッピーニューイヤー


 小鳥遊少佐が振り向くと、そこには渋い顔の日本人が立っている。

石射いしい大使、おめでとうございます」


 石射猪太郎いしいいたろうは特命大使として、パナマに派遣されていた。


「よろしいのですか。私なんかよりも一緒に祝うべき相手はいるでしょう」


 各国の大使を一瞥し、小鳥遊は言った。


「あらかた祝いつくしたところだ。それに個人的な見解だがね。とりたてて乾杯するようなことではないと思っている」


「その点については同意します」


 果たして、心の底から今日という日を喜べる輩がいるのだろうかと思う。


主催オーナーは我々の気分を盛り上げようと努力しているようですが」


「それはそうだよ」


 石射は冷めた声だった。


「気づいたかね。中米の顔ぶれが寂しいだろう。合衆国の支配が弱まっている」


 戦前において、合衆国は中米諸国に強圧的な態度で臨んできた。合衆国にとって、中米は足元に等しい場所だ。必然的に自国の安全保障のため、覇権確立に乗り出すことになった。すなわち自国にとって望ましい現地勢力を支援し、時にはクーデターを誘発もしくは傀儡化によってコントロール下に置くことだった。それは26代大統領セオドア・ローズヴェルトに始まり、1941年まで続く外交方針だった


 しかしBMが出現し、合衆国本土が機能不全に陥ったことで、中米のくびきは緩んだ。彼らにとって幸運だったのは、この地にBMが現れなかったことだ。おかげで、中米は魔獣の災厄から逃れることができた。


 合衆国が自国の防衛に追われる最中、火事場泥棒のようにいくつかの国でクーデターが起きた。大半は軍部や急進的な独立派によるもので、彼らは一様に反米主義を掲げた。


 パナマは平穏だったが、それは合衆国軍が駐留していたからだ。合衆国は東海岸から脱出させた官民をパナマ経由で西海岸へ送り届けていた。そのため、戦前よりもパナマの駐留戦力は増強されていたのである。


「BMに国土の半分を取られてから、しばらく南にかかずらわっていなかったからね。戦線が安定しているうちに、失地を挽回したいのだろう」


欠地ジョン王の轍は踏みたくないでしょうからね」


「その通りだ。最近ではドイツがコロンビアに接近しているようだが。おや、噂をすればだ」


 突然ドイツ訛りの英語でスピーチが始まった。年始の挨拶と言うところだろうか。 


 ドイツの大使は額に異常な汗をかいていた。確かにここは暑いが、それだけではない。興奮しているようだった。


 彼は何度か咳ばらいをすると、深く息を吸い込み、会場へ告げた。


「皆様、新年おめでとうございます。ドイツ代表として、素晴らしいニュースをお伝えします。我が国は反応兵器によって、レニンBMを消し去りました」



◇========◇

次回12月13日(日)に投稿予定

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弐進座

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