休息の終わり(Condition all green) 15


 医務室に運ばれた儀堂だったが、目立った傷はなく、出血もすぐに止まった。困惑する軍医に礼を言い、儀堂は魔導機関室へ向かった。


 室内では、ネシスが魔導機関から出され、横たわっている。すぐそばには御調少尉が見慣れない薬箱を持って控えていた。


 ネシスの意識は戻っていたが、かなり衰弱していた。


「すまぬ」


 儀堂を見るや、ネシスは謝った。珍しくしおらしい態度で、儀堂はやや困惑した。


「問題ない。気にするな。少しだけ話せるか」


「ああ」


 半身を起こそうとするネシスを、そっと儀堂は制した。


「そのままでいい。何があった」


 ネシスは静かに目をつぶると、記憶を呼び覚そうとした。


「わからぬ。前触れもなく、身につまされる気持ちになったのじゃ。そこから深い暗闇に引き込まれ、二度と浮かび上がらぬほどの絶望が襲ってきた。最後は雷光に撃たれたかのようになり、このざまじゃ。すまぬ。おぬしまで妾の思念が及ばぬようにしようとしたのじゃが、今一歩遅かった」


「なるほど、合点がいったよ──」


 ネシスに血を分けた儀堂は感覚を共有していた。普段は魔導を組み込んだ眼帯で抑えているが、今回は抑えられないほどの衝撃だったようだ。結果的に儀堂はネシスの異変と共有することになった。


「どうしようもなかったことだ。それよりも原因に心当たりはあるか」


 ネシスは首を振った。


「わからぬ。いや、思い出せぬだけかもしれん。ええい、煩わしい。頭に霞がかかったようじゃ」


 苦し気にネシスはうめいた。


「申し訳ありません。もしかしたら、戦況表示盤の魔導術式に問題があったのかもしれません」


 御調少尉は、かなり思いつめた表情を浮かべていた。


「御調少尉、早計だよ。まだ原因は不明だ。俺としては、君に原因があるとは思えない」


「どうしてですか」


 御調は畏まりながらも聞き返した。儀堂が確信しているように見えたからだ。


「俺にも影響があったということは、俺とネシスの問題だ。もし魔導術式が絡んでいるのなら、戦況表示盤にも影響がでるはずだ。しかし、表示盤には何も変化はなかった。第一、ネシスは表示盤との接続は解除していた」


「しかし──」


「御調よ、案ずるな」


 ネシスが念を押す。


「おぬしに非はない。ギドーの言う通りじゃ」


「……わかりました」


 御調は尚も気に病んでいるようだったが、引き下がった。


「よろしい。二人とも今日はもう休んでくれ」


 儀堂たちが、原因に気づくのはしばらく後のことだった。



【神奈川 横須賀】

 昭和二十1945年十二月三十一日 昼


 大晦日、横須賀では初雪が観測されていた。大半の企業や商店は仕事納めを終え、店じまいしている。例外なのは酒屋と飲み屋だった。彼らにとって、今こそが旬の時期だ。港には年越し前に寄港した艦船がひしめいている。横須賀の繁華街にとって、それらは宝船だった。長期航海で使いどころのない銭を抱えた将兵を満載している。


 宝船の一団の中に、<宵月>と<大隅>の姿があった。彼女らは一昨日に帰港したばかりだ。


 二隻とも半舷上陸許可が出ている。交代制で、乗員の半数ずつ休暇が与えられていた。


 <大隅>に乗る戸張寛とばりひろしは休暇組だった。年が明けたら、長期任務になるやもしれない。今年の最後は陸でゆっくり楽しむつもりだった。


 昼過ぎに飛行服を脱ぎ、戸張は軍装に着替えた。膨らんだ財布を懐に突っ込むと、軽い足取りで甲板へ向かった。


「冷えるなぁ。こりゃあ熱燗がうまいぞ」


 喉を鳴らし、戸張は意気揚々と舷梯を降りる。岸壁に足をつけると、揺れない地面が心地よかった。鼻歌交じりに、夜の街へ繰り出そうとしたとき、聞き慣れた声がした。


「兄貴」


「なんだぁ?」


 ぎょっと振り返れば、見慣れた顔がある。信じられない面持ちで、戸張は妹の名を呼んだ。


「小春、お前なんで?」


「ちょうどよかった!」


 戸張小春は顔を輝かせた。嫌な予感が戸張の脳裏を駆け巡った。兄をこき使う兆候が見える。戸張大尉は先手を打つことした。


「お前、大晦日だぞ。何しに来たんだ? 家の手伝いはどうした? 親父やおふくろが困るだろう」


 憮然とした態度で、妹を糾弾する。しかし、小春は全く意に介さなかった。


 小春は胸を張ると、兄の異議を取り下げた。


「もう昨日、大掃除も正月の準備も終わらせました。今日はお仕事でここに来たの」


「仕事だぁ?」


「そう。兄貴の船に用事よ。だから案内してもらおうと思ったんだけど、まさかこんなところで会えるなんてね。おめかししているけど、ひょっとして迎えに来てくれたの?」


 小春は意地の悪く笑った。どうやら戸張の予定を見透かしているようだ。


「莫迦を言え。俺は大事な用があるんだよ。案内なら他を当たってくれ」


 冗談ではない。せっかく地に足をつけたのだ。酒と女が待っている。またぞろ船に戻ってたまるか。


「用って何よ?」


「……軍機だ。言えん」


 制服を着ている限り、俺のなすこと全てが軍務だ。だから内容は言えない。たとえそれが妹であっても。戸張の中で論理的な矛盾はなかった。儀堂が聞いたら、恐らく鼻で笑うだろうが。


「あら、そう。なら、しようがないや」


 食い下がると思いきや、あっさりと小春は引き下がった。あっけにとられる兄をよそに、小春は背を向けた。


「無理ですって! キールケさん!」


 小春の視線を追うと、セダンから降りてくる白人女性の姿があった。


「ああ、残念だなあ。せっかく兄貴にキールケさんの案内を頼もうと思ったのに」


 小春は朗読劇の口調だった。


 数分後、舷梯を士官一名と婦女子二名が上がっていった。



【神奈川 辻堂】

 昭和二十1945年十二月三十一日 夕方


 辻堂演習場は久しく慌ただしかった。


 本郷中隊の将兵が総出で、演習場内の大掃除を行っているのだ。


 数か月余り世話になった官舎や駐車場、そして愛馬である戦車を磨き上げられた。その過程で、塗装の色直しも行われる。


「少なくとも、寒いところじゃないな」


 白い息を吐き、中村中尉は自車を見上げた。北米にいた頃はカーキ色が主体の塗装だったが、今は緑色の迷彩柄になっている。


「南方あたりですかね?」


 操縦手が尋ねてきたが、中村は首を振った。


「どうだろう。南太平洋は落ち着いているからな。新手のBMが現れない限り、俺たちの出番はないよ」


「へえ、まあ、どこでもいいでさあ。あたしは寒いところが苦手なんで」


「俺はどこでもいいよ。無事に帰れたら御の字だ」


「確かに、命あってのなんとやら。子どもが生まれるころには戻りたいもんです」


 操縦手は嘆息した。


「子どもか──」


 俺にもできるのだろうかと思う。遠い故郷に残した人が思い浮かんだ。先週、休暇の折に祝言を上げたばかりだ。畜生。ふいに死ぬのが怖くなった。


「あの人、いつもこんな気持ちだったのかな」


 中村は、ユナモを抱える上官を見ていた。


 Ⅷ号戦車マウスも緑色の迷彩が施されていた。本郷はユナモを抱えたまま、車体周辺を一回りした。どうやら磨き残しはないようだ。


「よし、完璧だ」


「ホンゴー、もうこの場所とはお別れなの?」


 ユナモは何かを察しているようだった。


「そうだね。年が明けたら、他の場所へ行くよ」


「どこ?」


「それはまだわからないな。ユナモは、ここにいたい?」


 ユナモは首をかしげると、横に振った。


「ホンゴーといっしょなら、どこでもいい。ユナモは、これに乗る」


 鋼鉄のモノリスをユナモは指した。


「そうか……」


 不思議なことに、本郷は少し悲しそうな顔をした。


「どうかした?」


「いいや、なんでもないよ。さあ帰ろう。お母さんが汁粉を作ってくれている」


「しるこ?」


「甘いやつだよ」


「わかった。はやく帰ろう」


 本郷中隊は年明けすぐに横須賀へ移動する。


 次の戦地は知らされていないが、いずれにしろ海を越えた先だろう。



◇========◇

次回12月10日(木)に投稿予定

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弐進座

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