休息の終わり(Condition all green) 14

【浦賀沖】

 昭和二十1945年十二月二十五日


 晴天の空と対称的に浦賀沖は荒れていた。白波がそこかしこで遮るように顔を出している。東海道沿岸の漁港では、大半の漁船が出港を見合わせるほどだ。師走も終わりかけた頃合いである。漁師にとっても最後の書き入れ時だが、無理をして年を越せなくなっては本末転倒だった。


 殺伐とした海原を切り開く船影が二つあった。いずれも旭日旗を掲げている。


 魔導駆逐艦<宵月よいづき>と特務輸送船<大隅おおすみ>だ。


 二隻は第十三独立支隊として合流し、艦隊行動の訓練中だった。


 俯瞰して状況を眺めると、<宵月>が先導し、少し離れて<大隅>が続くかたちになっている。


『子鯨と母鯨のようじゃな』


 筒状カプセルの魔導機に揺られながら、ネシスは思った。彼女の感覚器は<宵月>の電測機器と同調している。電探が映し出す波の模様が、脳内に描かれていた。


 外は大荒れだったが、魔導機の中は落ち着いていた。改良により安定装置スタビライザーが取り付けられ、振動が吸収されている。


『何か言ったか』


 小型高声令達器スピーカー越しに問われる。戦闘指揮所にいる儀堂だ。


『何でもない』


 鼻歌交じりにネシスは返した。新型の魔導機関は、たいそう具合が良かった。以前のは寸法が合わず、少し大きめだった。加えて安定装置がなかったため、時化のときは身体の節々が痛くなったものだ。しかし、今度のはぴったりだった。内部も緩衝材クッションが敷き詰められたので、長時間活動しても疲れにくかった。


「ネシス、訓練中ですよ」


 同室にいた御調みつぎ少尉がたしなめた。


『わかっておる』


 すねたように言うと、ネシスは意識を研ぎ澄ませた。再び電探と同調すると、波が騒がしくなってきた。


『ギドー、来おったぞ。見えておるか』



「見えている」


 儀堂の目前には戦況表示盤があった。戦闘指揮所には、彼のほかに興津中尉と電測装置の操作員が数名控えている。


 盤上では、複数の丸い駒が慌ただしく動いていた。それらはネシスが見ている光景を忠実に再現していた。


 複数の駒は盤上中央を目指している。そこには細長い楕円形の記号があった。<宵月>だ。駒が楕円形に近づくにつれて、複数の震動音が船体を突き抜けてきた。駒が楕円形に重なると、震動音はピークに達し、そこから徐々に小さくなった。


 ほどなくして、艦橋上部の見張り所から連絡があった。4機の<烈風>がフライパスしたらしい。盤上の駒の数と一緒だった。


「まるで、魔法ですね」


 興津は感心しきっていた。目前の駒は機械仕掛けのように自律して動いていた。しかし、実際のところ磁石に駒を張り付けたものにすぎない。何の仕掛けもなかった。


『艦長、作動に問題はございませんか』


 御調少尉の声だった。魔導機関室から艦内電話で語り掛けてきている。


「正常だ。御調少尉、ありがとう」


『いいえ、お役に立てたのならば幸いです』


 御調はあからさまに安堵していた。


『ギドー、妾にも礼を言え』


「わかっている。ネシス、感謝している。お前のおかげで上手くいきそうだ」


『よかろう』


 原理は戦況表示盤に隠されていた。本来ならば、手作業で駒を動かすところを魔導で自動化したのだ。


 『式神』の術式を組み込み、ネシスが受け取っている電測装置と連動させている。御調少尉から詳細な説明を受けたが、儀堂はよくわからなかった。


 ふとした思い付きから儀堂は試験的に魔導を戦闘指揮所に導入していた。目的は戦況把握を迅速に行うためだ。


 これまでは<宵月>三通りの方法で戦況を把握してきた。まず目視と電測装置の反応を統合分析する方法。もしくはネシスがイメージを艦内電話を通して伝える。あるいは儀堂とネシスが感覚を同調させる。


 このうち、三番目の方法が最も迅速かつ正確に状況を把握し、命令を下せる。しかしながら、同時に儀堂の精神に負担がかかるやり方だった。そのため、御調少尉から固く禁じられてきた。


 残り二つのやり方は効率が悪かった。目視や電測装置の結果を反映するにしろ、ネシスのイメージを反映するにしろ、いずれも口頭でのやりとりが必要だ。戦況表示盤に情報を反映するまで時間がかかる。それに、人手を介すとエラー発生の可能性も高まる。人事に完璧はあり得なかった。


 もしネシスのイメージを戦況表示盤へ直接反映できたとしたら、<宵月>の戦闘能力をさらに向上するはずだった。魔導機関を通じてネシスが電測装置の情報を受け取れるのならば、その逆も可能ではないかと彼は考えた。


 結果的に儀堂の目論見通りとなった。


 戦況表示盤は御調少尉が仕掛けた魔導によって、ネシスのイメージを正確に投影している。儀堂のみならず、<宵月>の将兵が正確に状況を把握可能となった。


 これは海軍の戦術史において画期的な発明だった。戦闘員の誰もが寸分たがわず戦況のイメージを共有可能となったのだ。だが、欠点もあった。


 儀堂は口喉マイクのスイッチを入れた。


「テストとしては、まずまずだ。ネシス、表示盤との同調を解いてくれ」


『なぜじゃ? 上手くいっているのだろう』


「今度は表示盤を手動で操作する。御調少尉の魔導抜きで、どこまでやれるか試しておきたい。彼女一人に甘えるわけにはいかないだろう」


『おぬし、過保護がすぎるのではないか。妾も労え」


「勘違いするな」


 茶化すネシスに対し、儀堂は明確に否定した。


「不測の事態に備えてのことだ。<宵月>はどんなことがあっても戦い抜く。一人や二人いなくなったくらいで、戦闘不能になるなどあり得ない。それは俺自身も例外ではない。艦長がいなくなったくらいで、沈むようでは兵器として失格だ」


 普段と変わらぬ口調だが、それだけに儀堂の意思の固さが伺えた。実際のところ、御調少尉の魔導やネシスの同調が使えなくなった場合、戦闘指揮所の能力は著しく低下する。


 不測の事態では、戦況表示盤も手作業で稼働させるしかないだろう。そのためにも訓練が必要だった。そして、その期間は今しかない。



『洒落の通じぬ奴じゃ』


 やや不機嫌なネシスだが、同時に儀堂のことを頼もしく思った。儀堂は戦場の長として、やるべきことを十全に果たそうとしていた。ただ、少々堅物なのが気に食わない。


「ネシス、艦長は我々の負担を減らそうとしているんですよ」


『わかっておる。妾とて童女ではない。おぬし、一言多いぞ』


 故郷にいた頃の記憶が蘇った。侍女の一人で、彼女よりやや年が上の鬼がいたが、口うるさく注意されたものだ。


 ネシスは戦況表示盤との同調を解くと、再び電探の波を追った。


 つい先ほどフライパスした4機の<烈風>が再び近づいてきていた。艦内電話に接続し、方位と針路、高度を伝える。やるべきことは、それだけだ。



『儀堂、また来おったぞ』


 戦闘指揮所の高声令達器スピーカーから、ぶすっとした声が漏れてきた。あえて何も言及せず、儀堂は口喉マイクのスイッチを入れた。


「言ってくれ」


 戦況表示盤の前では、操作員が耳を澄ませている。


 長い沈黙が訪れる。


「ネシス」


 呼びかけるも、返事はなかった。ついに儀堂が痺れを切らしたときだった。


『だめじゃ……』


「なに?」


『すまぬ。ギドー、おさえが、きか、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 絶叫が木霊する。


 同時に儀堂の視界がホワイトアウトする。


 網膜が焼き切れるほどの光の奔流が流れ、脳髄を直撃した。


 声を上げる間もなく、儀堂はその場に倒れた。


 痛みはないが、視界が完全に塞がれている。


 それに耳鳴りがひどい。


 誰かが肩を揺さぶった。恐らく興津中尉だろう。


「艦長! どうなさいました!? 誰か軍医を呼んで来い」


 儀堂は手さぐりに興津の腕を押さえた。


「副長、俺は大丈夫だ」


「しかし──」


「俺よりも、ネシスだ。あいつに何かあったに違いない。ネシス、御調少尉、聞こえるか」


『御調です。聞こえています』


「何があった? ネシスは大丈夫か」


『わかりません。ネシスは気を失っています。私も何が起きたのか──』


 御調少尉は動揺しているようだった。


「わかった。君は必要と思う処置をしろ。これは命令だ」


『了解です』


 儀堂は徐々に目を開けた。片方の視界が徐々に視力を取り戻し始めた。もう片方は以前と変わらず暗転していたが、眼窩の感触がおかしかった。ぬるっとして、気持ち悪い。


「艦長、やはり医務室へお連れします」


 興津の口調が断固としたものへ変わっていた。


 彼の上官、その眼帯に塞がれた左目から滂沱の様に血が流れていた。


◇========◇

次回12月6日(日)に投稿予定

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弐進座

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