休息の終わり(Condition all green) 11

【ロシア ナルバ】

 1945年12月21日 早朝


 12月のロシアは、生存に全く適さない環境だ。機械油までも凍り付かせるほどの寒波が、広大な大地を覆いつくしている。


 生きることすら困難な状況で、軍事行動を起こすなど正気の沙汰とは思えなかった。


 ましてや、何かと手間のかかる装甲部隊を運用するとは……。


「まさか、再びロシアに足を踏み入れると思いもしなかった」


 エアハルト・ハウザー少佐は毒づいた。彼は装甲中隊の指揮官としてロシアに赴いていた。現在地はナルバと呼ばれる港町だ。フィンランド湾に面し、レニンBMから西方150キロほどの地点にある。


 目前では港から陸揚げされたⅣ号戦車H型が、次々と発進していく。いずれも白の冬季迷彩が施されていた。


 ハウザーは一足先に船から降りて、麾下の部隊が集結するのを待っていた。彼の指揮車両はⅣ号戦車ではなく、半装軌車のSd.Kfzライヒタァシュツェン250/3.パンツァーワーゲンだった。無線機能が強化されたタイプで、航空部隊とも連絡が可能だ。戦車と異なり、天蓋がないため、視界はすこぶる良かった。残念ながら通気性もよかったため、寒気が車内に充満している。


 ハウザーは官給品の防寒コートの首元にマフラーを巻くと、さらに耳あての上からフードをかぶった。マフラー以外は、いずれも数週間前に手渡された装備だ。そのとき心底嫌な予感を覚えたが、見事に的中した。


「まったく、よりにもよってクリスマス前に──」


 傍らに控えていたミヒャエル・シュニッツァー伍長から、上官の表情は見えなかった。しかし、苦み走ったものだろうと想像できた。


 これさえなければと思いながら、シュニッツァーは上官を宥めることにした。


「少佐、その辺にしておきましょうや。お忘れなく。すぐそばに奴らが居ます」


 シュニッツァーの視線の先には、別の部隊が荷下ろしを進めていた。ハウザー中隊と同じく装甲部隊だが、配備されている戦車は異なっている。Ⅴ号戦車パンターのG型だった。異なっているのは戦車だけではない。彼らは迷彩柄の防寒服を着用していた。ジャケットはリバーシブルで、裏返せば迷彩から白に変わる。ハウザーたちの防寒装備よりも機能的だった。


「構わんよ。武装親衛隊ヴァッフェンSSに逮捕権はないからな」


 ナルバに集結した部隊は、ドイツ国防陸軍ヘェーアだけではなかった。武装親衛隊も加わっている。


 彼らは準備が整い次第、東方へ向けて出発する予定だった。


 目標はレニンBMだ。


「それにしても、良い戦車を持っているじゃないか」


 他意なくハウザーは肯定した。シュニッツァーも同意する。


「ええ、パンターの新型でしょう。えらく頼れるエンジンに換装されているとか」


 武装親衛隊はナチスが直轄する私的な軍事組織だった。指揮系統も国防軍から独立しており、ヒトラー存命中は直接命令が下されたこともあった。ヒトラー亡き後の混乱とBMとの戦いで規模は縮小したが、待遇に変わりはなかった。ナチス直下の彼らには優先的に最新鋭の装備が支給されている。パンターG型戦車もその一つだ。


 高らかにマイバッハ社製エンジンの咆哮を響かせながら、パンターの群れは集結地点を目指していく。


「あれが、うちらに回ってくるのは、いつになるのやら」


 ため息交じりに、シュニッツァーは呟いた。パンターは量産化されて間もないため、ドイツ国防陸軍内でも十分に行き渡っていない。装甲戦力の中核は、いまだにⅣ号戦車だ。


 ハウザーは鼻で笑った。


「それを言うな。Ⅳ号は良い戦車だぞ。今のところ不足はないからな」


 虚勢でも意地でもなく本心から思っていた。実際のところ、魔獣相手ならばⅣ号戦車で十分対応できた。その前に配備されていたⅢ号戦車も信頼できる戦車だったが、ドラゴンやワームなどの大型魔獣相手では心もとなかった。


 独ソ戦がBMの出現で崩壊した当時、Ⅳ号戦車は支援車両として各部隊に配備されていた。主力はあくまでもⅢ号であって、Ⅳ号は不足気味だった。


 その当時ハウザーは一小隊の指揮官に過ぎず、使用していた車両はⅣ号戦車B型だった。現行のH型に比べて短砲身で威力は劣るが、ドイツが所有する戦車の中でも最有力だった。幸か不幸か、彼の部隊は戦場で過度に愛された。主力のⅢ号で歯が立たない敵が現れたとき、彼の無線機には悲痛な支援要請が届けられたのだ。


 独ソ戦からBM戦まで、彼とⅣ号戦車は支援要請に応え続けた。独ソ戦時はT-34戦車と戦火を交え、BM戦のときはヒュドラやドラゴン相手に死闘を繰り広げた。仮にヴァルキューレがいたのならば、彼の魂は間違いなく戦士の館へ招待されるだろう。本人は断るかもしれないが。


 ハウザーがⅣ号戦車を降りたのは、ドイツ本土防衛戦の転換期だった。1943年の末、態勢を立て直したドイツ軍はオーデルとナイセ川沿いに強固な防衛線を敷き、魔獣に対して反攻に転じた。ハウザーは昇進し、中隊長として装甲部隊を指揮することになった。彼は指揮車両として半装軌車のSd.Kfzライヒタァシュツェン250/3.パンツァーワーゲンを受領した。本心では戦車を要望していたが、贅沢は言わなかった。それらの主力戦闘車両は敵獣と対峙する兵士に優先して配備すべきだからだ。


 豹の群れに背を向けると、ハウザーは無線機を手にした。同時にエンジンを始動させる。麾下の車両は全て上陸完了していた。先導して、港を空けなければ後続の部隊に迷惑をかける。


「貧乏くじを引いた者同士、せいぜい仲良くするか」


 連中だって、クリスマスを共に過ごす家族がいただろうに。


 数時間後、ナルバに集結したドイツ軍部隊は東方へ向けて発進した。


 構成する戦力は4万ほどだ。それぞれ陸路と海路に分かれて、ここまで来ていた。決して多くはないが、装備は充実している。装甲師団が1個、装甲擲弾兵師団が2個師団抽出され、いずれも完全充足状態だった。



 奇妙な作戦計画が策定されたのは、今から3カ月ほど前の9月初頭だった。機密指定ゲハイムの印が押された計画書には『スルト』と書かれていた。北欧神話で登場する巨人で、黒を意味している。


 国防軍最高司令部OKWへ親衛隊作戦本部から提出されたとき、誰もが異議を唱えた。真冬のロシア、それも魔獣が跳梁する区域で軍事行動を起こすなど、正気の沙汰とは思えなかったからだ。加えて、国防軍と親衛隊の確執も影響していた。


 それまでBM戦の指揮を主導していたのは国防軍だった。しかし、今年の4月に起きた政変の影響で、彼の聖域が冒されつつあった。新たに総統代行に就任したラインハルト・ハイドリヒが、何かと干渉するようになったのだ。国防軍将校は、親衛隊出身の人面獣心を快く思っていなかった。


 今回の作戦も同様に捉えられた。国防軍上層部はハイドリヒに対して、計画の中止するように求めた。その場で賛成したのは、ハイドリヒと息のかかった数名の将校のみだった。数年前、ヒトラー政権時では考えられぬ光景だ。アドルフ・ヒトラーに意見できる軍人は、グデーリアンとマンシュタインくらいだった。


 断固たる態度の国防軍人を、総統代行のハイドリヒは冷笑した。


 彼は背後に控えていたヴァルター・シュレンベルク大佐を呼んだ。シュレンベルクは複数の部下とともに映写機を持ち込むと、室内のカーテンを全て締め切った。


「ひとつ映画を見せよう。安心したまえ。これはプロパガンダではない。ただの記録フィルムだ」


 訝しむ国防軍の将軍たちに対して、ハイドリヒは告げると明かりを落とさせた。


 フィルムは十数分ほどの長さだったが、上映時間の経過に従い、室内の空気が重苦しくなっていった。上映が終わり、再びカーテンが開かれた後、誰もが口をつぐんだ。


 ハイドリヒは周囲の反応を十分に愉しむと、再度尋ねた。


「それで、私に反対するものは?」


 誰もいなかった。

 

◇========◇

次回11月23日(月)に投稿予定

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弐進座

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