休息の終わり(Condition all green) 10
【レニングラード】
1945年 冬
極寒の中に、廃墟のかたまりが置き去りにされていた。
かつてはサンクトペテルブルク、少し前まではレニングラードと呼ばれていた都市だ。
名前は変われども、この地に刻まれた歴史が消えたわけではない。ウラル山脈を越え、はるかシベリアに逃れたロシア人たちにとって忘れがたき故郷の一部だ。
中世から続くレニングラードの変遷は、ロシアの歴史を端的に要約していた。
1703年、ロシア帝国の初代皇帝ピョートル1世の命で建設され、その後ロマノフ朝の終焉まで首都であり続けた。栄枯盛衰の過程で、市内外には歴史的建造物が築かれていった。冬宮殿、イサク聖堂、ペテロハヴロフスク要塞、それらは後世の歴史家にとり、聖地に等しいものになるはずだった。
ロシアが革命の混乱から立ち直り、サンクトペテルブルグが改称されたのは1924年だった。革命の指導者、レーニンの死去した年だった。ボリシェヴィキ政権は、彼の功績を称えてレニングラードとした。レーニン自身が、それを歓迎したかは定かではない。
最盛期において、百数十万の人口を擁した都市だったが、今では人影は皆無だった。
過去4年間、レニングラードを取り巻く状況は、あまりにも過酷だった。
災厄の嵐は西方から訪れた。1941年6月、夏を前にしてドイツ軍の侵攻が始まったのだ。瞬く間にドイツはソ連領内に浸透し、9月初頭からレニングラードはドイツ軍の北方軍集団によって包囲された。
ナチスドイツはレニングラードに対して、独ソ戦開始前から計画を持っていた。それは、市内のロシア人を一人残らず餓死させるものだ。彼らは生物学的に、この都市を抹消するつもりだった。ナチスは誠にドイツ人らしい正確さで、市民の絶滅まで必要な日数を割り出していた。
3カ月に渡る包囲戦で、計画の科学的な正しさが証明されつつあった。ドイツ軍によって、レニングラードへの補給は完全に断たれ、餓死者が続出した。やがて市内の一部では、出所のわからない肉が売り始められた。
ソ連赤軍は、あらゆる手段を用いて解囲を試みたが、全ては失敗に終わった。
無間に続くとも思われた地獄は、1941年12月8日に終わりを迎えた。
レニングラードの包囲は内部から崩壊したのだ。
その日、市内の配給所上空が巨大な影に覆われた。
見上げた市民の瞳には、黒い球体が映っていた。
レニングラードに現れたBMは無数の魔獣を生み出し、市民を次々と虐殺。街路に血の河が流れた。街中に地獄を作り出しながら、魔獣は市外へあふれ、防衛線の赤軍を平らげ、そのままドイツ軍陣地へ流れ込んだ。
3カ月に渡り包囲したドイツ軍は、わずか1日で潰走した。しかし、彼らは相対的に幸運だった。市内に取り残されたロシア人たちには一切の救いはなかった。
BM出現から、4年経過した今でも犠牲者の数は把握しきれていない。ソヴィエトロシアが崩壊したため、統計を取るべき組織がいないのだ。非公式だが、ドイツ側は全滅と判断している。期さずして、レニングラードはナチスドイツの望み通りとなった。もっとも、その代償は想定外の規模に及んだ。BMと魔獣により、北方軍集団も壊滅したのだ。
1945年、レニングラードは再び名前を変えていた。
そこはレニンBMと呼称されている。
◇========◇
次回11月22日(日)に投稿予定
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弐進座
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