休息の終わり(Condition all green) 9

 源田は機体を傾斜ロールさせると、速度をやや落として急角度で右方向に旋回した。すぐに、後方へ目を配る。


「やはり、首が曲がると捕捉は容易だな」


 一時的にシロは引き離されたが、源田機を見失うことなく追撃を続けた。長大な首をしなやかに操ることで、視界から源田を外すことなく追えるようだ。


「それに思ったよりも速い。原理は何だ? 翼の筋力だけとは思えん」


 シロの翼のストローク数に対して、加速度が大きすぎるように見えた。ハチドリのように、翼を高速で動かしているわけでもない。ハヤブサのごとく、急降下で速度を稼ぐわけでもなかった。ほぼ水平飛行にも関わらず、シロは時速300キロ近い航空機を追撃している。


 源田はシロの旋回半径から運動能力を測り、機体を水平に戻した。スロットルレバーに手をかけると全開にし、一気に加速させる。


 <紫電改>の誉二三型発動機が唸り声をあげ、機体前面に揚力の渦を作り出した。その渦に導かれて、<紫電改>は速度を上げていく。やがて速度計の針が動かくなった。


 再び操縦席から背後を確認すると、白い翼は消えていた。真っ先に疑問が浮かぶ。


 いくらなんでもおかしかった。見えないはずはないのだ。引き離したにしろ、視界から消えるほど差はつかない。


「となると──」


 源田の視界が上方へ転じた。太陽を背にして、黒い点が急転直下してくる。


「利口だな」


 シロは源田機を追随せず、あえて高度を上げ、一転急降下して速度を稼いだのだ。結果的に源田の目を盗みつつも、追いつくことに成功するはずだった。


 しかし間一髪で気が付いた源田は操縦桿を引き、フラップを操って機首を上げた。今度は源田機が上昇へ転じ、入れ替わるようにシロとパスする。


 肩透かしを食らったシロは不満げに鳴くと、すぐに翼を大きく広げて制動を行った。


 地上から見上げる操縦士のひとりが、「あれ、ずるいなあ」と呟く。


 重量数トンの巨体がピンで留められたように空中で制止、すぐに上昇へ転じた。航空機では到底再現できない機動だ。しかも、シロは源田機を再捕捉していた。


 シロがドラゴンではなく航空機ならば、急降下から態勢を立て直すまで時間がかかるはずだった。加えて、そこに再捕捉の過程が挟まれる。いかに熟練の操縦士でも、一度視界から外れた機体を追い続けるのは至難だ。


 シロは急加速すると、一気に源田機を追撃した。驚異的な上昇能力を発揮していた。


 背後から追いすがる白銀の竜を見て、源田は確信した。翼の羽ばたきのみで、あんな反則的な推力は得られるはずがない。きっと何かわけがあるはずだ。願わくば、それを解き明かしておきたい。いや、待て。今は勝負の途中だ。しかも、分が悪くなっている。


 急な針路変更で<紫電改>は速度を削がれていた。最高速ならばシロを上回るだろうが、距離が足りない。


 数通りの回避行動を想定したが、いずれも決定打にはならないだろう。はっきりと認めてしまえば、ドラゴンの旋回性能と制動力を甘く見ていた。やはり、ワイバーンとは全く異なる。あきらかに知性があり、意志のある戦闘を行っていた。


 すでにシロは源田機の背後を取りつつあった。この状態が長引けば、判定負けと観測機が伝えてくるだろう。


「参ったな。曲芸飛行は十八番と思っていたのだが──」


 汗で飛行帽が蒸れている。とてもではないが、そんな余裕は出来そうにない。


 久しぶりに得意の演目を、地上の婦女子に披露するつもりだった。


 そこでふと源田は気が付いた。


 なるほど、曲芸ならば負ける気はしない。


「いかに竜でも、これは無理だろう」


 源田は操縦桿を思いきり引き寄せると、さらに機首角を上げた。同時にスロットルも開放する。しだいに高度計の針先が右へぶれていき、視界が蒼天から茶褐色へ転じる。今度は高度計が左へぶれはじめた。


 シロの視点では、より奇妙な光景に移ったかもしれない。それまで順調に追っていた獲物が、徐々にひっくり返ったのだから。


 源田はシロの目前で宙返りし、背面飛行を行ったのだ。


 空中でひっくり返るなど、生物から見れば反則である。


 源田機は背面飛行からシロの背後を取り、機首を水平に戻す。そのまま立場を入れ替えて、源田はシロの追撃に移った。


 シロは生物らしく面食らっていた。何が起きたかわからない様子だった。やがて発動機の音で、ようやく自分が背後を取られたことに気がついた。


 それから数十分後、模擬戦を終えた両者が厚木に降り立った。





 機体から降りた後、源田は滑走路脇で控えていた小春とリッテルハイムの元へ寄った。


「実に有意義だった。ありがとう」


「いいえ、どういたしまして」


 リッテルハイムは何やら不満げな様子だったが、深くは聞かないことにした。


 対して、小春はシロを宥めようと大わらわだった。


 シロは源田の姿を見るや、低くうなり声を上げた。


「シロっ! めっ!」


 小春が叱りつけられ、シロは小さく鳴いた。そのまま長い首を胴体に回し、ふてくされてしまった。


「負けず嫌いか。菅野、貴様と気が合うかもしれんな」


 源田は愉快そうに、後方の操縦士へ話かけた。菅野と呼ばれた士官は審判役の<紫電改>に乗っていた。


「勘弁してくださいよ」と菅野は言った。


「すみません! 失礼しました……」


 無礼を働いたシロの代わりに小春が頭を下げようとしたが、源田が手を振った。


「かまわんよ。それに私としては引き分けだと思っている」


 模擬戦は源田に判定で源田に軍配が上がった。しかし、それは僅差の優位だと本人は思っている。シロに至っては、恐らくまだ勝負はついていないと感じているのだろう。


 宙返りでシロの背後を取った源田。しかし、しばらくした後でシロは翼を閉じて急降下した。それはほとんど落下に近い機動だった。


 源田は追い切れずに機種を上げ、両者は態勢を立て直した後で巴戦を繰り広げた。


 その後は、お互いに生物と機械の特性を生かした航空戦へ持ち込もうとし、最終的には時間切れとなったのだ。


「これまでワイバーンやドラゴンを撃ち落としてきたが、ここまで本格的な空戦は初めてだ」


 飛行型魔獣の大半は、まとまな空戦を行う習性がなかった。仮説だが、元の世界で天敵らしいものがいなかったからではないかと考えられていた。ごくたまに敵意を向けてくる個体がいても、動きが単純で制空戦闘では航空機のほうが有利だった。


 問題なのは、その数が馬鹿にならないことと損害を無視して突っ込んでくることだった。数十匹単位の群れが、血みどろになりながら防空網を突破してくるのだ。一匹でも打ち漏らしただけで、市街地に地獄が出来上がる。


「やはり、君の指示が的確だったのだろう。勉強になった」


「その、ありがとうございます!」


 思わぬ称賛を受け、小春は反応に困った。


「ただ──」


「はい?」


「ある意味、君がシロの限界とも言える」


「どういうことかしら?」


 リッテルハイムが鋭い眼差しを源田に向けた。


「気を悪くしたのならば、謝ろう。誤解しないでほしいが、小春君に非はない。単純なことだ。仮に先ほどの模擬戦を雲の上で演じた場合、果たして良い勝負になっただろうか」


「それは難しいです」


 小春は素直に認めた。小春の目が届く高度ならばシロに指示は出せる。しかし、視界から外れて状況がわからなくなったら、慎重にならざるをえない。


「確かに、その通りですわ」


 リッテルハイムにとっても想定済みの状況だった。眉間の皺を解くと、今度は源田に問い返した。


「大佐ならば、どうなさいますか」


「私は、ひとつしか思い浮かばない。できるかどうかはわからないが」


 源田の回答を受けて、リッテルハイムは「検討の価値はありそうね」と返した。


 夕方、二人と一匹の来客は厚木飛行場を後にした。


 門を出ていく車列を滑走路から見送りながら、菅野は源田に問い直した。


「親父さん、本気ですか」


「何がだ?」


「あのトカゲを制空隊に組み込むとか、冗談でしょう」


「まあ、半分はな。しかし考えてもみろ。僚機がドラゴンとは、なかなか愉快なことだ」


 源田はまんざらでもない様子で基地に戻っていった。


 帰りがけ、小春とリッテルハイムはジープに揺られながら東京への帰路へ着いていた。


 背後では大型貨物車にシロが押し込められ、不満そうに声を上げている。


「ところで、小春」


 田園風景を眺めながら、何の気なしにリッテルハイムは話しかけた。


「はい?」


「あなたのお兄さん、戦闘機乗りだったわよね?」



◇========◇

次回11月16日(月)夕方に投稿予定

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弐進座

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