休息の終わり(Condition all green) 6

 本郷が風呂から上がったころには、すでに夕飯の支度が出来ていた。今日はイワシとこんにゃくの煮つけだった。それに芋と一緒に炊き込んだご飯と汁物、あとは青菜のおひたしが添えてある。戦前に比べて見劣りするが、現状で望める限り豪華な献立だった。


 煮つけは梅煮だった。調理で使った梅は、本郷の皿に寄せられている。本郷は一つまみだけとって茶碗に乗せると、家族に回した。


 使われているイワシは、つい今朝がたに近海で獲れたものだった。口に含むと、薄口しょうゆの塩気に梅の香りが仄かに混ざり合ってきた。わずかに甘みが帯びていることに気づき、ふと本郷は思い立った。


「典子さん、配給のほうはどうかな? 少しは改善されたと聞いているけど」


 本郷は妻に尋ねた。


 典子は少し思案すると、「五分五分かしら」と返した。


「お米や野菜は足りない分を買えますけど、砂糖や醤油はあったりなかったり。そういえば、お塩もかしら。全くないわけではありませんが、手軽には買えませんね」


「そうか──」


 薄味の煮つけをかみしめながら、本郷は合点した。梅煮にしたのは、味付けを補うためだろう。


 夫の内面を察したのか、典子は「大丈夫ですよ」と付け加えた。


「前に比べたら、大丈夫です。海水を煮詰めなくても塩は手に入るし、そこら辺の草を煮ることもない。味噌だってたくわえがあります。だから安心してください」


「わかったよ。ありがとう」


 本郷は満足そうにうなずくと、芋が混じったご飯を有り難く味わった。


 つい2年ほど前まで、内地は食糧難に見舞われていた。各地に現れたBMと魔獣により、海陸の流通経路がずたずたに寸断されたためだ。加えて政府機能が一時的に麻痺したことで、さらに状況は悪化した。ここに至り、内地の日本人は自身がいかに海外へ依存していたのか身をもって思い知ることになった。


 塩が枯渇しかけたのである。当時、海外からの輸入に頼っていたのは化石燃料や鉱物資源だけではない。塩も同様─広義には鉱物─だった。塩は調味だけではなく、化学薬品の合成や家畜の飼料としても消費されている。月平均で内地だけでも9万トン以上必要とされていた。それに対して国内生産量は2万トンそこそこである。残りは海外から輸入していた。


 BMとの戦いが続く中で、まず家庭用の食塩から制限された。続いて家畜用だった。工業用の塩は何としても確保しなければならなかった。軍需品の生産に支障をきたすことになる。


 政府は各世帯に簡易な製塩装置の製造法を配布、指導した。沿岸近辺では、児童や学徒が課外授業として製塩畑をつくるようになった。内陸部は惨めだった。海に面していない山間部に住むものは、二束三文で家宝と引き換えに僅かな塩を手に入れようと奔走した。


 塩に限らず、他の雑穀類も海外の輸入に頼っていた。内地の食料自給率は8割程度を維持していたが、裏返すと残り2割はどこからか調達しなければならない。おもな輸入先は満州と朝鮮だった。しかしながら、いずれもBMと魔獣によって、失われた領土となっていた。


 BM出現から半年後、1942年から43年初頭まで日本は深刻な食糧難に見舞われた。食糧統制の未熟さも相まって、闇市が各所に出没した。改善の兆しが見え始めたは43年の夏ごろからだった。日本が独逸を見限り、英米と新たな同盟締結に向けて動き出した。


 やがて正式に日英米が同盟し、海上護衛総隊が設立されたことで状況は好転していった。満州と朝鮮に代わり、豪州、東南アジア、南米から穀物と塩を輸入できるようになったためだ。往時の流通量を確保するには至っていないが、餓死の可能性は限りなくゼロに近づいた。


 夕食後、食器が下げられ、代わりに教科書と文房具が出された。辻堂に来てから、本郷は長男と長女へ勉学を教えていた。実のところ、軍へ入る前より日課の一つだったのだが、北米へ出征してから途絶えていたのである。久しく父の薫陶を受け、子供たちは喜んだ。本郷は入隊前は学校の教師をしていたため、教え方が非常に上手だった。最近では、本郷の授業にもう一人生徒が加わった。


「ホンゴー、これなんて読むの?」


 ユナモが、ある本の一文を指した。


「見せてごらん。これは、『わがはい』だよ」


「わがはい? 意味は?」


「僕とか私とかかな。自分のことを意味しているんだ」


「なんで、わざわざちがった言い方をしているの?」


「良い質問だね。『わがはい』は、少しえらそうな言い方なんだ」


「猫がえらそうに自分のことを言っている?」


「そうだね」


「猫はしゃべらないのに?」


「うん。だけどしゃべったら、面白いだろう」


「わからない。そうかもしれない。先を読んでみる」


 ユナモは本のページをめくった。


 子供らしい反応だが、読んでいる本は一昔前に流行った大衆向け小説だ。ユナモは知能と精神年齢に隔たりがあるようだった。ずば抜けて物覚えもよく、独逸語に英語を習得している。日本語もすさまじい勢いで学習しており、片言でも日常会話に支障がなくなっている。ただし、ネシスと違い、漢字の読みや発音には苦労しているようだ。こちらの世界で最初の取得した言語が独逸語だったためではないかと、本郷は考えていた。


「ユナモちゃんは、本当に頭がいいのね」


 長女の綾子が感心した様子だった。すでに筆記の宿題は終わり、実技課題として防空頭巾を縫っていた。近くの小学校へ寄贈する予定だ。


「ああ、おかげで助けられているよ」


「こんな小さいのに軍で通訳を務めているんだから、勲章をもらってもおかしくないでしょう」


 冗談に聞こえるが、長女の表情を見る限り本気のようだった。本郷は家族に対して、ユナモは軍で通訳を務めていると説明していた。北米で保護した孤児で、軍が通訳代わりに引き取ったことになっている。


 実際のところ、ユナモの本当の戦果を考えると勲章の一つや二つでは追いつかないだろう。彼女がいなければ、北米の街がいくつか灰燼に帰していたはずだ。


 本郷はそっと異世界の幼鬼の頭をなでた。


「そうだね。でも、ユナモは勲章よりもチョコがいいんじゃないかな」


「そっちのがいい」


「ほらね」


 即答するユナモに、本郷は苦笑した。


「できました!」


 長男の史郎が意気揚々と宿題を父に見せてくる。どうやらユナモに対抗心を燃やしているようだった。本郷はノートに一通り目を通すと、満足げにうなずいた。


「はい、よくできました。ところで史郎、四かける七は?」


 史郎は天井へ目玉を向けると、すぐに答えた。


「「二十八ニジュウハチ」」


 ユナモが少し早く回答し、史郎は「ぼくの答えなのに!」とむきになって抗議した。よほど悔しかったらしく、声が裏返っていた。


 その後、涙目になった長男を宥め、本郷家の団欒は終わりを迎えた。


 子供たちが寝静まった後、ようやく本郷は寝支度をする妻へ本題を切り出すことにした。


「典子さん、明日から僕は休みをもらっているんだけど──」


 寝室で布団を敷く、妻の背中に語り掛ける。


 典子はゆっくりと振り向いた。風呂上がりで髪がほどかれ、たおやかさが増して見えた。


「ええ、聞きましたよ。どうぞ、おっしゃってください」


「実は、ユナモを僕と君の実家に連れていきたいと思っている」


「鹿児島へ?」


「うん」


 本郷も典子も同じ郷の出身だった。二人とも幼馴染で、今日まで続いている。


「あの子の顔通しをしておきたいんだ。この先、何があるかわからないからね」


 典子はじっと夫の瞳を見つめると、やがて首を縦に振った。


「わかりました。切符はとりましたか」


「まだだが、融通はしてもらえると思う。国鉄に伝手があるんだ」


「良かった。なら、私は朝一で準備しますね。何かお土産はないかしら」


「軍の配給を持っていくよ。缶詰をとってあるんだ。あと煙草や酒もね。僕は両方ともやらないから。北米産だよ。君の家の分もあるから、安心してくれ」


「わかりました。さすがは中佐殿ですね」


「よしてくれ。今は非番なんだから」


 やがて寝室の明かりを消された。少しして、囁き声で尋ねられる。


「ユナモちゃんの字は決めましたか」


「何のことかな?」


「養子縁組を役所に届けるとき、必要でしょう。カタカナですか。それとも漢字ですか」


「……それは本人に決めてもらおうかな」


「わかりました」


 しばらくして、再び囁き声が響いた。


「あなた──」


「うん?」


「どこへ行っても、ちゃんと二人で帰ってきてくださいね」


 本郷は首を向けると、典子がじっとこちらを見つめていた。


「わかりました」



◇========◇

次回11月8日(日)に投稿予定

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弐進座

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