休息の終わり(Condition all green) 5

【神奈川県 辻堂】

 昭和二十1945年十一月二十日 夕

 

 辻堂近くの海岸線は演習場に指定されている。ひと月ほど前まで、頻繁に上陸演習が行われていたが、今では鳴りを潜めてしまった。参加した大半の部隊が、戦線へ移送されたからだ。彼らの一部はオアフ解放作戦『復活祭』に動員されている。


 今では、たった一個中隊しか残されていない。他には警備隊と軍属の民間人くらいだった。その残り一個中隊も、いずれは演習場から姿を消すだろう。


 辻堂の演習場は、彼ら戦車中隊には狭すぎた。


 鋼鉄の獣を遊ばせるには、十分な面積が必要だ。具体的には口径十から十二.八センチの砲を射撃しても、全く支障がないほどの広さだ。内地で該当するのは、富士裾野演習場くらいだった。


 本郷史明が中隊の解散を発すると、兵士たちは顔を輝かせた。明日より、各員が休暇に入る見込みだった。もうすぐ、辻堂に別れを告げる予定だ。その前に、特別に五日間ほど暇を与えたのだ。幸い、彼の中隊はいずれも内地出身者で構成されている。五日もあれば、帰省して泊まるくらいは可能だろうと踏んでいた。仮に帰省せずとも、横浜なり熱海なりで羽を伸ばすことも可能だった。


 解散後、兵士たちは各自の車両を点検し、専用のカバーをかけた。最近支給されたもので、五式中戦車チリや派生車両に対応した大きなものだった。作業を終えると小隊単位で兵舎へ戻っていった。その中でも一人の士官が本郷へ近づいてきた。第一小隊長の中村中尉だ。


「隊長、お暇をいただきありがとうございます。おかげで、帰省できそうです」


「どういたしまして。君、生まれくには長野だったかな」


「ええ、ここからなら半日もかければ帰り着きますよ。土産の一つでも買っていこうかと思います」


「それはいい考えだ。親御さんもきっと喜ぶだろう」


「こっちは魚がうまいんで、干物とかいいかもしれません。ところで、隊長はどうされますか?」


 本郷は少し思案すると、首をふった。


「僕は、まだ決められないな。帰ったら、妻に相談しようと思う。実家へ帰るかもしれないし、あるいは公舎でゆっくりするかな。次に帰れる日が、いつなのかもわからないからね。今のうちに、やれることをやっておこうと思うんだが──君も、思い残すことがないようにしろ」


「ええ、そうします」


 中村は故郷の許嫁を思った。そろそろ、自分の意思を伝えるべきだろう。手土産は何がいいだろうか。近くに宝飾店があれば、ちょうどよいのだが。


 しばらく話し込んだ二人だが、唐突に背後から声をかけられた。


「ホンゴー、だっこ」


 振り向けば、年の頃6歳ほどの少女がいた。ユナモだ。戦車の車体前部の縁に座り、足をぶらぶらさせている。どうやら待ちくたびれたらしい。


 本郷は苦笑すると、中村ともに車体前部へ歩み寄った。


 見慣れぬものにとっては、いささか非現実的な光景かもしれない。ユナモが乗る戦車はあまりにも、大きすぎた。本当にそこにあるのか、存在自体が疑わしく思えるほどの大きさだった。しかし、それは実在し、稼働する戦車だった。


 Ⅷ号戦車マウス、北米で接収した重戦車だ。重戦車と言う区分に似つかわしく、百トン以上の重量を誇っている。傍に停車している五式戦車チリが、まるで子どもに見えるほどだ。チリも列強国の戦車に比肩するほどの諸元スペックだが、マウスが規格外すぎるのだ。


 車体前部に近寄ると、本郷はユナモへ向けて両腕を上げた。マウスの車高は彼の身長をはるかに上回っている。砲塔まで含めると、大人二人分以上の高さだ。


「ごめんよ。ほら、おいで」


 ユナモは肯くとマウスの前面装甲を滑り台にして、本郷の腕へ収まっていった。


 鋼鉄のゴリアテから降りた少女は、眠そうに瞳をこすった。


「おや、眠いのかな」


「うん」


「今日はもうこれで終わりだから、ゆっくりお休み。家に着いたら起こすよ」


 ユナモは最後まで聞き取る前に、夢の中へ旅立ってしまった。


「ゼンマイが切れたみたいですね」


 腕に抱かれたユナモを見て、中村が感心したように言った。


「こういうもんだよ。君もいずれわかるさ」


「そうですかねえ」


 それまで生きていたいものだと中村は思った。辛気臭くなりそうだったので、彼は話題を変えることにした。


「ところで、次の行き先はどこでしょうか」


「六反田閣下から何も聞いてはいないんだが──」


 おもむろに本郷は振り返った。マウスを囲む五式戦車チリの群れがある。


「あの新装備が必要になるところじゃないかな」


「新装備?」


「カバーだよ」


 チリやマウスを覆うカバーのことだ。特殊繊維で構成され、防水と防塵の両方を兼ね備えている。


「わざわざマウスの分まで用意されていたんだ。知り合いに聞いてみたが、陸軍でも出回っていない。それが支給されたということは──」


「湿気、埃。いずれかにまみれた土地。いくらでも思いつきますね」


 中村はため息をついた。休暇前に、振るべき話ではなかった。


 要するに世界中を連れまわされるのだ。


 本郷は。微笑すると労うように肩を叩いた。


「明日から五日間、無駄に過ごしてはいけないよ」


「ええ……」


 中村は、明日の早朝に横浜へ向かおうと決めた。


 繁華街の宝飾店を片っ端から巡るつもりだった。もちろん、将来の伴侶へ捧げるために。





 帰宅した本郷を長女の綾子が迎えた。


「お帰りなさい」


「ただいま」


 本郷は。いつも通り腕の中のユナモを綾子に預けた。


「お風呂沸いています」


「ありがとう。母さんは?」


「寄合。そろそろ帰ってくると思うわ」


「そうか。ああ、ところで綾子、学校はどうかな。勉強は出来ているかい。何か問題は起きていないか」


 いきなり父に尋ねられた綾子は少し目を見張ったが、やがて意図を察した。明日より、今年最後の休暇が始まるのだ。きっと父なりに、娘の生活を気にかけているのだろう。助けが必要なら時間があるうちにと思ったらしい。


「異常なしであります」


 長女は敬礼して答えた。



◇========◇

次回11月4日(水)に投稿予定

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弐進座




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