休息の終わり(Condition all green) 7

【神奈川 厚木飛行場】

 昭和二十1945年十二月二十二日 昼


 厚木飛行場は海軍隷下の航空隊が常駐している。おもな任務は帝都を含む関東一円の防空、そして教導訓練だった。ここ1、2年において緊急発進した回数は数えるほどだった。それでも、なお有力な戦力を保持していた。


 4年前、東京上空にBMが出現した際は、厚木が迎撃拠点のひとつとなった。東京から離れていたため、直接的な被害をうけなかったのが幸いした。初期の混乱をかろうじて収集した日本軍は、厚木を含め、関東一帯の飛行場に稼働可能な航空戦力をかき集めた。使える飛行場ならば、民間のものでも根こそぎ接収した。なかには、気球の離着場まで含まれていた。


 昭和十七年、東京BMへの反攻作戦が始まった時、厚木の滑走路は数百ソーティにわたる離着陸を支え続けた。海軍は、この基地に戦闘機と攻撃機、あわせて二百機以上を駐機させた。


 東京BMの殲滅に成功した後も、しばらく厚木飛行場の盛況は続いた。再び、あの黒い月が帝都上空へ現れる可能性を十分考えられたからだ。日本人は首都喪失の恐怖を二度と味わいたくなかった。


 日英米で同盟が成立し、太平洋と北米が日本の主戦線となり始めた頃から厚木基地が落ち着き始めた。まず艦上戦闘機の部隊が引き抜かれ、南太平洋へ転戦していった。その後、陸攻部隊が続いた。


 今では往時の四分の一程度の戦力まで減じているが、有力ではあった。主戦場が海外に移ったとはいえ、BMに備えない理由とはならない。そのため、教導飛行隊として腕利きの操縦士を育成する部隊が駐留している。BM出現の際は、彼らが先陣を切って迎撃任務にあたる手はずだった。


 その日、厚木の空は閑散としていた。いつもならば模擬戦闘を行う時間だが、操縦士は滑走路の傍で待機している。


 天候に問題があるわけではない。雲量はまばらで、気象予報でも本日は快晴と出ている。見上げれば、透き通るほどの青さがあった。


 誰もが空を見上げていた。操縦士も、整備士も、さらには警備担当の兵士、軍属の民間人までが滑走路まで出てきていた。彼らの網膜には、白い影が焼き付けられている。


 蒼空のキャンパスを白銀の翼が切り裂いていく。その翼に挟まれ、槍のようなものが飛び出している。よく目を凝らせば、流線型の頭部と鱗に覆われた首だとわかるはずだった。白い翼は、さしたる加速もつけずに急上昇を行うと、そこから身体をひねり、難なくインメルマンターンを決めた。


 厚木上空を旋回していたのは、一匹の竜だ。本来ならば直ちに撃ち落とすべき存在だが、誰もがその機動に見入っていた。


 その中の一人が口を開いた。


「あんな曲芸飛行、戦場でやられてはたまったものではないな」


 一見すると冷たい職人的な印象を受ける士官だった。飛行服を着用しているため、外見からでは階級を判断できない。


「お気に召しませんか、源田大佐オーバスト・ゲンダ


 傍らに立った白人女性が笑いかけた。


いいやナイン。リッテルハイムさん、曲芸飛行は私もたまにやるよ」


 源田実げんだみのる大佐は、諧謔をこめて返した。彼は教導飛行隊の指揮官であり、厚木飛行場の実質的な責任者でもある。


「ただ現状保有するどの機体でも、あんな機動は真似できないな。旋回半径は零戦よりも小さい。巴戦で食いついていくのは至難だろう。それにほら、あれ」


 源田が指した方向では、白い竜が空中静止ホバリング待機していた。どうやら次の指示を待っているらしい。


「空で止まるなど、航空機では不可能だ。回転翼機ならば話は別だが、あの竜ほどの速度も出せまい。率直に脅威を感じるよ」


 リッテルハイムは源田を試すように見ると、何の気なしに問いかけた。


「仮に大佐ならば、あの竜を落とせますか」


 源田は一瞬考えこむような顔を浮かべ、やがて頷いた。


「条件次第だ。一撃離脱で不意をつければ、<紫電改>でも十分にやれるだろう。成功の見込みは低いと思うが。音で気が付かれるだろうな。となれば、より早く確実な一撃で仕留める必要がある。いま空技廠で開発中の機体ならば、あるいは──」


 源田はリッテルハイムに向き直った。


「ともかく厄介な存在だが、一つ言えることがある」


 リッテルハイムはわずかに眉をひそめた。


「あのお嬢さん抜きならば楽勝だ」


 リッテルハイムの背後には、無線機を手にした戸張小春の姿があった。


「シロ、戻ってルボルソス


 小春が無線機に話しかけると、上空に待機していたシロが下りてきた。


 シロは滑走路へ着陸すると、くぐもったうなり声を上げながら、小春のほうへにじり寄ってくる。周囲の兵士たちが構える中で、小春とリッテルハイムは全く動じることなく近づいていった。


 小春が目前に来ると、シロは伏せの姿勢をとった。その仕草は大型犬を彷彿させたが、スケールが桁違いだった。少女の目の前には、複葉機赤とんぼほどの大きさの獣がいた。


「はい、おりこうさん」


 小春がシロの頭頂部を撫でると、再びくぐもったうなり声を上げた。喉を鳴らし、甘えているのだ。


「良いものを見せてもらった」


 いつの間にか、源田が小春とリッテルハイムの背後についてきていた。


 さらに源田の後ろには、戦闘機の操縦士たちが遠巻きに見守っている。


「ありがとう」


 自身よりも二回り以上の大人に頭を下げられ、小春はやや面食らった。


「あ、はい! こちらこそお邪魔してすみません」


「かまわんよ。貴重な体験を得る、ちょうどよい機会だったのでね。何しろ、我々戦闘機乗りは間近で魔獣を見ることなど滅多にない」


 源田は小春の前に進み出た。


「私が触っても問題ないかね」


 小春はリッテルハイムと顔を見合わせると、すぐに頷いた。


「はい、大丈夫です」


「よかった。では、失礼」


 源田はシロの首筋に手を当てると、軽く叩いた。


「思ったよりもしなやかで強靭そうだ。これならば旋回中に首を動かしても大丈夫だろう。さて──」


 そのまま源田は胴体部まで回り込み、あらゆる方向からシロの身体を見て回った。


 小春とリッテルハイムは源田の大胆さに目を見張った。初めてシロを見た人間は遠巻きにして近寄りたがらないのだ。しかし、源田は何ら構うことなくシロに接触していた。ある意味、異常とも思えるほどの探求心の発露だった。


「なるほど飛翔に特化しているが、渡り鳥のような滑空は不得意か。やはり骨格標本よりも把握しやすい」


 源田はシロの全身を検分すると、最後に神妙な面持ちで尋ねた。


「ところで、この竜には例の部位はあるのかね」


「なんです?」


 小春は怪訝そうに尋ねた。


「逆鱗だよ」


 源田は口角を上げた。



◇========◇

次回11月12日(木)に投稿予定

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弐進座

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