復活祭(Easter) 15
【ワイナイエ山中】
1945年12月22日 朝
黒木は野営地の撤収作業を指揮していた。左腕に巻いた包帯から血が滲んでいるが、痛みは感じなかった。過剰に分泌されたアドレナリンが痛覚を退け、代わりに抗いがたい怒りを覚えさせていた。
部下の一人が黒木のもとへ駆け寄ってくる。
来年成人を迎える兵士は息をのんだ。黒木の足元に大サソリの前腕部、そのはさみが転がっていたのだ。
「何人、やられた?」
黒木はさして気に留める様子もなく、問いただした。兵士は我に返り、黒木に向き直った。
「戦死二名。軽傷二名。重傷一名です」
「そうか」
黒木は足元に転がるはさみを踏みつけた。ほとんど無意識の行動だった。
──神様ってのはどうしても帳尻を合わせたがるらしい。
オアフに上陸してから、黒木の部隊は人的損害をほとんだ出さずに済んできた。不幸な事故で指揮官の町田中尉が負傷してしまったが、一命はとりとめている。
これまで奇跡的に無傷だったのだが、ついに昨夜の魔獣との戦闘でついに戦死者が出た。
敵は大サソリ一体だけではなかった。その背後に
十数体の
餓鬼は小柄な体躯で機敏に動き、銃口の照準を容易にかいくぐってくる。開戦当初、餓鬼を侮ったあげく瞬く間に距離を詰められて首元を掻っ切られた兵士が少なからずいた。そのため近距離における戦闘では短機関銃が推奨されている。至近で銃弾をばらまき、ぼろ雑巾にするのだ。
陸軍内の一部では、あえて白兵戦を挑んでさえいた。中世的な浪漫に毒されたわけではない。開戦当初に短機関銃が不足していたからだ。そのため一時期は代わりに軍刀の支給を増やされ、幕末よろしく白刃隊が南方の戦場で結成されていた。
黒木は戦死者の埋葬を命じた。本土へ帰してやりたいが、彼の部隊は戦場で作戦行動中だった。オアフが完全制圧されるまで、帰還を待ってもらわなければならない。
「認識票は回収したか」
「こちらです」
兵士から真鍮製の金属板を受け取る。刻まれた名前には見覚えがあった。いずれも自分より若い青年だ。
黒木は戦死者の認識票を小さな袋に詰め、落とさぬようにポケットへ押し込んだ。
「重傷者は担架に乗せておけ、貴様は軽傷者と……いや、待て」
黒木は後ろを向いた。連絡将校の少尉が突っ立っていた。
少尉は近くの兵士に話しかけていた。少尉は険しい顔だった。兵士のほうは困惑しているように見えた。
二人に近づいた黒木は状況を理解した。
少尉は
わざとらしく咳ばらいを行うと、彼は少尉の名を呼んだ。
「どうかしたのか」
少尉は不本意そうに黒木に目を向けた。昨日から感じていたが確信に近いものになった。おそらくこの若者は俺のことを嫌っている。理由はわからないが。
黒木はいかにも深刻そうな顔で少尉の目を見た。一瞬ひるんだように見えたが、気のせいだということにした。
「少尉殿にご報告があります」
黒木は部隊の損害が極めて深刻だと伝えた。このままで任務の遂行すら困難だと。
「大変なことになった。我が中隊にとって由々しき事態だ」
「ええ、全くその通りです」
黒木は表情筋を固定しながら言った。
「よもや魔獣が夜襲を仕掛けてくるとは、まったく小癪な奴らだ」
少尉の感想に黒木は機械的に同意した。
「部隊の戦意も問題がある。見張りを立てていながら、無様に混乱し、損害を増やした。全く情けないありさまだ。鍛えなおさなければいけないな」
周辺の空気がささくれ立っていることに少尉は気づかなかった。
昨夜の戦闘で混乱が生じたのは確かだ。
しかし、その原因は戦意の不足でも、練度の問題でもなかった。
昨夜、大サソリの戦闘で黒木は機銃分隊と擲弾筒分隊を呼びよせたが、到着することはなかった。
目前の連絡将校が大声で騒ぎ立て、命令らしきものを発したからだった。
小隊の兵士は古参の軍曹と新参の少尉の命令に挟まれ、右往左往した。その結果、大サソリへの対処が遅れ。餓鬼どもの奇襲を許すことになったのだ。
黒木は少尉の感想をひとしきり聞いた後で、本題を持ち出した。
「少尉殿に意見具申があります」
「なんだ? 言ってみるがいい」
黒木は悲壮な顔を作り、窮地に瀕した部下として絞り出すように言った。
「はい。本来ならば中隊本部に状況を報告し、応援を要請すべきです。しかしながら、昨夜の戦闘で無線機は故障しております。我々は任務遂行のため、ここに残ります。少尉殿にはどうか我々の窮状を中隊長殿へお伝えいただきたいのです」
続けて護衛をつけると言い、軽傷者と重傷者の搬送のため、一分隊を割りあてる。
黒木は仕上げに深々と頭を下げ、任務の成功するために少尉のご助力をいただきたいといった。
部下から助けを乞われ、少尉は義務感に駆られた。さながらセリヌンティウスを残したメロスのごとく、彼は分隊と負傷者の列を率いて戦場を離脱していった。
「名演技でしたよ」
少尉たちの後姿を見ながら、古参の兵士が黒木に賛辞を贈る。
「おいおい、誤解だよ。俺は本心からお引き取り願ったんだよ」
古参の兵士は破顔した。
「でも無線機が壊れたってのは言い過ぎじゃないですかね。電池切れは壊れた範疇に入りませんよ」
「俺の感想だと壊れたことになるのさ」
黒木はふっと笑みを浮かべると、通信兵を呼び寄せた。昨夜の戦闘と少尉殿の武勇伝について、中隊本部へ報告するためだ。
今井少佐ならば黒木の言うことを言外も含めて理解してくれるだろう。あの少尉の処置については知る由もなかった。
──きっと悪い人ではないのだろう。
黒木はわずかな同情をこめて思った。
恐らくそこいらの町役場ならば無難に仕事をこなし、一日の大半を愚痴に費やして終わる。そんなところだ。しかしながら、ここは戦場だった。無能はときに大量殺人を引き起こす。たいていの場合、味方が犠牲者となる。
──俺が中退しなかったら、結果は違ったのだろうか。
黒木は大学を中退していた。実家の都合で学費を払えなかったのだ。大学時代の知人は予備士官として陸軍や海軍に引っ張られている。もし彼が無事に卒業していたら、少なくとも少尉待遇以上で任官していただろう。必要もないのに、敵地のど真ん中で野営などと言い出す莫迦野郎を無視しても問題なかったはずだ。
黒木は自分の妄想を振り払うと、無線機の電源を入れた。
黒木の報告を受けた今井は、何が起きたのかを把握し、適切な対処を約束した。
今井から「すまない」と付け加えられ、交信は切られた。
◇========◇
次回8月9日(日)に投稿予定
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弐進座
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