復活祭(Easter) 10

【ワイナイエ山中】

 1945年12月21日 深夜


 ジョセフが目を覚ましたとき、網膜が捉えたのは暗闇だった。


 まともに意識を保つのが難しかった。脳みそを熱したスプーンでかき回されたようだ。実際のところ、それに近い状況だった。昏睡している最中、彼は高熱でうなされていた。


 しばらくの間、虚空の暗闇を見つめていると、やがて光を知覚できるようになった。どうやらここは、どこかの洞窟のようだった。


 薄ぼんやりとした橙色の光が、視界の右端から波紋のように揺らめいて見えた。


 おもむろにゆっくりとジョセフは首を動かした。


 焚き火があった。それだけではない。炎に隠れるように、小さな人影が見えた。


「君は……」


 身体の向きを変えようとして、ジョセフは鋭い痛みが右脚に走り、思わずうめき声が漏れた。


動かんほうがいいゲット レスト


 その声は横たわったジョセフの頭上から発せられた。焚き火とは真反対の方向だ。明らかに大人の男の者だった。それに妙ななまりが入っている。


「だ、誰だ……」


 激痛と不安から額に汗が浮かぶ。しばらく沈黙が続いた後で、動く気配がした。


「あんたの命の恩人だよ」 


 焚き火を背にして男が姿を現わした。ジョセフは内心で安堵した。相手が人間だったからだ。しかし疑問は解消されなかった。


 いったい、こいつは誰なんだ。


 男は小柄だった。着ている服はボロボロで、まるで浮浪者のようだった。暗がりで表情はよく分からないが、髭は伸びきり、頭髪は紐か何かで後にまとめられている。ジョセフは大昔に読んだロビンソンクルーソーの表紙を思い出した。


 呆気にとられるジョセフを前に、男は僅かに笑ったようだった。


「悪いが、あんたの太ももの肉を少しだけ削いだ。止血と消毒はしているから安心してくれ」


 男はそう言うと、さびついたパイプ椅子に腰掛けた。


「あのゴブリンどもは知恵が回る。矢じりには毒が仕込んであって、そいつで獲物を狩っているんだ。奴らを火炎瓶で焼いた後で、すぐに傷口から毒を吸い出したがね。だが傷口に浸透した毒はそれだけじゃどうにもならなかった。すまない」


 男は頭が下げた。ジョセフは少しだけ目を見はると、弱々しく手をふった。


「あなたに助けられたのは本当みたいだ。ありがとう。もう少しで天に召されるところだった」


「そう言ってもらえると助かる。ところで、あんたは米国人アメリカンのようだな」


 ジョセフは肯いた。


 男は息を飲むのがわかった。緊張しているようにも見える。探るように男は口を開いた。何かを覚悟しているようでもあった。


「それなら教えてくれ。日本はどうなった? まだ、あんたらと戦争をしているのか」


 返答に窮する質問だった。


 日本がアメリカステイツと戦争?


 何を言っている?


「質問の意味がよくわからない。日本が僕らと戦争しているかって? 答えはノーだ」


 男がぐっとジョセフに顔を寄せた。ようやく相手が東洋人だとわかった。


「……日本が負けたのか?」


「だから、なんの話なんだ? そもそも僕らは戦争なんてしていない。僕らが戦っているのは魔獣ビーストどもで、日本は同盟国だよ」


「なっ……」


 男は絶句すると、鉄パイプの背もたれによりかかった。


「日本がアメリカと同盟……どういうことだ。聞かせてくれ。この五年間で何があったのか」


 男の要求にジョセフは応えることにした。相手は敵ではないようだった。だが妙な誤解が生じているらしい。早めに解いておいた方がよさそうだった。


「かまわないよ。どうせ、この傷で動くことはできそうにない」


「ああ、そうだな。しばらく、ゆっくりしたほうがいい。そう言えば自己紹介がまだだったな」


 男はパイプ椅子から立ち上がると、直立不動の姿勢をとった。そのまま右手を斜めにして、額に掲げる。


「帝国海軍少尉榊牧男サカキマキオだ」


 ようやくジョセフの疑問は解消された。しかし、その回答はあまりにも予想外だった。


帝国海軍IJN? それじゃあ、あなたは日本人なのか。こんなところで何をしているんだ? 原隊からはぐれたのか?」


 再び榊は椅子に座り直すと、ゆっくりと首をふった。


「はぐれたか。その通りかもしれない。すまないが、その質問にはあんたの話を聞いてから答えさせてくれ」


 訳ありの様子だった。確かに、このサカキという男はジョセフが知っている日本人と多くの点で異なっていた。合衆国とともに日本は軍を派遣しているが、それはつい一週間ほど前のことだ。こんな短期間にボロボロになるとは思えなかった。


 どう見ても、このサカキは数年はここで暮らしている・・・・・・・・・ようにしか思えない。それに訛っているとはいえ、英語の発音も母国語に近いものだ。少なくともジョセフがあった数少ない日本人の中では、最も聞き取りやすいレベルだった。


 気になる事と言えば、もう一つあることをジョセフは思い出した。


「そういえば、あんた腹が減ってないか」


 唐突に話しかけられ、ジョセフは返答に窮した。


「いや、そんなには減っていない。それよりも喉が渇いた」


「わかった」


 榊は振り向くと、焚き火の向こう側にいる影へ話しかけた。


「シェリイ、ちょっと奥から水を持ってきてくれ。ちゃんと煮沸したやつだぞ」


 小さな影が立ち上がり、橙色の炎が輪郭を映し出した。


 白人の少女だった。


 シェリイと呼ばれた少女はこくりと肯くと洞窟の奥へ姿を消した。


◇========◇

次回7月5日(日)に投稿予定

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弐進座

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