復活祭(Easter) 9

【オアフ島 パールハーバー】

 1945年12月21日 夕


 朝方パナマを飛び立った二式大艇が、パールハーバーに着水したのは夕暮れ時だった。ザトウクジラを思わせる巨体が着水し、帯状に波紋の尾を描きながら制動していく。突然の来訪者にカモメの群れが色めきだった。


 二式大艇が着水を完了させると、やがて乗降扉ハッチが開き、一人の海軍士官が姿を現わした。


 オアフの風を肌で感じた瞬間、法務少佐の小鳥遊俊二たかなししゅんじは後悔した。防暑服か、せめて第三種軍装に着替えてくるべきだった。第二種軍装、いわゆる白服ではとてもではないが赤道近くの暑さに耐えきれない。


 パナマも似たような気候だったが、もっぱら会議や書類作成など屋内での事務処理に追われていたため気にするまでもなかった。それに当地では諸外国の高官と会う機会も多く、草色の服よりは見栄えのする第二種軍装の方が勝手が良かったのだ。


──まず荷物を降ろしたら、すぐに着替えよう。


 波間をぬって、大発が近づいてくるのが見えた。その先には二式大艇を遙かに凌ぐ巨艦が控えていた。


 大鳳級空母、一番艦<大鳳>。


 小鳥遊の今夜の宿泊先だった。





 <大鳳>へ移乗した後、すぐに小鳥遊は来客用の一室へ通された。恐らく元は士官用の部屋だろう。室内には机と小さめのクローゼット、そして寝台。必要最低限の調度品によって構成されている。パナマのホテルに比べれば、監獄のような手狭さだったが、満足すべき状況だと理解していた。仮にも戦場で私的空間が持てるのは何よりも有り難いことなのだ。特に小鳥遊のようなアタッシュケースを持ち歩く人間にとって、必須に近い環境だった。


「御用がありましたら、いつでもお呼びください」


 新兵と思しき若者が慣れない敬語で言った。


「ああ、ありがとう。下がって良いよ」


 海軍士官らしからぬ丁寧な口調で小鳥遊が返すと、新兵は少し驚いた様子で戻っていった。


 小鳥遊はすぐにトランクから草色の第三種軍装を取り出した。ちょうど着替え終わった頃、ドアがノックされる。


 入室の許可を伝えると、同じく草色の軍装を着た士官が入ってきた。階級は小鳥遊同じ少佐だった。角張った眼鏡をして、地方の信金で管理職をやっていそうな風体だった。


「どうも初めまして、第八艦隊ハチカン司令部の日下部くさかべです。例の葉巻・・の取り扱いを専門にしてます」


 葉巻とは、もちろん甲標的のことだった。


「海軍省から話は伺っています。法務士官の小鳥遊です。なにぶん事務畑でご迷惑をおかけするかもししれませんが、よろしくお願い致します」


 日下部は手を振ると、目を糸のように細めた。


「いえいえ、こちらこそわざわざ遠いところをお越しいただいて有り難い限りですよ。なにしろ、前例がないものでしてね。まあ、正直どう扱ったらいいものかわからんかったのです。専門家のお知恵を拝借できるのなら、これに越したことはない」


「ご期待に添えるかわかりませんが──」


 小鳥遊は椅子を勧めると、自分は寝台に腰を下ろした。日下部は書類鞄を持ってきていた。どうやら長い話になりそうだった。


「まずは状況をお聞かせ願いたい」


 日下部は書類鞄から複数の資料を取り出すと、簡潔に説明していった。無駄のない、それでいて小鳥遊にとって必要十分な要約だった。初対面の印象と違い、日下部の能力に一定以上の評価を下していた。信金の管理職ではなく、大店の番頭までつとまりそうだった。


「──というわけでしてね。まあ断言はできんのですが、乗員が生きている前提で我々も動いているわけですよ。こう言っては何ですがね。そちらのほうが色々と手間が増えるだろうと思いましてね」


「妥当な判断だと考えます」


 小鳥遊は現像されたばかりの写真を手にしていた。黒い葉巻状の潜航艇が映っている。


「確かに、こちらの葉巻も含めて合衆国を刺激しないように処理する必要がありますね」


「全くその通り。ことに今は軍事行動のまっただ中です。こいつが引き金になって、4年前の遺恨が息を吹き返すなんてことになったら、洒落にならんわけですよ。それじゃ無理を押して復活祭作戦に我が軍が参加した意味が無い。こいつが外交政策の都合で……ああ、これは釈迦に説法でしたな」


「いいえ、お気になさらず。因縁のハワイで合衆国軍と協同作戦を行い、日米間の結束を既成事実として国際社会に印象づける。個人的な感想ですが、悪くないやり方だと思いますよ。ただ、だからこそ今回の一件は致命的ですね」


「ええ、全く。話が早くて助かりますわ」


 日下部は声を落とした。どうやら本題に移るようだ。


「仮に合衆国側に搭乗員の身柄が押さえられた場合、我々の立場ひどく苦しくなる」


 小鳥遊は肯くと、日下部はさらに続けた。


「陸戦隊を動員して捜索していますがね。なにせ合衆国の目を盗みながらやるのは至難の業だ。それに展開している人員でも、向こうが圧倒的に上です。ああ、もちろん英国軍も込みで考えた話ですよ」


「我が軍以外に保護されたとき、4年前に我々がここで何を仕掛けるつもりだったから掘り起こされる。その場合、外交上の不利は免れないでしょう」


 小鳥遊は無意識のうちに、内ポケットから煙草を取り出した。火を点けようとして、卓上ライターを探し、自分がパナマではなくハワイにいることを思い返した。


 日下部は僅かに笑みを浮かべると、自身のライターを差し出した。代わりに小鳥遊から一本煙草を頂戴する。見慣れないパッケージだった。おそらく南米産の銘柄だろう。


「まあ、そういうわけで次善の策としてあなたにお越し願ったわけです。お話しした通り、こっちが先に保護できる可能性は低い。考えたくはないが合衆国側に身柄を押さえられたとき、あなたの出番だ。連中と交渉して、取り戻して欲しいわけです」


「委細は承知しました。ところで、あの葉巻はどうしますか。放置するわけにもいかないでしょう。かといって運び出す機材もない。爆破処分するにしても合衆国の目がある」


「そちらについては、私にお任せ願いたい」


 日下部は意味ありげに肯いた。


「何か考えが?」


「まあ細工は隆々という奴でね」


 小鳥遊は小首をかしげたが、それ以上追求しなかった。


 それよりも急ぎ本国へ打電する必要があった。


 かつてハワイに投入された潜航艇の乗員の記録について照会し、軍籍の把握する必要があった。彼の記憶が正しければ、ハワイ演習における潜航艇の殉職者・・・は居なかったはずなのだ。だとしたら、海軍が4年前の帳尻をどのように合わせたのか知らなければならなかった。


◇========◇

次回6月28日(日)昼頃に投稿予定

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弐進座

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