復活祭(Easter) 8

【ワイナイエ山中】

 1945年12月21日 午後


 シダの群れの中を褐色の兵士が狂ったように駆け抜けていく。初めはがむしゃらにマチェットを振り回していたが、どこかで無くしていた。懲罰ものだったが、ジョセフにとってはどうでも良いことだった。今の彼はあらゆる事態から逃げ切りたかった。


 どれほど走っただろうか。ジョセフの逃走を止めたのは地面にむき出しになっていた木の根だった。足をかけられ、滑り込むように前のめりに倒れた。


 いつのまにかジョセフ・ラスカー一等兵の周囲から音が消えさっていた。銃声はおろか、味方の悲鳴すら聞こえない。スコールは止み、野戦服が肌に張り付いて気持ち悪かった。赤道近く特有の生ぬるい空気がさらうに不快感を増幅させる。


 口に入った泥を吐き出し、ジョセフは起き上がった。ところどころ生傷を負っているが、行動に支障は無かった。転んだショックで、ジョセフは失われかけた正気をやや取り戻すことができた。ようやく彼は認識を取り戻した。


 現実は残酷だった。


 今や完全に孤立してしまった。味方も散り散りになり、合流するのは困難だろう。いずれ捜索隊が出されるだろうが、いったいどんな顔をして会えば良いのだろうか。


 肩で荒い息をしながら、自分の身を振り返る。情けなさ過ぎて死にたい気分になった。いったい何のためにここまで来たのだ。義務を果たしに来たはずが、とんだ莫迦野郎になっちまった。クソを漏らしそうなほどビビって何もできはしなかった。置き去りにした戦友の顔がこびりついて離れない。肩にかけているM1ガーランドの重みが空しく感じられた。初陣でこいつをぶち込んだ相手がただのプラントになるとは思いもしなかった。しかも全くの役立たずだった。


 楽な戦いじゃないことはわかっていたはずだ。覚悟が出来ていると思っていたが、ただ思っていただけだった。自分はなにもわかっていなかったのだ。どこかで容赦されると期待していた自分をぶち殺してやりたい。


 次第にジョセフの中で怒りがこみ上げてきた。


 このまま帰りたくなかった。


 サンディエゴを去るとき、父親から吐きかけられた言葉が蘇る。


『罰あたりめが、きっと後悔するぞ。お前みたいな奴が軍に入ったところで足手まといになるだけだ』


 クソったれめが、親父その通りだよ。


 小銃を杖にして立ち上がる。肋骨にヒビが入ったのか、鈍い痛みが走ったが脳内のアドレナリンによって無視された。ジョセフはポケットから磁石を取り出した。まずは東だ。東に向かい、ベースへ戻り、ありのままに報告するのだ。


 ジョセフは屈辱と向き合うため、新たな一歩を踏み出した。残念ながら、彼はそこから二歩目を踏み出すことができなかった。原始的な矢が彼の右太ももを貫いた。アドレナリンでごまかせないほどの激痛に襲われ、彼は悲鳴とともに倒れた。


 周辺のシダがざわめきだし、灰色の肌に紅い目をした餓鬼ゴブリンどもが姿を現わした。その手には石斧や手製の槍が握られていた。醜く開いた口元から牙が見え、よだれがしたたり落ちた。


 ジョセフは引きつった笑みを浮かべると、次の瞬間、咆えた。


クソ魔獣ファッキンビーストどもめが!!」


 あらん限りの声で叫び、ガーランドのトリガーを引く。残弾6連射の銃声が響き、至近から餓鬼ゴブリンどもの肉体を砕いた。奇妙な叫び声を上げながら、餓鬼どもはシダの群れの中へ姿を消した。


 ジョセフは倒れ伏すと、次第に意識がなくなっていくのを感じた。遠くから、あの奇妙な鳴き声が木霊する。きっとオレが弱ったところで止めを刺すつもりなのだろう。


 ジョセフの推理は当たっていた。一度はシダの茂みに姿を隠した餓鬼どもが、再び姿を現わした。ジョセフを囲む灰色の円がどんどん縮まっていく。


「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ……おののいてはならない」


 青年は聖書の一節を口にすると、母親に詫びを入れる。遠ざかる意識に反比例して、鳴き声が近くなる。やがて周辺が急に騒がしくなる。同時にジョセフは猛烈な熱波に見舞われた。


 意識を呼び起こし、薄らと目を開けると餓鬼どもが炎に包まれていた。わけのわからない光景に声を失う。


 突如、ジョセフの身体が抱えあげられた。正体を確認しようとするジョセフの耳元で「静かに」と囁かれる。ジョセフは混乱した。


 明らかに、その声は少女のものだった。





 黒木たちがワイナイエの山中に入ったのは、命令を受けて三時間後のことだった。時間が掛かったのには、それなりの理由があった。


 必要な装備を揃えるためだった。


 紅蓮の炎が巻き上がり、一連のシダの茂みを焼き払う。炎の渦は数メートル間隔で横一列に数秒間にわたり放たれた。数条の火炎が低木林の合間をぬって、地面を嘗めるように炙っていく。ほどなくしてシダ林に異変が見られた。数本シダが、サナダムシのようにクネクネと蠢きだした。


 擬態した捕食樹プラントイーターだ。

 シダに混じり、獲物を待ち構えていたのだ。

 黒木たちは、文字通り捕食樹を炙り出すと、今度は集中的に火炎放射を加えていく。


「ニューギニアではさんざんこいつに苦しめられましたね」


 古参の兵士が黒木に言った。


「ああ、あの頃は満足に火炎放射器を揃えられなかったからな」


 丸焦げになった捕食樹を、黒木は踏み砕いた。


火炎瓶モロトフカクテルを投げまくったもんさ」


 オアフ山中を局地的に焦土に変えながら、黒木達は分け入っていった。




◇========◇

次回6月21日(日)投稿予定

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弐進座

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