復活祭(Easter) 11


「……サカキ、あの子は?」 


 暗闇に消える小さな影を、ジョセフは見送る。


「ずっと前、黒い玉が現れた頃に成り行きで保護した。ここに住んでいた子どもだよ」


「黒い玉? BMが現れたときじゃないか。4年も前から、ここにいたのか」


 何かの冗談かと思ったが、榊が嘘をついているようには見えなかった。第一、そんなことをする理由が無い。


 榊は榊で困惑しているようだった。


「ビーエム?」


 榊は首をかしげた。


「なんのことだ?」


 ジョセフはさらに混乱した。


「何って、黒い月ブラックムーンのことさ。このオアフにも数ヶ月前まであっただろう」


「あの宙に浮いた莫迦でかい玉のことか。あれをBMというのか。確かに、暫く前まであったがね。どこかへ消えてしまったな」


 この世界にいながら、BMを知らない。


 だとすると、本当にこの日本人は──。


 呆気にとられるジョセフへ歪んだ錫製のコップが差し出された。シェリイと呼ばれた白人の少女だ。


 ブロンドの髪は短く切られており、年の頃は十歳程度のようだった。着ている服は男物で、恐らく陸軍の野戦服だったものだろう。切り詰めて、サイズを無理矢理合わせているせいで、服に着られている印象を覚えた。


「水、持ってきたよ」


「ありがとう」


 榊の助けを借り、ジョセフはゆっくりと身体を起こした。コップを受け取り、乾きを癒やす。ぬるい水が身体に染み渡っていく。


「すまないが、もう一杯もらえるかな」


 空のコップを受け取ると、シェリイは再び洞窟の奥へ消え、すぐに戻ってきた。


 お代わりをもらい、ジョセフは洞窟の壁に身を預けた。


「ここには、君ら以外にはいないのか」


「いたけど、もう死んでしまったわ。今はサカキと私だけ」


「……ごめん。悪いことを聞いたね」


 シェリイはこくりと肯いた。ふとジョセフは気がついた。自分が餓鬼ゴブリンに襲われたとき、耳元で聞こえた声は彼女のものだ。


「あのとき僕を助けてくれたのか」


「うん。森で倒れたあなたを見て、サカキを呼んだ」


「そうか。それなら君も命の恩人だな。きっと勲章がもらえるよ」


「勲章? パパも持っていたわ」


「それはすごい。お父さんも軍人?」


「うん、大きな船に乗っているの。アリゾナって言うの」


「<アリゾナ>……」


「ねえ、教えて。パパの船はどこにいるの? きっと、あの化物をやっつけてきているんでしょう」


「それは──」


 ジョセフはUSS<アリゾナ>の行方を知っている。今年の初め、新聞の一面で横須賀を強襲した幽霊フライング・戦艦バトルシップの記事を見ていた。あの記事が確かならば、トーキョーガルフのどこかに、その身を横たえているはずだ。仮に与太話だったとしても望みはなかった。USS<アリゾナ>はパールハーバーで魔物に撃沈された喪失第一号艦として、海軍の公文書に記録されている。


 ジョセフの表情から何事かを悟ったらしい。榊はシェリイに声をかけた。


「シェリイ、このお兄さんは少し疲れているみたいだ。明日ゆっくりと聞いた方がいいだろう。それに、もう夜も遅い。そろそろ寝る時間だ」


 シェリイは少し残念そうな顔を浮かべると、榊の言う通りにした。


「お休みなさい」


「ああ、お休み」


 少女の姿が見えなくなったところで、残された大人達は声のボリュームを下げた。


「信じられないけど、あなた達はずっとオアフここにいたわけだね」


「その通りだ。我々はこの島に4年間囚われていた」


「すごいな。よく生き残れたもんだ。あんな小さい子もいるのに」


「楽ではなかったが、幸い良い子で助かっている。私があの子に会ったときは、今よりも子どもだった。ウィーラー飛行場はわかるか。あの近くで保護したんだ。もうすでに、あんたらの仲間は引き上げた後だったよ。運悪く取り残されたらしい」


「そうだったのか。あんな小さい子どもが置き去りに……」


 ジョセフは身につまされる思いになった。魔獣だらけの島に残されるなど、どんな悪夢よりも酷い現実だ。


「あの子の母親は?」


 榊は複雑な感情を浮かべ、首をふった。


「一度だけ聞いたことがあるが答えなかったよ。まあ、それ以上は追求しなかったさ。恐らく酷なことだろうからな」


「ああ、そうだね」


 数秒の沈黙が洞窟内を支配した。しばらくして、おもむろに榊が口を開いた。


「そう言えば、あんたの名前を聞いてなかったな」


「ああ、そうだった。こんな姿勢ですまない。合衆国海兵隊USMC一等兵プライベートのジョセフ・ラスカーだ」


「ジョセフか。覚えやすい名前だな。教えてくれ。私らが、この島にいる間に世界はどうなったんだ? 日本、アメリカ、なんだっていい。とにかく知りたいんだ」


 榊は懇願するように言った。ジョセフもこの日本兵の境遇について色々と聞きたかったが、その前に自分が話すべきだと思った。これ以上、彼を待たせるのは拷問に等しい行為に思われたからだった。


「ああ、わかったよ。長い話になるよ。そう、まずは4年前に、この世界で何が起ったのか話した方がいいようだ」


◇========◇

次回7月12日(日)に投稿予定

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弐進座

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