幼年期の記憶(Once upon time) 16:終
【上大崎 海軍第二技術研究所】
昭和
執務室の黒電話が鳴った。すぐに受話器をとったのは、矢澤中佐だった。電話の種類から内線だとわかっている。彼は、労いの言葉をかけると受話器を降ろした。
「竹川中尉の意識が戻りました。どうやら過度の過労がたったようです」
六反田は「そうか」と頷いた。執務机に体積の大半が脂質と化した足を乗せた状態だった。腹の上に分厚い報告書を載せて目を通している。
「腰をやりますよ」
呆れた口調で矢澤はたしなめた。
「お気遣い痛み入るよ。それよりも竹川君は帰らせておけ。明日は来んでよろしいと伝えろ。これは命令だ」
「承知しました。妥当ですね」
六反田へ調査報告を行った後、竹川は自室へ戻る途中で倒れたのだ。
「まあ、場合によっては君の判断で二、三日休ませろ。オレの命令扱いでかまわん。まだ靖国行きは早いだろう。それに彼には、この先も役立ってもらう。矢澤君、我々は真実の原石を得たのだ。竹川君には、そいつを研磨してもらわねばならん」
「ええ、ユナモちゃんの言う光る竜が居るとしたら、我々を取り巻く状況に新たな要因が加わったことになります」
「ああ、全くその通りだ」
六反田は投げ出した足を床に戻すと、腹の上に載せた報告書を机に置いた。
「竹川君のこいつを読む限り、古代こちら側に来た竜はBMと無関係と結論づけている。
「第三勢力、不確定要素、あるいは新たな脅威。言い換えるのならば、そんなところでしょうか」
「実に官僚的な
「昔取った杵柄ですよ。私も霞ヶ関の端くれでしたから」
「まあ、間違ってはおらん。オレの解釈は少し違うが」
「なんです?」
「野良
矢澤は失笑したが、六反田にとっては心外だったようだ。
「おいおい、儀堂君のシロの例を考えてみろ。人に飼われる竜がいるとしたら、野生の竜がほっつき歩いていても可笑しくはあるまい。まあ、歩くよりは飛ぶ方が正しいか。どっちでもいいが、あらゆる世界を行き来している竜がいるとしたら、そいつとなんとかしてコンタクトを取りたい。竹川君には引き続き、その方法を探ってもらう」
矢澤は頷きつつも、眉間に僅かな皺を寄せた。
「しかし、これ以上調べたところで何かわかるとは思えませんが」
「そうでもないぞ。肝心なことを忘れちゃいないかね」
試すように六反田は言った。矢澤は顎に手を当て、数秒経た後に気がついた。
「シロですか」
六反田は片方の口角を上げた。
「我々は運に恵まれているな。上手くいくかどうかはさておき、試す価値はあるだろう」
「上手くいかなかった場合は?」
「簡単だ。探してもらう。
六反田を遮るように、黒電話が鳴った。すかさず矢澤は受話器をとった。短いやりとりの後で、六反田に受話器を渡した。相手は井上海軍大臣だった。六反田は挨拶代わりに嫌みの応酬を行うと、急に神妙な顔つきになった。そして、しばらくした後で静かに受話器を降ろした。
「やれやれだよ」
「いかがしました」
「遣米軍司令部からの情報だ。合衆国がハワイ奪還に動き出したらしい」
矢澤は言葉の意味を理解するのに数秒かかった。そうして、ようやく彼なりの感想を述べた。
「
【東京 霞ヶ関】
昭和
霞ヶ関の水交社に入ると、すでに彼を呼び出した友人は席に着いていた。
「小鳥遊君、すまない。遅れてしまった」
律儀に頭を下げる竹川に対し、小鳥遊は苦笑した。
「いや、こちらこそ呼びだしてすまないね」
小鳥遊は給仕を呼ぶと、ビールを注文した。数分後、運ばれてきた黒いラベルの瓶を傾けると、二人は乾杯した。
「どうしたんだい。君からの呼び出しとは珍しい」
コップを空にした竹川は二杯目を注ぎながら言った。小鳥遊は唐揚げを小皿に乗せると、卓上の塩を少し振りかけた。
「いや、実はしばらく内地を離れることになりそうでね。離任前の挨拶だよ」
竹川は、僅かに目を丸くした。
「次の任地は?」
「はっきりはしていないが、恐らく中米か欧州だよ」
「中米だって? 欧州はまだ察しがつくけど、中米に何があるんだい」
「年明けにパナマで国際会議がある。パナマ条約の改正に絡んで、列強各国のお歴々が顔をつき合わせるわけさ。その随行員になるかもしれない」
「それは大変だなあ」
同情的なぼやきに対して、小鳥遊は首を振った。
「そうでもないよ」
実際のところ、小鳥遊の心境としてはまんざらでもなかった。ようやく煩わしい霞ヶ関の政治劇から解放されるのだ。その代わり随行員として厄介な
「とにかく、そういうわけでしばらくの間はこうして飲めなくなる。君の方は、以前よりも元気そうだな」
竹川は少しやせたようだが、以前よりも目つきに生気に溢れているように感じられた。顔色が良くなり、表情筋に健康的なはりを帯びている。
「まあ、ぼくなりにひとつ解答を得たからかな」
「それは軍機に関わることかい」
茶化すような小鳥遊に、竹川はニコリと笑った。
「どうだろう。それよりもずっと大切なことかもしれない。あるいはいつもどおりの与太話かも。記憶の話さ」
「心理学かな」
「さながら歴史の心理学というところだね。
◇========◇
次回4月26日(日)投稿予定
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弐進座
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