幼年期の記憶(Once upon time) 13

 本郷は、そっと立ち上がると襖を開けた。ユナモが不思議そうな顔で見つめてくる。


「どうしたんだい?」


 本郷は身をかがませた。


「眠れないのかな」


 ユナモは首を振った。


「声がきこえたらからきた」


「すまない。少し声が大きかったね」


 ユナモは再び首を振った。


「ちがう。かなしそうな声がきこえた。かなしいことがあったの?」


 本郷は少し間を置いて、答えた。


「そうだね。僕の友人にとって、悲しいことがあったんだ」


「それはホンゴーにとってもかなしいの?」


「ああ、僕にとっても悲しいことだ。だから共に悲しんでいるんだ」


 本郷はユナモを抱きかかえた。


「竹川君、少し外すよ。この子を寝かしつけてくる」


「はい、大丈夫です」


 本郷は妻へ熱燗を持って行くように頼むと、ユナモを部屋へ連れて行った。途中、廊下を渡る際に裏庭側の窓から月明かりが差し込んできた。思わず足を止め、本郷は窓越しに空を見上げた。冬の満月から突き刺すように月光が放たれていた。


「綺麗な月だ」


「このせかいの月はきれい。わたしたちのせかいの月よりも大きい……」


「君らの世界にも、BM以外の月があったんだね」


「うん。わたしが、このせかいに来たときもこんな月が出ていた。ねえ、ホンゴー……」


 ユナモはじっとホンゴーを見ていた。


「なにかな」


「ホンゴーの友だちは、どうして悲しいの?」


「彼は自分の仲間を失ったんだ。だから元気がないんだよ」


「わたしたちが黒い月と来たから?」


「違うよ。確かにBMが原因だけど、それとユナモは関係ないことだ」


「そう……あの人はどうすれば元気になるの?」


「彼の重荷が少しでも軽くなれば、元気なるんだけどね。本当なら、その重荷を仲間と分かち合うはずだったんだよ」


「あの人の荷物はどうすれば軽くなるの?」


「難しいことだね。彼が調べていることがわかったら、なんとかなるのだけど──」


「竜のことについて、わかればいい?」


「……何か知っているのかい?」


 ユナモは本郷から目を逸らすと、たどたどしく呟いた。


「知っているかもしれない」


「え……」


「ねえ、ホンゴー。まだ、わたしは眠くない。タケカワとお話ししてもいい?」


 改めてユナモに見返され、本郷は肯いた。


「わかった。でも、夜更かしは今回だけだよ」



【?????? ?????】

 ????????


 見覚えのある光景だった。


 ひょっとしたら、これまで何度も目にしていたのかもしれないと感じていた。


 ただ一つ確かなことは、これは己の記憶では無いこと。


 それでいて、自身の因果にあざなえた出来事だということ。


 深層に深く根ざした罪だ。


 刻の歩みが絶対的である限り、癒えることのない疵痕だった。



 頭目クィーンである彼女が翻した反旗は、空に居座る光の民侵略者の目をくぐり抜けていた。


 彼女らは、特殊な通信手段を用いて、会話が出来ることに気がついていなかったのだ。


 彼女らは魔導に特化した生物だった。ゆえに生来より、他の霊長類が持ち得ない器官を持っていた。


 頭部を隆起させた二本の角だ。


 地球において、生物における角の役割は極めて限定的なものだ。自衛の手段か、繁殖期において優位性を示す記号でしかない。しかしながら、彼女らにとっては生物学以上の定義があった。それは発振器でも在り、受信器でもあった。彼女らは自身の脳波を信号に乗せて、送受信可能だった。後年、地球において、精神感応テレパシーという言葉に置き換えられる概念だった。


 技術力で光の民ラクサリアンに圧倒的な格差がある中で、唯一彼女らが保持した優位性アドバンテージだった。


 鬼の姫は存分に優位性を活かし、反攻クーデターの企てを練っていった。離れた同胞同士で精神感応でやりとりを行い、やがて日取りを決めるに至った。決心から実行まで、時間はかからなかった。同胞全ての意思をまとめる手間もなかった。


 第一に、彼女は頭目として圧倒的な支持を得ていたこと。第二に、もはや同胞といえでも僅か百数十鬼あまりしか残っておらず、彼女に刃向かうような勢力は残っていなかったこと。かつて彼女の意思に背いた同胞は、光の民に命じられるまま、無益な戦争で酷使され、すりつぶされていった。光の民の支配を受け入れることは、種として終わりを告げることを意味していた。


 決起Xデーは、彼女が光の民の元へ訪れる日に決まった。彼女が光の神殿と呼ばれる巨大な空中楼閣の頂上で代表者たちと謁見した瞬間が、始まりの刻だった。持てる魔導全て行使して、神殿中枢を麻痺させ、周辺に集まった同胞全てが一斉に突入する手はずだった。


 失敗の許されない反抗だった。


 決行の刹那まで、計画は完璧だった。


 しかし数刻後、彼女は許されぬ咎を追うことになった。


 瀕死の重傷を負った彼女が目にしたのは、黒い月に囚われていく無数の同胞だった。


 彼女の同胞達は、身体から黒い瘴気を出し、自ら黒い月を産み落とし、封じられていった。


 やがて、自らの身から黒い瘴気が漏れ出たとき、彼女は自分の身に何が起きたのか悟った。


 "呪だ。呪をかけおった。あやつら、妾達の臓腑に呪を仕込みおった"


 鬼達は光の民によって、魔導の術を乗っ取られ、自ら呪縛をかけていった。


 鬼の姫は血みどろの身体を引き摺るように駆けた。


 自ら放つ瘴気から逃れるためだ。


 ここで自分まで黒い月に囚われたら、同胞を救うものがいなくなってしまう。


 やがて、彼女は高台に備えられた方陣へ至った。


 かつて一族を救うため、地の竜へ捧げる舞いを踊った舞台だった。


 最後の力を振り絞り、彼女は祈願の舞いを捧げた。


 全身から血しぶきが放たれ、舞台を朱色に染め上げる。


 もはや痛覚は彼方へ消え去り、意識は混濁しきっていた。


 瘴気は身体を蝕み、自我が溶けていく。


 やがて高台全てを黒い闇が覆い尽くしたとき、辺り一面を光の奔流が包んだ。



【横須賀 海軍工廠】

 昭和二十1945年十二月五日 深夜


 バネ仕掛けの細工のように、儀堂少佐の目が開かれた。


 反射的に、壁掛け時計を見れば、寝付いてから数時間しか経過していない。 


 十一月の中頃から儀堂少佐は横須賀の海軍工廠で過ごしていた。彼の配置が変わったわけではない。引き続き、<宵月>の艦長職にあった。彼が横須賀にいたのは、<宵月>の改装工事を監督するためだった。


 ゆっくりと半身を起こし、立ち上がると、儀堂は窓のカーテンを開けた。工廠内を照らし出す、ハロゲンライトの明かりが漏れていた。


 海軍工廠は文字通り眠らぬ区域と化している。数年前から昼夜問わず突貫で稼働し、銃弾から艦船まであらゆる兵站資源の生産を行っている。


「あの夢……いや、あれは夢なのか。だとしたら、オレが最後に見たものは──」


 悪夢とは異なるものだった。まるで活動写真を観ているかのようだった。問題は、その内容に全く身に覚えがないことだ。登場人物の一人に関しては、心当たりがあった。間違いなく、アイツだろう。


「なぜ、今になって……」


 ふと彼は違和感に気がついた。いつも右眼を覆っている布の感触がなくなっていた。


 枕元を見れば、紐の切れた眼帯があった。


◇========◇

次回4月5日(日)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

よろしければご感想、フォロー・評価やツイートをいただけますと幸いです。

本当に励みになります。

引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る