幼年期の記憶(Once upon time) 11

【神奈川 辻堂】

 昭和二十1945年十二月五日


 神奈川県の藤沢市、そこの辻堂駅を降りて、すぐに目に付くのは砂浜へ立ち入りを禁じる看板だった。今より四年ほど前に立てられたものだが、その理由は数度にわたって変えられてきた。


 初めは明快だった。遊泳中に海棲型の魔獣に食われる恐れがあったからだ。東京湾BMが消滅した後、放出された魔獣が太平洋側の沿岸部に出没していた。海上護衛総司令部が創設され、本格的な対獣掃討が行われるまで、禁止措置は続いた。同様の措置は辻堂に限らず、全国的に行われた。幸いと言うべきか、不満を覚える者はいなかった。誰もが生きることに専念していたからだ。


 領海内の魔獣が掃討され、漁船の被害報告がなくなったのは二年前のことだった。政府は推奨こそしなかったものの、事実上禁止措置を緩めることになった。明確に解除されたわけではなかったが、立ち入り禁止の看板の多くは放置され、積極的に取り替えられることはなくなった。


 しかしながら、神奈川県沿岸部においては引き続き積極的な禁止措置が続いた。立ち入り禁止の看板が藤沢と茅ヶ崎の砂浜に増設され、あまつさえ憲兵まで配置された。魔獣の脅威から守るためではない。


 昼下がり、辻堂の海岸線の向こうにぽつりと複数の黒い点が現れた。それらは打ち寄せる波に揺られながら、懸命に砂浜を目指していた。やがて点が細長い箱だと視認できたところで、いくつかが浅瀬へ乗り上げた。箱の前部が開け放たれ、そこからさらに小さな緑色の点が放出される。蜘蛛の子を散らすように、点は砂浜から内陸部へ向けて駆けていった。


 昭和二十年から定期的に見られるようになった光景だ。立ち入り禁止措置の直接的な理由だった。辻堂の海岸線は海軍陸戦隊の上陸演習場に指定されている。緑色の点は陸戦隊の兵士で、彼等を運んできた箱は上陸用の大発舟艇だった。大半は陸軍と同規格のものだったが、一部合衆国から輸入したLCVPヒギンズボートも混じっていた。


 突如近くの松林から、不気味な咆哮が轟く。陸戦隊の兵士は急停止した。各分隊指揮官が配下の兵士を集め、銃を構えさせる。松林が揺れ、鋼鉄の魔獣が現れた。仮想敵役の戦車だった。小隊長と思しき、士官がロタ砲バズーカの支援分隊を呼び寄せようとした。しかし、判断が遅かった。あるいは敵側が早すぎたのかもしれない。戦車は滑るように前進し、またたくまに兵士を蹂躙してしまった。もちろん、本当に踏み潰したわけではない。あくまでも、そのように振る舞うだけだった。実際のところ、唖然とする兵士の間を縫うように距離をつめただけだ。だがその場にいた指揮官にとっては、致命的だった。鋼鉄の猛獣仮想敵が数メートル先で、砲口を向けているのだ。王手と認めざるをえなかった。


 通信兵が小隊指揮官の下に駆けつけた。演習の統裁官より、壊滅の判定を受けたと報せがあったのだ。


 数時間後、魔獣の役目を終えた戦車が演習場一角の駐車場へ入った。巨大な鋼鉄のモノリス、Ⅷ号戦車マウスだった。百トン以上の重戦車だが、砂に履帯をめり込ませた様子はない。マウスは危なげない操縦で停車すると、少し遅れて五式戦車の列が入場してきた。まるで親の後を追ってきたカルガモのひな鳥のようだった。


 砲塔上部の天蓋が開き、顔を覗かせたのは中隊指揮官の本郷史明中佐だった。野戦服の本郷がすぐに身を乗り出すと、第一種軍装クロフクを来た男が慣れない所作で続いた。彼は、マウスに招かれたゲストだった。


「君は先に下で待っていてくれ。僕はユナモを降ろしてくる」


 本郷はゲストに告げると、砲塔から前部から車体へ滑り降りた。ユナモを降ろした本郷は、各小隊指揮官を集めて、軽い訓示労いを行い、解散を命じた。


「やあ、付き合わせて済まなかったね」


 駐車場の奥で佇むゲストに声がかけられると、恐縮した様子で頭を下げた。


「いいえ、こちらこそ押しかけてしまい申しわけありません」


「かまわないよ。それに僕がいつでも来たまえと言ったんだ。はるばる後輩が来てくれたのだから、無碍にするわけがないだろう」


 本郷は快活な笑顔を向けた。ゲストは大学時代の後輩だった。


「助かります」


 ほっとした様子で、竹川は言った。


 本郷のことを竹川が知ったのは、ネシスとユナモの調書をとったときだった。ユナモの保護者について矢澤から聞かされ、それが大学時代に世話になった先輩だと気がついたのだ。本郷もユナモから竹川のことを聞いたらしく、しばらくして竹川の職場第二技術研究所に電話が入った。


 所帯持ち故の機微か、久方ぶりに話す後輩の声に異質なものを感じたらしい。本郷は、自身の仮住まいの場所を告げ、顔を出すように言ったのだ。仮説の証明に囚われていた竹川にとって、本郷の誘いは一種の免罪符として機能した。


 矢澤にいとまをもらい、竹川は本郷の元を訪れた。無論、事前に連絡を入れていたが、よもや上陸演習に巻き込まれるとは思いも寄らなかった。彼が陸戦隊の戦車中隊本部を訪れたとき、本郷は演習場へ出発するところだった。困惑する後輩に本郷は苦笑しつつ、マウスに乗るか聞いた。断る余地はなかった。


「君、戦車に乗ったのは初めてかい?」


 ユナモを腕に抱きながら、本郷は尋ねた。小鬼は疲れたのか、眠りこけていた。


「はい、その通りです。正直なところ、ぼくは驚きましたよ。あの巨体にも関わらず、凄まじい機動性ですね。しかも、車内で震動をほとんど感じられなかった。まるで魔法です」


 竹川は素直に自身の感想を述べた。脚色でも何でも無く、驚異的だった。マウスの車体内で彼は手すりを使わず、終始立ったまま、演習の様子を見ることが出来た。


「魔法か。全く、その通りだよ。この子のおかげだ」


 ユナモが起きないよう、本郷はそっと抱き直した。竹川は察したように肯いた。


「やはり、あの戦車は魔導で制御されているのですか」


「機関部は他の戦車を変わらないよ。ただ、この子には重量と震動の制御を補ってもらっているんだ。それもいつもじゃないがね。今回は、演習で僕らが魔獣役だったから、相応の脅威を発揮する必要があった。実際のところ、機動性じゃ戦車よりも魔獣の方が上だからね」


「なるほど、確かに十分な脅威だったと思います」


 瞬く間に距離をつめてくる戦車など、悪夢でしかないだろう。しかし、戦争では悪夢以上の奇禍が多発する。その意味では、本郷の中隊は極めて実戦的な敵役だった。


「やや、やりすぎたかもしれない」


 本郷中隊の奮闘・・により、上陸部隊は壊滅判定を受けていた。


「いいえ、そのようなことはないと思います」


 竹川は明朗に断言した。彼とて、地中海で死戦をくぐってきたのだ。


「──そうだね。さあ、行こう。我が家に案内するよ。今日は家内と子どもが来ているんだ。少し手狭かもしれないが、勘弁してくれたまえ」


◇========◇

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弐進座

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