幼年期の記憶(Once upon time) 10

【上大崎 海軍第二技術研究所】

 昭和二十1945年十二月二日


 駒場練兵場を訪れてから三日後、竹川の研究室を矢澤が訪れた。入室と同時に、矢澤はぎょっと立ちすくんだ。部屋の主が床に倒れていたのである。


「おい、大丈夫か?」


 矢澤が大きく揺さぶると、竹川はうめき声を上げながら起き上がった。単に眠っていただけらしい。


「すみません。お手数をおかけしました。いつのまにか意識を失っていたようです」


 あくび混じりに竹川は言った。


「竹川中尉、たまには帰ったらどうかね。これじゃ、まるで浮浪者と変わらんよ」


 半ば呆れた表情で矢澤は言った。竹川は這い上るように長いすに座り直した。


「そうしたいところは山々なんですが──」


 乱れた髪をかき分ける竹川の顔色は不健康極まりないものだった。


「だいぶ根をつめているようだね」


 矢澤は胸ポケットから煙草を取り出すと竹川に勧めた。金色の鳥をあしらったパッケージだった。竹川は有り難く礼を言うと、細身の紙巻きを一本を取り出した。ほどなくして、二本の紫煙が上がる。


「ええ、その通りです。実のところ、少し参っています」


「焦る必要は無いだろう。六反田閣下も時間がかかることを承知で、君に調査を命じたんだ。数十年前、あるいは数百年前から魔獣がいたという証明なんて、そうそう叶うものではないさ」


「確かに、その通りかもしれません。全容を明らかにするには数十年かかるだろうと思っています。だから、神代の魔獣の証明は後に回しています。身も蓋もないことなんですが、今は過去にいたかどうかだなんてどうでもいいのではないかと思っています」


「おいおい、自棄になっては困る」


「いえ、そんなまさか。ぼくは命令を遂行しているだけです。六反田閣下は、ぼくにBMと魔獣の出所について調べるように仰いました。ぼくは魔獣が今次大戦前からいたと仮定しているんです。イベリアン号のサーペントの写真を見てから、確信に近くなっています。ただ、問題は魔獣の存在を証明するには、あまりにも痕跡が少なすぎます。古代の文献と一枚の写真しかない。目撃例があっても、ただの与太話ですまされてしまう。どこぞの寺院か教会に竜の骨が祀ってあるのなら話は別ですが、そんなものはない……」


 竹川は虚空に向って、懇々と唱えるように続けた。狂気に近いものがあった。何も知らぬ者が見たら、精神を病んでいるように見えたかもしれない。しかし、矢澤は平然としていた。彼の上官六反田も、時折このような状態に陥るからだった。精神の平衡装置と矢澤は理解している。


「混乱しているのかね?」


「そうかもしれません。とにかく、魔獣がいた証明は恐らくすぐにはできないと思っています。それよりも彼らがどこから、どうやってやってきたのか。確かな仮説を立てる方が先です。ここに来てから、ずっとそのことばかり考えていたのですが、どうもまとまりません」


「どこからはわからんが、どうやっては明確じゃ無いのか。魔獣はBMが連れてきたのだから、BMによって持ち込まれたと考えるのが妥当だろう」


 何かに思い出したように、竹川は肯いた。


「ああ、それです。まさに、そこなんですよ」


 竹川は目を剥いて、前に乗り出した。思わず矢澤は後退しかけた。


「みんながそう思っているし、ぼくもそう思っていました。だけど、それは違う。ああ、そうか魔獣と一括りにするから、みんなそう思っているのか。ひょっとした分類法を考えた方がいいかもしれない」


「すまないが、説明してくれ」


 焦れたように矢澤は言った。


「ああ、すみません。いえ、ぼくはBMが魔獣─ああ、そうじゃない─竜を連れてきたのでは無く、竜がBMを連れてきたのではないかと思っているんです。恐らく逆なんです。そうすると何もかもが辻褄が合うんです。古代に竜や化け物の記録があって、BMの記録がないのも、BMの周辺に竜が現れるのも納得がいきます」





「なるほど竜がBMを連れてきたか。そりゃあ思いつかなかった」


 矢澤中佐の報告を聞き、六反田は口角と方眉を上げた。


「安易に同意するのはいかがなものかと。荒唐無稽とまでは言いませんが、突飛すぎるように思えますよ」


 矢澤はたしなめるように言った。


「はは、そいつを言いだしたら、今更というやつじゃないかね。我々が戦っている相手なんぞ、荒唐無稽そのものだろ。直径数キロの黒玉に、驚異的な戦闘力と繁殖力を誇る化け物どもだぞ。反則も良いところだろう。五年前に魔獣の存在を信じた奴らがどれほどいたかね?」


「それもそうですが、やはり竹川君は少し休ませた方がよろしいかと思いますよ。彼の自説を否定はしませんがね。少なからず例の一件も響いているでしょうし」


 六反田は口元の笑みを解くと、能面のような顔つきになった。


「そうか。まあ、だろうな。彼はどんな様子だった」


「少々受け答えに時間がかかりました。遺族の住所が知りたいとのことだったので、人事局へ取りはからうつもりです」


「ああ、できるかぎりのことはしてやるといい。しかし、困ったね。予備士官とは言え、二人も亡くすとは──」



 矢澤が竹川の部屋を訪れたのには、それなりの理由があった。竹川が補充要員として要請していた二人の後輩が相次いで亡くなったのである。前線から戻る途中、二人を乗せた輸送機がエンジントラブルに見舞われ、墜落したのだ。


◇========◇

次回3月15日(日)投稿予定

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弐進座

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