幼年期の記憶(Once upon time) 9

【世田谷 駒沢練兵場】

 昭和二十1945年十一月二十九日


 ネシスたちの調書をとった翌日、竹川は陸軍の駒沢練兵場に出向いた。練兵場は彼が居る上大崎から、さほど離れたところには無かった。昼過ぎにジープを二十分ほど走らせたところで、彼は着いた。道すがら、東京が完全に冬支度を済ましたことに気がつく。冷めた青空の下で街路樹はすっかり葉を落とし、通りで木炭が販売されている。竹川はまるで時間に取り残された気分になった。ここ数週間、ろくに外出をしていなかったことを思い返した。


 練兵場へ入ると、すぐに竹川は厩舎へ向った。昨日に引き続き、生ける伝承に会う予定だった。六反田が言うには、ここでは白い竜が飼われているらしい。つい先月、帝都上空を飛び回り、大騒ぎを起こした竜だ。おかげで、旧友小鳥遊の頭痛の種が一つ増えた。竹川は水交社での会話を思いだし、苦笑した。つくづくこの世は因果なものだ。


 厩舎に近づくにつれて、野太いうなり声が聞こえてきた。特大の管楽器を静かに吹き鳴らしているような音だった。厩舎の主は、来客の存在に気がついたらしい。


 厩舎は屋根の修理中らしく、壁沿いに足場が組まれていた。竹川は正面に回り込むと、慎重な足取りで中へ入った。


「ごめんください」


 断りを入れた直後、彼は絶句した。白い竜がいる。それ自体は不思議ではない。彼自身、戦場で何度も竜種に出くわしている。彼から言葉を奪ったのは、目前の竜が見慣れぬ装具を頭部に着けていたからだった。馬のくつわに似ていなくもないが、どうにも様子がおかしい。ただの轡ならば配線やアンテナは不要だろう。


失礼エクスキューズミー。お取り込み中ですか?」


 平坦な英語で、装具を取り付けている女性に尋ねた。後ろ向きで顔はわからなかったが、髪の色から外国人だと察せられた。


「少し待って。もうすぐ終わるから。なにかようかしら?」


 相手は模範的な日本語で返してきた。竹川は心の底から有り難く思った。


「私は竹川です。六反田閣下から、こちらに――」


「ああ、聞いているわ」


 装着作業を終えたらしく、ようやく彼女は竹川へ目を向けた。


「あなたが、リッテルハイム博士でしょうか」

「そうよ」


 リッテルハイムは淀みなく肯定した。続くように、竜の背後から少女が現れる。


「キールケさん、誰か来たの?」


 竹川はリッテルハイムと少女を交互に見て、軽く頭を下げた。


「どうも、お邪魔します。私は竹川中尉。六反田閣下の紹介で参りました」


 小春は合点がいったように肯いた。


「はじめまして、戸張小春です。ここでシロ、この竜の世話をしています。六反田さんから伺ってます。どうぞ、こちらへ」


 小春は厩舎内の休憩所へ案内した。休憩所と言っても、簡易な木製の作業台と椅子が置いてあるだけだった。あたりの棚には用途不明の計測機器が並べられている。


 竹川が着席してから、数分後、リッテルハイムがやってきた。何のためらいもなく、リッテルハイムは竹川の顔を正面から見据えた。


「それで、何の話をすればいいのかしら?」


「あなたの知見から、この竜の生態についてお聞きしたいんです。ドクトル、科学者として、この竜を見たとき、違和感を感じませんでしたか? その何と言うべきか、自分でもわからないんですが、生物として異常なところです」


 キールケは失笑した。どうやら期待外れなことを聞いたらしい。


「異常? そんなの竜に限らず、魔獣全般に言えることでは無くて? 異常な成長速度に、身体能力、それに代謝能力もそうね。グールに至っては生物の定義から外れているかもしれない」


「ああ、失礼。これはぼくの聞き方がよくありませんでした。異常というよりも、説明がつかないことです」


「何が言いたいの?」


「成長速度や身体能力の異常性は、ぼくらの世界の法則から逸脱したものではないと思っています。こちらの生物も得ている機能を拡大、増幅したにすぎません。言ってしまえば、彼等は少し頑丈・・なだけです」


 竹川は、キールケを探るように見た。群青色マリンブルーの瞳に好奇の光が宿っている。


「続けて」


「ぼくが言いたいのは、グールのように、そもそも生き物としてあり得ない事象です。全身の細胞が壊死しながら活動するなんて、この世界の生き物ではあり得ない。法則から逸脱した事象です。一部の研究者では、この種の事象をあらたな研究分野として定義されつつあります」


魔導マギね」


「はい」


 竹川は軽く首肯した。


「つまり、ぼくはこう言いたいんです。この竜が何らかの魔導を用いた形跡はないか、と」


「それなら、答えは簡単よ。少なくとも、私が知る限りにおいて魔導的事象は観測されていないわ。ねえ、小春、あなたはどうかしら? シロの世話をしていて、いつも違うと思ったことは?」


 小春は難しそうな顔で、首を振った。


「ごめんなさい。魔導については、よくわからないけど、変なことはなかったです。シロにとって、何が普通なのかよくわからないけど……」


 キールケは苦笑した。自分が愚かな質問をしたことに気がついたのだ。


「それもそうね。こちらこそごめんなさい。竹川中尉、聞いての通りよ。ご期待に沿えなくて残念だけど──」


「いいえ、十分です」


 竹川は納得したように言い切った。


「あら、そう。ところで、私からも一つ良いかしら? 魔導のことなら、あの鬼のお嬢さんネシスたちに聞いた方が早かったんじゃないかしら。どうして、わざわざここに来たの? 失礼だけど、あなたはそんな莫迦には見えないわ」


「ああ、それはですね。二つ理由があります。もちろん、あの二人には聞きました。ただ、それだけでは不十分だと思ったんです。なぜなら、あの二人にとって魔導で起こせる事象は自然・・なことなんです。ぼくらにとっては異常なことでも、彼女らは自然と捉えてしまう。自然も異常も主観に過ぎませんから。ぼくが異常なこと聞こうとしても、彼女らにとって異常で無ければ、どんな質問をしても無意味です。お互いの異常性は相互理解が十分でないと気がつきようがないですから。あちらの世界と相互理解を果たすには、やはり直接出向くしかないではないかと思っています。ぼくらの先祖だって、そうだったでしょう。海の向こうから蒸気船が来るまで、異常性に気がつかなかった」


「確かに、あなたの言う通りだね。私たちもまさか地球の裏側にカタナで戦う民族がいるなんて、思いもしなかった。それで、もう一つは?」


「ああ、それは単純です。竜をこの目で見たかったんです。よければ帰りに触っていってもいいですか?」


 竹川の申し出を二人の淑女は快諾した。


 竜の表皮は意外なことに、硬質な鱗に覆われながらも熱を帯びていた。冬場にもかかわらず、直接手を触れずとも熱気が伝わってくる。体内に燃焼反応を起こす器官を持っているからではないかと、キールケは説明した。一見すると爬虫類に近い外見だが、恒温動物なみの活動性を維持できるのも納得できる。


 竹川は、厩舎を訪れてから気になっていたことを尋ねた。シロの頭部に装着された兜と轡を兼ね合わせたような器具のことだ。


「この頭部の機器はなんです? まるで無線機のようだ」


「見ての通り、無線機よ」


「……竜と交信するのですか?」


「どうかしら。まだ実験段階なので、ノーコメントよ」


 茶化すようにリッテルハイムは言った。

 去り際にリッテルハイムは、竹川を呼び止めた。


「竹川中尉、あなたのレポートをこちらにも送ってちょうだい。出来れば直接持ってきて欲しいわ。お互いに得るものがありそうだから」


 竹川は快諾した。


◇========◇

次回3月7日(日)投稿予定

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弐進座

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