幼年期の記憶(Once upon time) 7

【上大崎 海軍第二技術研究所】

 昭和二十1945年十一月二十八日


 竹川の任地は、名目上は海軍省が直轄する技術研究所となっていた。上大崎にある海軍大学の敷地内に建設された、飾り気のないむき出しのコンクリートビルディングだった。地上三階、地下二階で、巨大な石棺に近い印象を抱かせる施設だった。矢澤中佐の説明によれば、かなり頑強な構造で一トン爆弾の直撃にも堪えられるように設計されている。戦時下ゆえ、装飾とは無縁な実用性と機能に特化させられたものだった。五年前、東京湾BM出現後、公的施設の建設基準が大幅に見直されていた日本は内地が神聖不可侵ではないと否が応でも認識させられていたのだ。昭和十八年以降に施工された建造物の大半は魔獣の攻撃を想定して、鉄筋コンクリート造となっている。


 赴任直後、竹川の仕事は膨大な資料の整理に忙殺された。月読機関が全世界から蒐集した標本や稀覯本、機関員から報告書などが無造作に箱へ詰め込まれていたからだった。私生活はずぼらな竹川だったが、研究に関して全く別だった。彼は結論を得るためならば、いかなる労も惜しまない人間だった。


 さっそく竹川は矢澤に人員補充の要請を行った。その際に、可能ならばと申し添えて、大学時代の後輩を三名連ねて指名した。そのうち二人は彼の希望通りになりそうだった。残り一人に関しては、戦死していた。すぐに竹川は遺族に手紙を書いた。


 人員が補充されるまで、一ヶ月はかかりそうだった。彼の後輩達は北米のどこかで魔獣と死闘を繰り広げていたからだった。もちろん竹川は時間を無駄にしなかった。ほどなくして、彼の執務机に簡易毛布が備えられるようになり、ほとんど家に帰らなくなった。一週間ほど経った頃、他職員から苦情でようやく彼は帰宅した。風呂に入っていなかったため、堪え難い臭いを放つようになっていたのだ。翌日、風呂桶と石けん、そして手ぬぐいを手に竹川は登庁した。


「竹川君は、ようやっているようだな」


 六反田は真新しい執務室に備えられた長いすに腰掛けていた。先日、築地の旧施設から越してきたばかりだった。周囲は段ボールの高層建築が建ち並んでいる。


「そのようですね」


 矢澤中佐は自身の執務机で応じた。新たな職場に対して、まんざらでもない感想を抱いているようだ。すでに彼は自身の荷ほどきを終えて、万全な体制を整えつつあった。


「率直に申し上げて意外でしたよ」


「ほう、彼が凡庸な男だと思ったのかね」


「いいえ、決してそのようなわけではありません。人員補充の件ですよ。赴任して二日目で竹川中尉が要請してくるとは思いませんでした。単独行動を好む人間に思えたので」


「なるほど、確かにその通りだろう。だがよく考えてもみたまえ、自身の好みを優先するような輩が、あの地中海・・・・・で生き残れると思うかね。彼は二年近く、魔獣の浴槽に浸かっていたのだぞ」


 竹川が乗っていた海防艦は第二特務艦隊の隷下にあった。主な任務はアレクサンドリアからマルタ、ジブラルタルまでの護衛任務だ。六反田は、竹川の選考に当たり考課表を取り寄せていた。御託が並べ立てられていたが、要約すると次の一言に尽きていた。


『班員の信頼厚く、職務へ忠実なるも、戦意と精励にやや欠く』


 必要最低限のことしかしないが、部下の信頼は得ていたのである。六反田の評価基準に照らし合わせるのならば、社会適合者として及第点となる。


「まあ、彼は気質が孤独なだけであって、組織行動ができないわけではないのだろう。おい、そう言えばもうそろそろだな」


 おもむろに六反田は壁掛け時計へ目をやった。それを待っていたかのように、扉がノックされる。


「おう、入れ」


「失礼します」


 御調みつぎ少尉が姿が現わし、続いて小さな影が二人続いた。


「殺風景な城じゃな。風情がないのう」


「ここ寒い。いやだ」


 ネシスとユナモだった。


「やあ、お嬢様がた我が家ホームへようこそ。御調君、すまんが従兵を呼んでくれ。菓子と茶を出そう。塩大福の買い置きがあったはずだ。ああ、何も言うな。医者の許可はとってある」


 御調は一礼すると、すぐに退出した。ネシスはユナモを連れて、誰の許しも乞わず長いすへ腰掛けた。正面の六反田へ紅の瞳が四つ向けられる。


「六反田、何用じゃ? またぞろ、お主のことだから碌でもないことじゃろう」

「これは手厳しいねえ」


 六反田は破顔した。


「なに、簡単なことさ。お嬢様がたの調書をとりたいんだよ」


 ネシスはわずかに柳眉を逆立てた。

「またそれかや。うんざりじゃぞ。お主らの聞きたいことには答え尽くしたつもりじゃ」


 これまでネシスとユナモに対して、月読機関は何度も取り調べを行い、BMやネシスの世界、そしてラクサリアンと呼ばれる存在に対する情報を得てきた。初めはおもしろ半分に付き合ってきたネシスだったが、さすがに十数回、何十時間も経つとうんざりしてくる。


「そういわないでくれんかね。この戦争に勝つためさ。君だって儀堂君と勝ちたいだろう。君はあの不快な黒玉に突っ込んだ奴らをぶち殺せるのなら安いと思わないかね」


「時間の無駄にしか思えぬぞ。それに同じことを何度も聞かれるほど、つまらんことはない。特に、あのアメリカ人どもの質問は堪えぬ。なんじゃあいつらは、いきなり紙を突き出してきたかと思えば訳の分からぬ謎かけをしおって」


 先月のことだった。合衆国の研究団が来日し、ネシスと対面したのだ。そこで彼等はIQの計測を行った。


「あれは済まなかったな。まあ、こちらにも面倒な義理というものがあってね。そいつに付き合わせたのは申し訳ないと思っているよ。ただ安心してくれ。今回、君の相手をするのは彼等のようなつまらん奴ではない。おい、矢澤君――」


 矢澤はすぐに執務室の電話をとり、内線をかけた。なにか問題が起きたのか、呼び出し先に中々繋がらないようだった。何度かかけ直した挙げ句、ようやく受話器に相手が出たらしい。矢澤は呆れた口調で叱った。


「君、困るぞ。ああ、いいから、そのまま閣下の部屋まで来たまえ」


 数分後、扉を開けて竹川が姿を現わした。寝起きらしく、髪の毛はあらぬ方向に跳ね回っていた。


「お待たせしました」


 あくびを堪えながら、竹川は敬礼を行った。さしもの六反田も苦笑せざるをえなかった。


「お目覚めかね」


 竹川は悪びれもせずに肯いた。


「はい、御用は何でしょうか」


「このお嬢さん達をもてなしてくれ。聞きたいことがいっぱいあるだろう」


「はあ……」


 困惑したように竹川は六反田の対面に目をやった。世にも珍しい銀髪で紅い目アルビノ体質の少女が二人もいた。六反田が額に手を当てて何かの合図をすると、年長と思しき少女がうろんげに肯いた。やがて竹川の目は見開かれ、眠気が吹き飛んでいった。


 二人の少女の額から、一対の角が伸びていく。


「閣下、これはいったい――」


「彼女らが月鬼だよ。君の研究の検証に役立ってくれるはずだ。ああ、くれぐれも退屈させるなよ」


 六反田は口の端を曲げた。


◇========◇

次回2月23日(日)投稿予定

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弐進座

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