純白の訪問者(Case of White) 16
「シロを躾けるために、ネシスから教えてもらったんです」
キールケは縁側へ視線を移した。寝転がった鬼子の後ろ姿が、そこにあった。
「ねえ、あなた、聞いて良いかしら。竜の言葉があるの?」
「少し違うのう」
背を向けたまま、面倒くさそうにネシスは言った。
「妾達の言葉を竜が解しておるのじゃ」
次の質問まで、キールケは時間を要した。彼女にとってあまりに突拍子もなく、にわかに信じられなかったのである。
「あなたたちの言葉を学習しているということかしら……。竜はそんなに知能が高いの?」
「難しい話ではない。そのように奴らは
「出来ているですって? それじゃまるで……いえ、この世界ならともかく、あなた達の世界なら有り得る話なのね」
深刻な表情のキールケだったが、小春の視線に気づき、取り繕うように笑顔を浮かべた。
「ねえ、あなた、そのノート見せてもらえるかしら?」
「いいですよ」
小春のノートには、ネシスから教わったシロを躾ける命令が書き記されていた。キールケは軽い興奮を覚えた。当人達は気づいていないが、これは重大な発見だった。このノートはネシス達が住まう異世界の言語を知る貴重な資料なのだ。
ノートは単語ごとにカタカナで発音が書かれ、対応する意味が付記されている。まるで辞典のようだった。キールケは小春の整理能力に感心を覚えた。
「小春、このノートは大切になさい。いずれ役に立つ日が来るわ」
「え? あ、はい。そうですね。シロの面倒をこれからも見ないといけないし」
やはり、小春本人はノートの可能性に気がついていないようだった。キールケは不思議に思った。御調やあの六反田は何も気づいていないのだろうか。
――いや、そんなはずはない。あの
それとなく御調に聞いてみようと思った。返答次第では、自身の行動計画に修正を加える必要がありそうだった。今の彼女は独逸本国から伸びた見えざる糸によって縛られているのだから。
六反田達へのアプローチを計画するキールケだったが、不意に鐘の音が彼女の思考を乱した。我に返ったキールケの横で小春が筆記具をしまっていた。
「キールケさん、今日はありがとうございます。わたし、そろそろ行かないと――」
「厩舎へ行くのかしら?」
「はい、シロが待っているので。その、また英語を教えてくれますか?」
控えめな小春の問いかけに、キールケはイエスと答えた。
「よかった! ありがとうございます」
小春は十代相応の愛らしい笑顔を浮かべ、頭を下げると玄関へ向った。
ちょうど、そのとき儀堂の家の電話が鳴った。書斎にある軍用電話ではなく、廊下に備えられた私用の方だった。小春は通りすがるところだったので、そのまま受話器を取った。
「はい、儀堂です」
『もしもし小春ちゃんかい?』
「衛士さん、どうしたの?」
『すまない。落ち着いて聞いてほしい。寛がシロに――』
ブツリと弾けたような音とともに電話が切れる。すぐ後に小規模な地震と地響きが続き、居間から独逸語まじりの悲鳴が聞こえた。
「どうしたの!?」
居間へ飛び込んだ小春が目にしたのは、庭いっぱいに羽を広げ、塀と屋根の一部を半壊させたシロの姿だった。シロは小春の姿を見るや、一声鳴いた。そのまま首を大きく曲げ、縁側から居間に顔を突っ込んでくる。その拍子に、首元の鞍の
「あ、畜生。いてて……」
シロの足下に転がされた戸張はよろめきながらも立ち上がった。
「シロ、それに兄貴……どういうこと!?」
突然、現れた兄と竜の姿に小春は完全に混乱していた。
「簡単な話じゃ」
ネシスは、いつのまにか小春の足下であぐらをかいていた。
「文字通り、飛んできたのじゃ。初めてにしては、中々やりおるのう」
続いてネシスは腹を抱えて笑った。すぐそばで、キールケが絶句し、腰をぬかしていた。独逸の才女でも、予想だにしない事態だったらしい。
御調は居間から姿を消していた。彼女は書斎の軍用電話を手にしていた。
「はい、ええ……その件でしたら、大丈夫かと。つい先ほど、こちらに届きました。ええ、そうですね。さすがに隠し通すのは難しいでしょう。六反田閣下には私から……いえ、お気になさらず」
受話器を置いた御調はすぐダイヤルを回し始めた。書斎の窓からも白い巨体が見えている。何事かと集まった近隣の住民の姿も見えていた。遠くからサイレンの音も聞こえてくる。
「営業の三井です。至急、
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次回12月22日(日)投稿予定
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弐進座
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