純白の訪問者(Case of White) 15
【世田谷 上空】
火炎と共にシロが大空へ駆け上がった
秋空の風が激しく全身を叩き、まぶたを開けることは困難だった。もっとも、今の戸張に周囲を見渡す余裕などまったくなかった。今はたた振り落とされないようにするだけで精一杯だ。
――畜生! 烈風とまるで勝手が違う!
竜に操縦桿はついていない。それに風防もなかった。だいいち操縦席に座らず、裸同然で空に上がるなど無謀以外の何ものでも無かった。
垂直方向の急激な
空を鞭打つような翼のはためきが一定間隔になっていくのがわかった。どうやら巡航態勢へ移しつつあるようだった。上昇角度が緩やかになり、身体をかろうじて起こせるようになった。やがて意を決して瞼をあけると、シロの後頭部がそこにあった。
「おい、シロ! 戻れ! 厩舎へ戻るんだ!!」
怒鳴るように戸張は命じたが、ほんの一瞬だけ頭をもたげただけで、ただまっすぐにシロは飛び続けた。眼下を見れば、帝都東京の街並みが見えている。地形と建物の大きさから大よその高度と針路を戸張は割り出した。
――高度二千から三千、針路は北北東といったところか。まずいな。下手をすれば帝都を突っ切るぞ。
帝都には皇居を中心に防空部隊が配置されている。すでにシロの姿は
「冗談じゃねえ!!」
会敵して、戦死するならともかく、誤射で死亡など真っ平御免だった。味方に撃たれるために、江田島の門をくぐったわけではないのだ。
――なんとしてでも戻ってやる。
戸張の海馬中枢は、全力である記憶を引き出そう必死になった。やがて、彼は妹との会話から思い出すことに成功した。
「シロ、
シロは一声鳴くと、急角度で旋回した。思わぬ方向の加速に、再び戸張は鞍から振り落とされかけた。
【世田谷 三宿】
極東の少女はキールケに外国語の講義を頼んできた。どうやら小春が通う中等学校では、英語を教えているらしい。その上達のために、キールケの力を借りたいらしい。独逸人のキールケだが、英語も堪能だったため、快く引き受けることにした。キールケにとってもドラゴンの飼育者と懇意になる良い機会だった。それに家庭教師と引き替えに、南米産の珈琲豆が手に入るのならば安いものだろう。
「あらゆる学問には法則と体系があるの。言語も同様よ。ちゃんとした仕組みがある。そもそも、
キールケの講義は古代ギリシャ語とラテン語の歴史から始まった。そこから印欧語族の概念確立へ派生し、いかにして英語が仏語から国際語の地位を勝ち取ったのか順を追って説明していった。
彼女の講義は、中等部の授業内容と隔絶したものだったが、学問の根源をついたものだった。すなわち『事の成り立ち』について、キールケは説いていた。いかなる学問も初めから確立されているわけではない。社会に浸透した概念や経験が理論立てられ、証明され、体系化されて成立するのである。
唐突に始まった歴史の講義に小春は戸惑っていたが、キールケの話はわかりやすく、面白かったため、すぐに引き込まれてしまった。希有なことにキールケは優れた研究者であると、同時に優れた指導者だった。その意味では、独逸にとってキールケの流出は全く惜しむべきことだった。
小春はキールケの講義を要領よくノートへまとめていた。聞くばかりではなく、適切な質問を挟んでいることから、そつなく理解していることがうかがえた。
キールケが見たところ、小春は物覚えの良く、気の利いた少女だった。加えて頭の回転も悪くはない。恐らく、同年代の子の中でも頭一つ抜きんでている。独逸本国でも、優等の部類に入るだろう。
――
独逸本国の
――『アーリア人の優位性の否定にはつながらない』とでも言うかしら。
自嘲的な笑いを浮かべたキールケは、ふと小春が広げたノートの一部に見慣れない日本語が書き込まれているのが見えた。カタカナ表記で、日本語にしては鋭角的で容易に漢字に変換できないものだ。
「ちょっといい。そのノートに書かれている日本語はどういう意味なの?」
キールケは見開きになったノートの片隅を指さした。
「これは日本語じゃないです」
「え、どこの国の言葉?」
「竜の言葉です」
「
思わぬ回答に母国語でキールケは返してしまった。
◇========◇
次回12月18日(水)投稿予定
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弐進座
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