遠すぎた月(A Moon Too Far) 1
【ダベンポート】
1945年6月14日
計画とは大きく乖離した現実について、連合国軍は認識を明らかにしつつあった。参加した将兵の誰もが、今回の作戦について結論を出している。
しかし、ある者は内に秘めるだけにとどめ、またある者は全く無遠慮に開陳していた。何と言っても、ここは
ダベンポートに集った将軍二人、ジョージ・パットン大将とオマー・ブラッドレー大将は対称的だった。激情家のパットンにとって掟など
「
窓際に佇んだパットンは吐き捨てるように言った。背後にはブラッドレーが粗末なパイプ椅子に腰を落ち着かせている。パットンとブラッドレーは、ダベンポート内の教会に仮設された野戦司令部にいた。そこは牧師の執務室として使われていた部屋で、室外の講堂では将兵達が部隊の再編計画を練っていた。
「
ブラッドレーとの会話の中で、すでに十回カウントされた言葉だった。
「あの
ブラッドレーは咳払いをした。さすがに上官を侮辱するのは咎められた。
「ジョージ、君の気持ちは理解するよ。だけど、その、もう少し声を抑えてくれないかね。ここには私と君の二人しか居ないのは確かだが、ひどく風通しのいい場所でもある」
ブラッドレーは扉へ目を向けた。頼りない朽ちかけた木造の扉だった。防音効果は期待できそうにない。パットンは不敵な笑みを浮かべると、胸ポケットから煙草を取り出し、士官学校の後輩に勧めた。
「ブラッド、オレを異端審問に突き出すつもりかね」
一本だけ受け取ると、ブラッドレーは手持ちのライターで火を点けた。
「まさか……」
紫煙を吐き出しながら彼は苦笑すると、軽く咳き込んだ。
「ジョージ、
「ははあ、まあ、確かに。そいつはオレも承知している。ブラッド、じゃあ実用性の話をしようじゃないか」
パットンはかつて牧師が使っていた
「私をナッシュビルから呼び寄せたのは、
つい数時間前まで、ブラッドレーはダベンポートから数百キロ離れたナッシュビルにいた。そこには彼が指揮する第7軍の司令部が設置されている。本来ならば、麾下の部隊の指揮に専念するべきだったが、ブラッドレーなりにパットンの意図をくみ取っていた。だからこそ、無線で招集の要請を受けたときに断らなかったのだ。今朝、彼はナッシュビルを飛行機で発ち、ダベンポートの野戦飛行場に降り立った。
「我々はどうしても話し合う必要があるはずだ」
「
パットンは静かに言い切った。ブラッドレーは沈黙で肯定した。
「オレの軍は、かろうじて戦線を維持できている。損害も思ったよりは軽微だ。だが、もう
ブラッドレーは天井を見上げ、何かを数えるような仕草をした。
「似たようなものだね。我が第7軍はアトランタBMからわき出てくる
ブラッドレーが管轄する南部戦区はアトランタBMの脅威を一手に引き受けていた。より正確にはアトランタから無尽蔵に湧いて出てくる魔獣を6万人の将兵で食い止めている。
「そうだろう。このまま、何も手を打たなかったら、一ヶ月後にはオレ達の兵士は魔獣のクソになっちまう。それだけは御免だ」
連合国軍の兵站は麻痺寸前だった。デンバーからはるか一千キロ以上離れた地へ、弾薬、糧食、重火器、車両すべてを十全に供給し続けるのは現実的ではなくなった。如何に合衆国の生産能力が化け物じみていても、化け物相手に全力で戦闘し続けるのは苦行以外の何ものではなかった。
「本来ならば、オレ達は今ごろ
「シカゴBMは消失したがね……」
付け加えるように、ブラッドレーは言った。
「ああ、消えたさ。とんでもない化け物を産み落としてな。そいつも反応爆弾で消し炭になった。噂じゃ。日本の空飛ぶ駆逐艦が食い止めたらしいが、そいつはどうでもいい。オレが言いたいのは、エクリプス作戦が土台からひっくり返っちまったということだ。このクソ作戦は、あの
「怖くなったのさ」
ブラッドレーは長くなった煙草の灰を落とした。
「それにデンバーではなくて、私が思うにこれは
ブラッドレーは腰の痛みを感じ、固いパイプ椅子から座り直すと、彼の先輩の座る
「誰も何も見えなくなってしまったんだ。我々は深い霧の中だよ。五年前の開戦以来、ずっとそうだった。有史以来の悪夢としか思えない敵と戦いを強いられ、手探りでやってきた。反応爆弾は、その霧を晴らす唯一の光明に思えた。しかし、実際は新たな悪夢を産み出す呼び水になってしまった」
「
「そうだね。シカゴ以外のBM、アトランタやデトロイト、トロントから現れる可能性がある。そうなったら、我々はお手上げだ。反応爆弾の小型化と量産の目途がたてば話は別だろうがね。例えば砲弾、あるいは地雷のように使えるようになれば、前線の部隊で何とかなるかもしれない」
「そいつは景気の良い話だな。確かシカゴの月獣は腹に爆弾を抱えさせて始末したんだろう。やれない話じゃない。個人的には全く癪に障る話だが」
パットンは戦争を芸術のように捉えていた。中世的な浪漫主義とも言える。一方的かつ一瞬で敵を屠る戦いに彼は魅力を感じなかった。血を流さぬ戦争など、ただの屠殺ではないか。
「だが、現実は違う。反応爆弾は後生大事にしまわれ、オレ達はここに
「否定する理由はないね。そして、あなたがそれを看過しないだろうとも思っていた。さあ、言ってくれ。何をやろうとしているんだ? まあ、だいたい想像は付いているんだがね」
パットンは揺り椅子から身を起こした。疲れた、苦々しい表情になっていた。
「ここは退くしかない。上品な言葉で表現するなら、戦線の整理というやつだ」
「賛成だね。だが、デンバーはどうする?」
ブラッドレーはマッカーサーのことを指していた。かの将軍は未だに五大湖の開放を夢見ていた。
「オレと君、それにもう一人の将軍が賛同したら、あのコーンパイプも首を縦に振らざるをえないだろう」
「もう一人? 二人ではなく?」
パットンは吹き出すように笑った。笑いすぎて咳き込むほどだった。
「モントゴメリーのことか? あの気障な英国人は、とっくの昔に退いたぞ。それこそシカゴの月獣が出現した翌日にな。まったく抜け目のない野郎だ」
「なるほど……となれば、あとはその
ほどなくして、もう一人の将軍が着いたと報告があった。パットンは牧師の机の抽斗から年代物のバーボンの瓶と煤けたグラスを三つ取り出した。
「どうしたんだい、それは?」
ぎょっとした面持ちでブラッドレーは見ていた。
「もとから、この教会にあったのさ。ここの牧師は用意の良い奴だな」
ノックの音がし、もう一人の将軍が入ってきた。パットンは満面の笑みで迎え、ヤニで黄色に染まった歯を見せた。
「やあ、ジェネラル・クリバヤシ。遠いところをわざわざすまんね。まずは合衆国流の歓待を受けてくれ。話はそれからだ」
グラスにバーボンが注がれた。
◇========◇
次回9月22日(日)投稿予定
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弐進座
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