月獣(Moon Beast) 12:終


 シカゴ郊外の大地に焼き印を押されたような疵痕が刻まれていた。


 爆心地グラウンドゼロは赤く溶けた地表と月獣の塵が入り交じった世界だった。まるで地獄の釜が忽然と現れたようだ。


 限りなく正円に近い、赤い大地の境界の近くに<宵月>は着陸した。


『ギドーよ、お主の兵を外に出すな。穢れた気が漂っている。ただびとならばたちまち侵されてしまうぞ』

「待て。お前、どうする気だ?」

『外へ出るのじゃ』

「……何?」

『現世で迷わぬようにしてやりたい。ギドー、妾はかつて御霊を安らぐ役を授かっておった。この地で何と呼ばれておるか知らぬが……たとえ変わり果てても、妾はあの者達を彼岸へ送り出す役目がある』

「ああ、得心したぞ。お前は巫女だったのだな」

『みこ? ここでは、そういうのか』

「そうだ。ここでは、そういうのだ。なるほど、ならば弔うのが道理だ。しかし、それは今でなければ駄目なのか?」


 月獣を倒し、当面の脅威が取り除かれたとはいえ、敵の勢力圏内であることに違いは無かった。負傷者の手当てや損傷箇所の応急処置が済むまで、待つべきに思えた。


『すまぬ。ギドー、お主にこれがえるか?』


 儀堂は小さく呻くと、思わず右眼を押さえた。まるで眼球を手で掴まれたような異様な気持ち悪さを感じる。痛みではない。圧迫されたような感触だった。


 視界の奥に外の様子が映し出された。ガラス状に固まりつつある赤い地表、そこに積もっていく白い灰の雪、そして揺らめく幽鬼の影が複数あった。どれもこれも、頭部に鋭角的な二対の器官を備えている。影はネシスと同じか、それよりも小さい、ユナモくらいのものまであった。おぼろげながらも人型であることが見て取れる。顔を押さえ、身をよじらせている者もあれば、ただ呆然と虚ろげに佇んでいる者もいた。


 唐突に右眼の圧迫感が取り除かれ、儀堂は視界を取り戻した。酔ったような、目眩を覚える。額に浮かんだ汗をぬぐい去りながら、儀堂は喉頭式マイクを押さえた。


「状況はわかった……」

『お主、大丈夫か? 何やら息が荒いぞ』

「気にするな。あの影はお前の同胞なのか?」

『まつろわぬ御霊となってしまった。可哀想に、まだ亡くなったことに気づいておらぬのじゃ。捨ておくことはできぬ。身体を失ったとは言え、魂魄がある限り魔導の力は活きたままじゃ。あのまま留め置けば、この地に呪いをもたらすやもしれん。何よりも……不憫じゃ。ギドーよ、妾は-』

「行け。お前が成すべきことをやれ」


 全てを言い終わる前に、儀堂は命じていた。理由はわからないが、この鬼に何かを嘆願させてはいけないように思えたのだ。


『ギドーよ、恩に着るぞ』


 ネシスは小さく囁くように言うと、通信を切った。


 <宵月>の周囲を青白い方陣が取り囲み、船体を水平に維持する。儀堂は周囲に敵影がないことを確かめさせると、視界の外にいる副長へ呼びかけた。


「副長、ここを頼む」


 興津は怪訝な顔で儀堂を見た。人によっては忌避しているように見えるだろうが、それは誤りではなかった。興津の記憶にある限り、儀堂がここを頼んだ・・・・・・ときは高い確率で良くないことが起きていた。まるで条件付けされたかのように難題が降りかかるのだ。数時間前、瀕死の重傷を儀堂が負う前も似たような命令を聞いた気がする。いや、確かに聞いた。


「どこへ行かれるのですか?」

「ネシスが外へ行くらしい。オレも同行する」


 興津はさらに不可解な思いを抱いた。


「……艦長が付いていく必要があるのですか?」

「あるんだよ」


 穏やかだが、断固たる口調だった。


「オレが命じて手を下したんだ。ならば、オレには見送る義務がある」


 興津は観念したように肯いた。


「承知しました。それではせめてこれをどうぞ。その格好で外へ出るのは、お勧めできません」


 儀堂に外套を差し出した。儀堂は首を捻った。


「何かおかしいことが?」

「それは……艦長、お気づきでなかったのですか?」


 興津は言いにくそうに儀堂の右半身を指さした。肩から袖口へ視線を移すと、上着とシャツが肩から袖口にかけたぼろぼろになっていた。ズボンも同様だった。右側がぼろ雑巾のようになっている。どうやら砲塔が爆発したした際に破れたようだ。


「確かに、これはみっともないね」


 興津へ視線を戻し、儀堂は左手で外套を受け取った。


「ありがとう。では行ってくる。あとは頼んだ」


 短く敬礼をしながら、興津の内心には釈然としない思いがあった。儀堂が席を外すことではない。それよりも、ささいなことだった。


 興津は儀堂の右側に立っていたのだ。


-艦長は右利きだったはずだ。


 なぜ、わざわざ左手で外套を受け取ったのだろうか。


【シカゴ郊外 グラウンドゼロ】


 ネシスを連れだって、儀堂はグラウンドゼロの外縁へ向った。儀堂の頭上には小さい方陣が浮かび、身体を包み込むように結界が張られていた。反応爆発の放射線穢れた気から儀堂を守るために、ネシスが用意したのである。


「お主まで付いてくる必要は無かったのに……」


 ネシスは拗ねたような顔を浮かべつつも、ほっとしたような口調だった。


「要不要の問題じゃないだろう」


 儀堂は静かに言い切った。


「彼女らを屠れと命じたのはオレだ。ならば指揮官として立ち会う義務がある」


 グラウンドゼロの円形へ足を踏み入れた途端、場違いな懐かしさを覚える。幼い頃、厳冬期に庭に出来た霜柱を踏んだ記憶が再生された。


 大気に冷やされ、溶けた大地がガラス状に硬化していたのだ。固まった大地を割りながら、二人は中心地へ向った。


「ここで待つがよい」


 ネシスは片手で儀堂を制止すると、爆発の中心へ立った。少し離れたところで儀堂は、その様子を伺った。


 ネシスの周辺は月獣の灰で覆い尽くされていた。灰色の塵に囲まれながら、ネシスは両手を天に掲げた。グラウンドゼロを覆うように巨大な方陣が展開される。今まで見てきたものと形状の異なる白い方陣だった。


 これまで魔導の発現を何度も目にしてきたが、それでも圧倒的な規模に儀堂は目を見はった。目前の光景に視覚を奪われた儀堂だが、さらに聴覚までも虜にされることとなった。


-歌か……?


 雅な歌声が彼の鼓膜を震わせた。視線を上空から水平に戻すと、そこには声帯で旋律を紡ぐ鬼がいた。解すことができないことばだったが、それが弔いの祈りであると確信していた。悲しげな子守歌のようだった。


 ネシスの歌に合わせて、方陣が輝きを増し、やがて幽鬼の人型がグラウンドゼロの地表から浮かび上がった。歌と方陣の輝き合わせて、幽鬼の影は天空の方陣へ引き寄せられていった。影は輪郭を明らかにしていき、おぼろげながら生前の姿が明らかになっていく。


 美しい鬼子の姿だった。

 彼女らは目をつむり、安らかな面持ちで光の輪の中に消えていった。


 最後の一人を空の彼方へ消えたところで、祈りの詞は終わり、方陣が薄らと空に消えていった。


 ふと儀堂は気づいた。


 シカゴの空は曇りから晴天に転じていた。

 蒼空へ向って、彼は敬礼を捧げた。


◇========◇

次回9月15日(日)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座

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