月獣(Moon Beast) 3
【シカゴ近郊】
正午を回った頃合だが、真昼の明るさからほど遠い天気だった。月獣が現われてから、シカゴ上空の雲量が増え始めていた。このまま推移すると、航空機の行動に著しい支障を来たす恐れが出てくる。悪天候下では、いかに優れた爆撃機でも命中率が低下してしまう。人類が
連合国軍は新たな脅威に対して何ら有効な手を打てずにいた。頼みの綱の反応爆弾は、月獣の攻撃によって阻止されている。航空戦力を投入できないとなれば、後は地上戦力で対応するしかない。
手っ取り早い選択は、合衆国第6軍の主力を差し向けることだったが、アルカトラズの臨時大統領府から待機命令が出ていた。第6軍司令官のパットンは例によって、罵倒めいた言葉を吐きつつ、命令に従い、彼に付き従う幕僚は額に冷や汗を浮かべた。かの将軍は、相手が上位であるほど傲岸になる傾向があった。
総司令官のマッカーサーは、珍しくパットンと似たような心境にあった。もっとも彼は口汚く罵ることはしなかったが、この措置に明らかに不服だった。エクリプス作戦における指揮権はマッカーサーにある。第6軍に対して、自身を飛び越えた命令がでるなど屈辱以外の何者ではなかった。それは明らかにマッカーサーに対する不信を意味していた。
デンバーの幕僚陣は黙り込んだコーンパイプの男を囲みながら、気を揉んでいた。彼等にしてみれば全てが理解不能だった。
なにゆえ、
◇
本郷中隊は、まだシカゴ郊外にある
八号戦車マウスから降り立ち、本郷は空を見上げた。その顔は空の色と同様に曇っている。
「まずいな……」
このままでは味方の航空支援をまともに受けられなくなってしまう。
本郷の元に先任将校の中村中尉がやってきた。彼だけではなく、各小隊の指揮官が集まってくる。彼等が取るべき行動について、本郷は決断しなければならなかった。
「隊長、各隊の点呼は完了しました。落伍者は居ません」
本来ならば、敬礼すべきところを中村は省略した。陸軍時代から身につけたくせだった。本郷は気にもとめかった。中村に限らず、本郷中隊の士官は非常時に敬礼を略すよう、訓示を受けている。
「ありがとう」
本郷は鷹揚に肯いた。その口元には笑みを浮かべている。家長のような威厳と頼もしさを感じさせるものだった。各小隊の指揮官は幾分か肩の力が解けていくのを感じた。
「それで、いかがしますか?」
中村はシカゴ中心部へ目を向けた。遠方から地響きが伝わってくる。彼の視線の先には
「六反田閣下から新たな司令は受けていない」
本郷の言葉に各隊の指揮官が肯いた。彼は各自の顔を見回すと、一気に続けた。
「つまり、我々の任務は変わらないということだ。別命があるまで、<宵月>の行方を確認し、可能な限り支援する」
「それでは、再度シカゴへ突入しますか?」
半ば戯けるように中村は言った。本郷は口角を上げなら、首を横に振った。
「いいや、その前に<宵月>に無線で呼びかける。君はビスマークにいる矢澤中佐と繋がらないか試してみてくれ。あとは……」
本郷の瞳に、蠢く巨影が映し出された。
「あれをどうするかだな」
「相手にしますか?」
中村が茶化そうとしたが、不発に終わった。声が裏返っていた。他の小隊長達から失笑が漏れ、思わず本郷も苦笑した。
「いいや、やめておこう。僕の戦車でも、流石にあれの相手は無理だろう。まあ―」
戦車に限らず、あの月獣を倒せる手段があるのか怪しいところだった。
―反応爆弾でもだめだろうか。
本郷は反応爆弾が作動した直後の光景を見ていなかったが、合衆国側の無線傍受によって、大よその状況は掴んでいた。彼は反応爆弾の戦果について、アルカトラズやデンバーとは異なった見解をもっていた。限定的だが、反応爆弾の有効性を認めてよいのではないかと思っていた。
―シカゴBMから出てきたのは、反応爆弾の影響によるものではないか。もし、爆弾の威力に耐えかねて、あの化け物が出てきたとしたら……。
ふと、本郷は我に返った。
―僕は何を考えている。他にやるべきことがあるはずではないか。今さら
己の妄想を振り払ったときだった。月獣の背面から無数の黒い線が放たれるのが見えた。正体を確かめる間もなく、本郷は事態の急変に対応しなければならなかった。
銀翼の機体が黒煙を上げながら降下してくるのが見えた。それは加速度的に高度を下げながら、旋回し、やがて本郷中隊が集結するグラウンドへ針路を向けた。
◇========◇
次回投稿7月15日(月)予定
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