月獣(Moon Beast) 4

 このとき、B-29"トール2"の機長の目には高等学校ハイスクールの開けた競争路トラックが目に入っていた。それは、この巨人機の羽を休めるのにおあつらえ向きに見えた。


 トール2は自力で帰還不可能な状態だった。右主翼にある二発の発動機エンジンに月獣の黒針を食らっていた。一発は完全停止し、火を噴いている。もう一発はかろうじて生きているが、虫の息だった。本来なら燃料に引火する前に停止すべきだが、機体の安定を保てなくなる恐れがあった。左主翼も似たような状況だった。二発中、一発は完全に破壊されプロペラが吹き飛んでいる。不幸中の幸いだったのは、もう片方の発動機は無傷だったことだ。


 機長は自由が効かなくなりつつある操縦桿を操りながら、機体がロールしないように平衡を保ちつつ、グラウンドへ向けて着陸態勢をとった。高度三千メートルを切ったところで、ようやく彼は慌ただしく駆け回る存在に気がついた。


 見慣れぬ戦車の群れと兵士ライフルマンたちだが、少なくとも敵ではないだろうと思った。彼等の敵は今のところ魔獣以外にあり得なかった。それよりも、先客がいたことに彼は少しばかりの後悔を覚えていた。下の連中はさぞかし驚いているだろうが、機体は着陸態勢に入り、進路変更は不可能だった。


 降着装置ランディングギアを作動させ、車輪を展開させようとしたが、上手くいかなかった。どうやら月獣に攻撃された衝撃で壊れたらしい。腹に反応爆弾を抱えたまま、胴体着陸するしかない。


「アーメン」


 機上と眼下の者に対して、祈りを捧げると、トール2の機長は速度を緩めていった。

 高度千メートルをきったところで、一際巨大な戦車モノリスに目がつく。他の車両や兵士達が退避する中で、その車両だけがトール2の着陸予定地点ランディングポイントへ向かってきていた。巨体に似合わない素早さだった。


「何を考えている。死にたいのか!?」


 トール2の機長は呻くように言った。しかし、彼に結論をだす余裕はなかった。地上は直ぐそこまで迫っている。


 高度計が五百を指したところで、車両に刻印された旭日ライジングサンのエンブレムが見えた。


 数秒後、トール2の機体は地表へ接触コンタクトした。



 刹那の瞬間に向けて、本郷はマウスを走らせた。百八十トンを越える車体が滑るような動きで着陸予定地点ランディングポイントへ向う。それは重力とは無縁の機動だった。


 事実、このとき鋼鉄のモノリスは重力の軛から解き放たれていた。マウスの車体を取り囲むように、うっすらと緑の方陣が展開され、車体重量を軽減していた。


『ホンゴー、あれを助ければ良いの?』


 車体前部の操縦席からユナモが尋ねてくる。


「ああ、あの銀色の飛行機を無事に降りれるようにしてほしいんだ」


 見えない操縦手に向って、本郷は肯いた。内心では拭いきれない申し訳なさと焦りがあったが、おくびにも出さない。


―シカゴ上空を飛び交うB-29など、ひとつしか考えられない。反応爆弾を搭載した……。


 確信はなかった。本郷が合衆国軍が派遣したB-29の機数を把握していたわけではない。しかし、十分に予測できる事態だった。合衆国軍がシカゴBM相手に一発の反応爆弾で済ませるとは思えなかった。確実に消滅させるためなら、複数機をもってあたるだろう。


 ひょっとしたら、一発目の反応爆弾を投下した機体かもしれないが、そのような保証はどこにもなかった。本郷は悲観論者ではなかったが、軍歴キャリアによって最悪の事態を想定するよう条件付けされている。


―万が一、墜落によって信管が誤作動したら、ここは地獄になる。


 シカゴを一瞬にして灰燼に帰すような威力なのだ。起爆した場合、彼の中隊は壊滅を免れないだろう。


 額に汗を浮かべながら、本郷は展望塔キューポラから身を乗り出した。


 もはや双眼鏡を使わずに目視できるほど、B-29は高度を下げている。マウスは黒煙に包まれた機体の横腹へ向けて、突っ込むような針路をとっていた。目測で相対距離は二百メートルほどだった。発動機の音と黒煙の臭いが感覚器を刺激する。


「ユナモ、B-29と並走させてくれ」


 マウスの右履帯のギアが回転速度をあげる。右方向への加速度がかかり、本郷は天蓋の縁に掴まって耐えた。

 マウスが旋回を終え、本郷の望み通りB-29と並走するようになったとき、巨人機は地面へ胴体からなだれ込んだ。

 すぐに右主翼がもぎ取れたのがわかった。着地の瞬間、わずかに平衡が崩れ、右主翼へ負荷が掛かったのだ。右回転スピンしそうな巨人機を前にして、本郷は叫んだ。


魔導索マギーコード展開ヴァライシュテイン! 頼む! あれを止めてくれ!」

了解ヤヴォール


 マウスから方陣が放たれ、土と黒煙にまみれた機体を包み込んだ。四十トンを越える質量が重力から解放され、機体の回転に徐々に制動がかかる。


 B-29は機首がやや右向きになりながら、危なげなく地表を滑走し、ついには完全に停止した。


 本郷はマウスを機首へ寄せると、放心している合衆国の二人の操縦士へ向けて怒鳴った。


早く出るんだゲラアウト ナウ!」


◇ 


 B-29の機長は夢を見ているような心境だった。右主翼がとれたとき、彼の脳裏に妻の面影がよぎり、最期を覚悟したが、杞憂に終わった。トール2はまるで魔法にかけられた(実際にその通りだった)かのように、軟着陸ソフトランディングを果たした。


 副操縦士が何事かを告げてきた。彼は機外を指さした。


 東洋人と思しき兵士が険しい顔で呼びかけてきているが、内容はわからなかったが、身振りジェスチャーで意味はわかった。


「総員退去!」


 機内無線に命じる。幸い、搭乗員は全て無事だった。手近な脱出口から次々と出て行く姿を確認し、最後に機長は副操縦士と去ることにした。


「すまない、ウェンディ」


 操縦席を振り返り、長らく連れ添った機体に別れを告げる。

 トール2とは別に、彼が付けていた機体名だった。

 由来は伴侶のファーストネームだ。

 五年前、シカゴBM出現時に神の御許へ旅立っている。


◇========◇

次回投稿7月21日(日)予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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今後も宜しくお願い致します。

弐進座

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